駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

強いなでしこ

2015年06月25日 | スポーツ

              

 なんだか昨日は雨の予報だったが夏空で蒸し暑かった。今日も曇りの予報だが、日が差してどうも暑くなりそうだ。蒸し暑いのは梅雨の合間の夏日と受け入れるが、雨はきちんと降ってもらはないと困る。ここに来て降水量が減っているようで気懸かりだ。

 なでしこが徐々に調子を上げている。今まで一点差逃げ切りの辛勝だったが、体格の大きいオランダを相手に前後半見事な一点を挙げて勝った。最後に一点を献上したがこれは海堀のミスだ。ファインセーブもあったからほぼ帳消しにしてやれるが、イージーミスで佐々木監督の閻魔帳に書き込まれただろう。

 新顔が少ないのが気懸かりだが、佐々木監督版が完成の域に辿り着きつつあるということだろう。走力体力でやや劣る日本が競り勝てたのは組織の力だと思う。動きに読みが入っているのだ。ホジッチジャパンも学ぶところがあったはずだ。

 次のオーストラリアは手強い。ゴールキーパーを誰にするか、佐々木監督は鉛筆を舐め舐め考えているだろう。男女そろい踏みで良い結果を出して欲しい。錦織もウインブルドン間に合いそうで、夜更かしが続きそうだ。                                                         

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人の見る目

2015年06月24日 | 人物、男

           

 為末大という男が居る。先日ブータンで彼がジュニアの選手に陸上競技指導をしている番組をチラッと見た。為末さんについては断片的な知識しか持ち合わせないが、気持ちの良い優れた指導者と見受けた。

 いつだったか、彼がツイッターで「やればできると言うがそれは成功者の言い分であり、例えばアスリートとして成功するためにはアスリート向きの体で生まれたかどうかが99%重要なことだ」と発言したら炎上したという記事を目にしたことがある。当たり前のことに、なぜ炎上するのかと思ったが、「指導者の立場として『努力は報われる』と励ますべきだろ!」
「志そうとする気持ちがないと、才能が合っても開花しないわけだし 努力することが無駄っていうのは言い方としてダメじゃないかな」
「みんなイチローや中田である必要はないし、やる事に意義はある」
「為末さんは、本当の事を言いさえすれば、成功者としての義務を果たせるもんだと思っている」(括弧内ネットより引用)などの反論が寄せられたようだ。

 他にもいくつか率直で本質に迫る発言をされているらしい。

 誰もが発言できることは素晴らしいことだが、それは誰もが同じということとは違う。粗にして野でも卑では意味がない。優れたものを見出す目と認める心が欠かせないと思う。

 とてもフォロウしきれないが為末発言は傾聴に値する気がしている。

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漫才では面白くても

2015年06月23日 | 診療

                   

 梅雨空で曇っているのだが雨はさほど多くない。気温はさほどでないが湿度が高いので、空調の乾燥を入れてしまう。患者さんの為と言いながら自分の都合でもある。未だ半ばなのだが梅雨明けが待ち遠しい。

 確か獅子てんや瀬戸わんやの漫才だったと思う。わんやが事の顛末を説明するとはいはい成る程と聞いていたてんやが、最後に何でそうしのと振り出しの質問に戻ってしまう。だからと再び最初からわんやが説明するのだが、成る程と聞いていても最後に振り出しの質問に戻ってしまうため、わんやが顔を真っ赤にして怒りながら何度も説明を繰り返すネタがあった。これは漫才だから面白いので、実際にわんやの役回りをさせられると血圧が上がってしまう。

 Yさんは善良な人なのだが元々理解力の低かった上に最近はいくらか認知症が加わり説明してもなかなか分かって貰えない。寝たきりのご主人の病態を説明するとはいと頷いて聞いておられるが、それは私の声が聞こえているという意味のようで、聞き終わると、でどうなるのと繰り返される。わんやでないわたしは二回までで、とてもそれ以上繰り返す気になれない。あとは看護師のAさんに引き取って貰った。お嫁さんに説明し直さねばならないとメモをしたことだ。

 年を取るとのんびり穏やかになるというのには、例外も多い気がしてきている。私は性格的にせっかちなのだが根気と我慢で補なって、患者さんの多様な個性に付き合ってきた。しかしこの頃は分からず屋というか分かりの悪い患者さんにイライラするようになった。仏でない私は二度で許して欲しい。三度目にはお引き取りをと言いたくなる。

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死亡診断書を前に

2015年06月22日 | 医療

               

 もう何百枚も死亡診断書を書いてきた。今も年に五枚から十枚くらいの死亡診断書を書いている。年間の診療患者数には僅か数%の変動しかないが、看取る患者数にはどういうわけか年によってかなり変動がある。癌の患者さんを除けば、殆どの方が八十五才以上で百才という方も居られる。癌の患者さんは六十代、七十代の方が多く、若いのにと感じる。

 死亡診断書には死因を書かねばならない。昔、研修医の走りだった頃に老衰とか急性心不全で済ませるなと教えられたので、それを守り必ず病態と病名を辿り順序立てて書くようにしている。殆どが三ヶ月以上少なくとも十日間は診ていた患者さんなので、死亡原因を書くのに困ることはないが、希に死亡診断書を前に考えてしまうこともある。それは何でこの患者さんは生きていたのだろうかと感じるからだ。物も言えず寝返りも打てず暖かい介護も受けられず、ひっそりと終わられた患者さんに、この数ヶ月何で生きていたのと聞きたくなる。立ち入ったこと無用の忖度と心得るが、心に浮かぶ思いだ。 

 死亡診断書は本人の埒外で自ら関与できる物ではないようで、そうでもないかも知れない。ウイリアムモリスとまでは行かなくても、ゆくりなくも最後のメッセージが垣間見えることもあるようだ。

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日曜日の朝に考えた

2015年06月21日 | 小考

            

 日暮れて道遠しは多くの同年配の方々の気持ちだろう。専門職として生きてきたから、多くの時間を仕事に使い、余暇は家族と過ごし、子離れ後はいくつかの趣味に使ってきた。

 何について語れるかと言えば内科診療といくつかの趣味についてだけで、数学物理化学や歴史については高校程度の理解知識しかない(大学の教養では演習が不十分だったので血肉となっていない)。活字中毒なので、雑多な本を読み散らかしてきたが、何かについて系統的な知識があるとは言い難い。

 何かに通暁するには、実は物凄い時間と手間が掛かる。何でそうなるのか、何を考えてそうしたのか・・・、知りたいことは数多いのだが手つかずだ。引退したらとは思うが、仕事を辞めた頃に脳味噌が元気かどうか、心許ない。

 それでも社会や人間については、生きてきた時間だけ学んできた。今不思議に思っているのは、なぜ優れた人がリーダーになるとは限らないのだろうかということだ。日本は良い国だ、自然に恵まれ優れるところも多いと言われる。確かにそうかも知れないが、こうした人が**とはどういうことなんだろう。もっと歴史を知っていれば、理解も深まるのだろうか。司馬遼太郎、城山三郎、松本清張・・・あるいは父は母は何と言っただろうと思う。

 

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