フランシスベーコン展を見た後、新聞でいくつか識者の論評を見かけた。感性の違いと言ってしまえばそれまでかもしれないが、ベーコンの作品の逸脱異次元に触れながらも美しいと結んでいる評にはちょっと違和感を覚えた。
私もベーコンの作品を醜悪とは思わないし完成度の高いマスターピースと捉えているが、美しいのとは違うと感じている。
私の美的感覚が日常感覚に紛れ飼いならされた陳腐なものになっているのか、論評者の美的感覚が21世紀を先取りし高評価に眩んだものかは分からない。ベーコン自身は素晴らしという評には頷くだろうが、美しいという評にどう反応するだろう。やはり、当然と胸を張るのだろうか、あるいは鼻白むのだろうか。
生木を剥ぐような、真空に手を突っ込みえぐり取った人間の命の断面のような蠢く作品が美しいだろうか?
黄金分割は遺伝子に埋め込まれた?不変の感覚なのか、美的感覚も時代に依って変ってゆくものか、定かではない。論じ始めれば奥深く、私の手に余る問題だ。敢えて異論を書き出すこともないかもしれないが、僅か二枚を見ただけで気持ち悪いと立ち去った妻の感覚を理解できる私は書いておきたいと思う。