街中の内科医は広く浅く診てゆく、そこに我々の真骨頂があると思っている。しかし、ちょっと寂しい思いをさせられることもある。Tさんは六十代の神経質なおばさんで、高血圧でもう十年通院している。もう一軒、内視鏡に力を入れている消化器専門医療機関にもバスに揺られて30分以上かけて通院して居られる。そこでセルべックスという胃薬を貰っている。慢性胃炎と言われ、毎年胃腸の内視鏡検査をしてもらっているらしい。わざわざそこまで行かなくてもセルべックスくらい当院でも出してあげられるのだが、彼女の気持ちは専門医が良いということらしいので何も言わない。そのTさんが
「先生、たいへんでした」。と言う。
「どうしたの」。
「**消化器で脈に不整がある言われて循環器専門のMさんに回されて、いろいろ検査されたの」。
「あっそう。脈の乱れは前からときどきあるよ」。
「今日、結果を聞きに行ったら、心配ないって言われたの。よかった」。
「それくらいなら、ここでもわかると思うよ」。
「ここは血圧だけだから」。
勿論、基礎疾患がある不整脈や複雑な不整脈は専門医の診察を要するのだが、不整脈が専門医の診察を要するものか否かは私でも十分判断できる。血圧だけだからと言われて、正直いつもあれこれ目配りをして診ているのにと寂しい気がした。それに血圧だけと言われるほど、血圧の診療は簡単なものではない。
満月の月明かりで診療している私は部分部分ではとてもサーチライトには敵わない。しかし曲者はサーチライトよりも満月の月明かりを嫌うだろう。克明には判別できなくても、全体を診る力と全体から判断する力は月明かりの人の方にあると思うのだが。