駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

心を休める

2013年04月20日 | 身辺記

      

 きっと既に多くの方が指摘しておられると思うが、凡そ商売というのは、いつも最善を尽くしていなければ繁盛は維持できない。

 私が主宰する医院はこの十数年僅かな増減はあってもほぼ同じ患者数で推移してきた。収入はともかく患者数は有り難いことに平均以上で、毎日忙しく働いている。正直、一昨年くらいから診療後に疲れが残るようになった。可能であれば、診療する患者数を絞り、多少楽をしたいと思うのだが、来る者は拒まず去る者は追わずの仕事のせいもあり、ちょっときつくなったなあと思いながらも同じペースで働いている。無理に減らそうとすれば、思いがけず患者は減ってしまう気がする。

 しかしまあ、操作せずとも患者数は、自然に減少して行くだろう。つまり精一杯働いても診療能力が低下し、患者は冷静にそれを感知して足が遠のいて行く日が来る。まあ、それまでは今暫く、帰宅後疲れを取りながら消えゆくまで老兵は働く運命と思いなしている。

 疲れた夜は書斎で惚けたようにユーチューブで森昌子、森麻季、倍賞千恵子・・・を聞いている。心の疲れを和らげる何よりの薬だ。

 バーブラ・ストレイザンドが好きだったが、彼女のコンサートを聴かずじまいに終わってしまった。森昌子や森麻季はまだ十分チャンスはあるだろうが、倍賞千恵子は聞き逃す心配がある。チャンスがあれば是非コンサートに足を運びたいと思っている。

 

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判官贔屓今いずこ

2013年04月19日 | 小考

               

 先日、某全国紙に映画監督の篠田正浩さんが今や判官贔屓は失われたと書いていた。その証左として、雅子様と呼ばれながら呼び捨て同様の棘ある報道を受ける病む妻を庇いながら孤軍奮闘する皇太子殿下が正に判官なのに、暖かい贔屓目の扱いを受けておられない事を挙げていた。

 弱り目に祟り目の人を叩きこそすれ、その不運に同情や庇護の手を差し伸べようとせず、その志も評価理解しない世相では自分は映画監督として作品を生みせないと引退の理由も明かしておられた。

 判官贔屓が日本人の心の中にどのような位置を占めてきたのか詳らかにしないし、判官贔屓の機微を能く理解しているわけでもないが、運の悪い人や恵まれない人をその人の立場に立って理解する心の働きが失われれば、損得が全ての潤いのない貧しい世界が待ち構えていると予想する。

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診療だけだったらどんなに楽か

2013年04月18日 | 医療

                  

 三寒四温がだんだん温から暑にまで達するようになった。今朝は駅まで歩いたら汗ばんでしまった。もう寒い日は来ないだろうと思うが、最近は油断できない。

 医者になって驚くことは医学部の授業で習わなかった業務が非常に多いということだ。特に開業医として独立すると役所や医師会への届け出書類に主治医意見書、訪問介護指示書、生活保護者の病状報告、診療レセプトチェックなどなど事務作業が労働時間の15%?を占める。実際には毎日一時間程度なのだが、心理的には四分の一くらい事務作業をしている感じがする。苦手と言うか才能のない分野なので負担に感じてしまうのだ。純粋の診療だけだったらどんなに楽かと思う。

 今日は木曜日なので、朝昨日届いた郵便物を十数通開封チェックした。たかだか十数通でもハサミで封を開け、ざっと目を通すのに十五、六分掛かる。返事が必要な物がなくてほっとした。

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細かいことを言うな

2013年04月17日 | 世の中

           

 Sさんは今年72歳になる何処にでも居るお婆さんで、半年前胃がんの手術を受け総合病院に通院中だ。神経質な人で調子が良いということはなく、頭が重い、腰が痛いと訴えの絶えない人だ。そんな人が胃がんになって神経が参るかと思いきや命に係わる癌の方は症状がないせいか、さほど癌のことは心配されない、しかし。

 昨日も前腕があちこち痛いというので、どれどれと見ると僅かな発赤が数か所ある。前日、総合病院の術後の定期診察で同様の訴えをしたところ、「細かいことを言うな、あんたは神経質」。と全く取り合ってもらえなかったと掻き口説かれる。今日はわざわざ、訴えを聞いて欲しくて私の所を受診したらしい。なにか薬の副作用かなと、飲んでいる薬を調べても、怪しげなものはない。赤いところは痛いので押さえたために赤くなっているように見える。たかだか数日前からのことのようで、現時点でははっきり分からないから、もう少し様子を見るように話す。さっきの泣きべそは何処へやら納得したようで腰を上げてくれた。

 医師でない人は、総合病院の外科医はけしからんと思われるだろうか?。私はSさんの話を聞きながらありそうなことだと心の中で笑ってしまった。まあ、多少乱暴な医師ではあるかもしれないが正直で経験豊かな医師だろうと推測した。癌治療に専心する忙しい外科医には、細かい訴えに付き合う暇はないということなのだろう。 

 ちょっと飛躍するが、どういうものか日本ではSさんのような細事に囚われあれこれ気にする人が溢れ、その人達の訴えを慰撫、懐柔するために膨大な時間と費用がかかっているのだ。誤解を恐れず言えば、隙間と雖も巨大市場で巨大産業となっている。

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{さん」か「さま」か

2013年04月16日 | 診療

                   

 新しい受付が当初患者さんを…さまと呼んだのでびっくりした。直ぐに皆に合わせ・・さんと呼ぶようになったのだが、果たしてどちらが良いのだろうか。

 患者さんを・・さまと呼ぶのは二十数年前に流行?したと記憶する。病院時代そりの合わなかった院長がこれから・・さまと呼ぶようにすると言い出したのを憶えている。最近はちょっと下火になっているように思うが、「さん」と呼ぶ医療施設と「さま」と呼ぶ医療施設の割合は現在どうなっているのだろう。

 いろいろ意見議論があるだろう。医療関係でない友人に聞くと意見が分かれる。・・・さまと呼ばれると嬉しいという人から何だか不自然と言う人まで、私が予想したよりは・・・さまに抵抗が少ないようだ。

 当院は開院以来・・・さんで通してきた。これからも・・さんでゆく。院長である私の風と申し上げておこう。

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