駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

判官贔屓今いずこ

2013年04月19日 | 小考

               

 先日、某全国紙に映画監督の篠田正浩さんが今や判官贔屓は失われたと書いていた。その証左として、雅子様と呼ばれながら呼び捨て同様の棘ある報道を受ける病む妻を庇いながら孤軍奮闘する皇太子殿下が正に判官なのに、暖かい贔屓目の扱いを受けておられない事を挙げていた。

 弱り目に祟り目の人を叩きこそすれ、その不運に同情や庇護の手を差し伸べようとせず、その志も評価理解しない世相では自分は映画監督として作品を生みせないと引退の理由も明かしておられた。

 判官贔屓が日本人の心の中にどのような位置を占めてきたのか詳らかにしないし、判官贔屓の機微を能く理解しているわけでもないが、運の悪い人や恵まれない人をその人の立場に立って理解する心の働きが失われれば、損得が全ての潤いのない貧しい世界が待ち構えていると予想する。

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2 コメント

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お気の毒と思う心 ()
2013-04-19 12:59:07
旧い記事貼り付けて質礼します

・・・・皇室ご一家を取り巻く諸々の関心や流布する噂 識者と云われる談話など、喧(かしま)しいと思うことが多々有る。皇太子妃雅子様に関する事が多いように思う。特に週刊誌 皇室の事を書くと売れるのか センセーショナルな見出しをつけて内容無しの記事が実に多いことか。将来皇后になって務まるのか等と 恐れ多くも未だ職にも就いてない人の勤務評定をするような事も載せている。

 柳居子は、皇室は元々騒ぎ立てる対象に非ず。これは時代とか歳月が刻まれるのとよく似た自然の摂理 どの様にもなる強かさも持つが、 自然の摂理に委ねるのが一番良い事だと考える。病状が篤く皇后の激務が果たせなかったら其れはそれで良いではないか。皇室はこうあるべきだ等とは誰一人いえない事なのだ。皇族一人一人は我々と同じ人間 公式には国民と共にが謳われるが、個人として、家庭の関係や 又先祖代々の重みの事も有って其のご苦労は我々には想像も付かない 誰に相談が出来るわけでも無く ウサ晴らしも出来ない。また仮に皇后不在でも 我々の生活や営みに一切関係の無いことなのだ。

国民皆が静に暖かく見守り 病の癒える事を祈り 病が一向によくならなくてもそれは其れで良い 治らない病もあることを国民は知っている。 皇室の歴史は血塗られた時代や 不遇の時代 滅亡寸前の先の世界大戦後も潜り抜けて来た。俗に人間宣言と呼ばれる勅(みことのり)が出て今年で六十六年になる。 神は病まぬが、人間は時として病むものだ。

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市井の鑑 (arz2bee)
2013-04-19 17:57:59
 誠におっしゃる通りで、皇室と病に対する姿勢と理解に感服しました。
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