駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

判官贔屓今いずこ

2013年04月19日 | 小考

               

 先日、某全国紙に映画監督の篠田正浩さんが今や判官贔屓は失われたと書いていた。その証左として、雅子様と呼ばれながら呼び捨て同様の棘ある報道を受ける病む妻を庇いながら孤軍奮闘する皇太子殿下が正に判官なのに、暖かい贔屓目の扱いを受けておられない事を挙げていた。

 弱り目に祟り目の人を叩きこそすれ、その不運に同情や庇護の手を差し伸べようとせず、その志も評価理解しない世相では自分は映画監督として作品を生みせないと引退の理由も明かしておられた。

 判官贔屓が日本人の心の中にどのような位置を占めてきたのか詳らかにしないし、判官贔屓の機微を能く理解しているわけでもないが、運の悪い人や恵まれない人をその人の立場に立って理解する心の働きが失われれば、損得が全ての潤いのない貧しい世界が待ち構えていると予想する。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする