駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

いつか見た木漏れ日

2012年05月21日 | 自然

    

 僅か数十秒だが金環日食を見ることができた。医院に着くと木漏れ日が三日月形をしていた。これは六十年近い昔小学校で見た懐かしい影で、担任の先生に影が欠けていると興奮して報告したのを憶えている。「よく気がついた」。と褒めてもらったような記憶がある。

 あの頃は蝋燭で煤を付けたガラスで見たものだ。今回は感光したレントゲンフィルムを看護婦達と分け合い用意していたので、それを使い駅のプラットフォームから丸い金環を観測した。本当に指輪のように丸く、地球が宇宙に浮かぶちっぽけな惑星なのを実感した。

 暫く前から辺りがなんとなく薄暗く、これで一陣の風でも吹けば、不穏な雰囲気になっただろう。残念なことに電車を待つ大人は知らんぷりの人が多く、私を含めて数名が観測していただけだ。千載一遇なのに勿体ない。流石に当院の看護師は、朝会うなり「先生日食見ました」。と声を掛けてくれた。似た者同士が集うものなのだろうか?

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甘い物

2012年05月20日 | 旨い物

 

 日本ではどういうわけか、男が甘い物が好きというのは(実際には多いはず)、本人も周りも格好良いと見ない傾向がある。

 欧米では男が甘い物が好きと公言しても自然に受け止められる。ゴールウエイで乗った観光バスの運ちゃんは「次の休憩所は食堂のケーキが美味いんですよ、うーん私はアップルパイかな」。とよだれが出そうな解説をしていた。

 私はエクレアに目が眩んだ。柔らかくしっとりとは行かなかったが、ゴワゴワで大味というわけではなく、たっぷりのミルクティで美味しく頂いた。日本の三倍近くの量で、女房にも手伝って貰ったが、お腹が一杯になった。

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学童延長保育その後

2012年05月19日 | 世の中

    

 六時以降の延長保育不能ということで突発した事務員の退職危機は他の独身事務員の協力で、十五分早く仕事を終えさせることで、私の医院では何とか取り敢えずの解決を見た。

 とてもベストの解決策ではないが、事業主としては退職を防げたのでほっとしている。まあ、恐らくどこの零細企業でもしわ寄せを受け入れてくれる人が居て成り立って居るのだろう。学区が違う看護師は私の所は男の人だったから二十分くらいいいよと延長で預かってくれたんですよと、微妙なことを言う。

 私は事業主として市役所に強く延長を申し入れた。担当者の返事では六時以降もという苦情や要望は各所から届いておりますが、予算の関係で申し訳ありませんというまるでお役所のような返事であった。

 まあ、実際には退職もと言い出した職員には甘えというか母の愛というか我が儘もあるような気もする(どうしても自分で迎えに行きたい)のだが、役所の杓子定規と不備を緩和する機能が日本の社会にまだある程度残っていて、各所での暴発が防げているのだろう。それは良いことだがそれで良いとは思われない。

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サーチライトと月明かり

2012年05月18日 | 診療

      

 街中の内科医は広く浅く診てゆく、そこに我々の真骨頂があると思っている。しかし、ちょっと寂しい思いをさせられることもある。Tさんは六十代の神経質なおばさんで、高血圧でもう十年通院している。もう一軒、内視鏡に力を入れている消化器専門医療機関にもバスに揺られて30分以上かけて通院して居られる。そこでセルべックスという胃薬を貰っている。慢性胃炎と言われ、毎年胃腸の内視鏡検査をしてもらっているらしい。わざわざそこまで行かなくてもセルべックスくらい当院でも出してあげられるのだが、彼女の気持ちは専門医が良いということらしいので何も言わない。そのTさんが

 「先生、たいへんでした」。と言う。

 「どうしたの」。

 「**消化器で脈に不整がある言われて循環器専門のMさんに回されて、いろいろ検査されたの」。

 「あっそう。脈の乱れは前からときどきあるよ」。

 「今日、結果を聞きに行ったら、心配ないって言われたの。よかった」。

 「それくらいなら、ここでもわかると思うよ」。

 「ここは血圧だけだから」。

 勿論、基礎疾患がある不整脈や複雑な不整脈は専門医の診察を要するのだが、不整脈が専門医の診察を要するものか否かは私でも十分判断できる。血圧だけだからと言われて、正直いつもあれこれ目配りをして診ているのにと寂しい気がした。それに血圧だけと言われるほど、血圧の診療は簡単なものではない。

 満月の月明かりで診療している私は部分部分ではとてもサーチライトには敵わない。しかし曲者はサーチライトよりも満月の月明かりを嫌うだろう。克明には判別できなくても、全体を診る力と全体から判断する力は月明かりの人の方にあると思うのだが。

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生徒の内科健診を終えて

2012年05月17日 | 診療

    

 中学校の校医をしている。担当校は生徒数が徐々に増えているという最近珍しい学区で八百名と一人で診る限界を超えてきている。

 参ったなあと思っても、「お忙しいところ申し訳ありません」。と保健の先生に頭を下げられると、「いいえ」。と答えてしまう。

 一度に二百七十人も次から次と聴診していると耳が痛くなり、正直ウンザリしてくるのだが、気を紛らす面白い発見もある。

 もう二十年以上のご奉公で感謝状も戴いているのだが、二十年前よりも更に体格の良くなったのに驚く、これで中学生という女子が多数、男子にも既に大人顔負けの体格のが結構居る。この体格の発達速度は、どうも心と頭脳の発達を追い越している。誰もが通り過ぎなければならない思春期とはいえ、何とも不安定で本人達も戸惑っているに違いない。

 校医の診察を受けるのには多少の羞恥や緊張があると思う。女性の保健教師が付き添っていても特に女子にはそうした反応が強いようだ。それは顔つきや動悸という形で感じ取ることが出来る。勿論、男子にも緊張して心悸亢進を認める者が居る。しかし中に男子にも女子にも全く動ぜず、平気の平左で心音もゆったり平常心と思えるのが混じっている。特に女子の中には平然とこの爺さんの面を見詰める強者も居る(良い感じではない)。こうした緊張しない気質は多分持って生まれたもので、社会の中である役割を担っていく一群の人達なのだろうと思う。

 まあ、そうして個性と特性に気付きながら健診を終えたわけだが、総じてやや幼なくひ弱い感じは受けるものの素直さは保たれており、心と頭脳が上手く追いてつけば将来を託せる若者になってゆく素質はあると感じた。どうなるかは彼等よりもむしろ大人である我々の側に委ねられているのだろう。

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