駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

歴史を遡る意味

2011年12月16日 | 小考

     

 元サッカー全日本代表監督岡田武史氏が中国のプロサッカーチーム杭州縁城の監督に就任すると報道されている。これは彼のチャレンジ精神の表れで火中の栗を拾う英断だと思う。しかし多少心配もある。つまり彼の国で何処まで十全の采配が振るえるだろうかという懸念だ。シンクロコーチの井村雅代氏の前例もあるから、かなりやれるとの見方もできるが、裾野が広く熱狂ファンの多いサッカーで同じように出来るだろうか。唯、日本サッカー協会は、敵に塩を送るとはけしからんなどとは言わないと思うので、そうした身内の圧力は感じないで済む。

 なぜこんなことを言うかと言えば、彼の国はインモラルというよりもアモラルの雰囲気を漂わせているからだ。限られた情報なのでどこまで正確かは分からないが、彼の国は何でもありに見える。青少年期に親しみを覚えた漢詩、西遊記や水滸伝とは違った横顔を見せている。歴史を遡るとは、現在の理解を深めるために過去を知ることを意味するはずだが、どうも中国の場合は現中国が木に竹を継いだ国に思えるのは過去の歴史理解に不十分なところがあったからではないかと見直しを迫られる気がする。漢詩、西遊記、水滸伝などはかなり日本風に勘案されていた疑念が湧いてくる。どうも元々何でもあり、唯我独尊でご都合主義のアモラルの素地があったのではないかと、少数の専門家はともかく多くの日本人は学び直す必要があるかもしれない。この分析がいくらかでも中っていれば分かっていた専門家は日本政府のために忠告していただきたい。

 歴史見直しはともかく、岡ちゃんは真価が問われる。本物は何処でも通じることを示して呉れると期待している。

 

 

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中待ちという工夫

2011年12月15日 | 診療

      

 当院は四十坪ほどで、広くはないがそれでも診察室の前に中待ちがある。果たして外国の医院に中待ちがあるかどうか。欧米にはないと思うが、アジアではどうだろうか。日本特有の工夫のような気もする。

 なぜ中待ちがあるか、それは恐らく呼んだら直ぐ患者さんが入って来れるようにとの工夫だと思う。待合室から中待ちまでたかだか5,6mの廊下などゆっくり歩いても数秒で、さほどの時間短縮も期待できない気がするのだが、中待ちの患者さんの多くは次は私あるいは俺と半ば腰を浮かして待っており、呼ぶと直ぐ入って来られることが多い。待合室の混雑からゆっくり来られるよりは確かに十数秒の短縮ができよう。  

 まあ、それでも狭い日本そんなに急いで何処へ行くという気もする。なんだか知らないけれど、さして重要人物でもない人も急いでいるのが日本である。

 このほかに中待ちには、一体いつ呼ばれるかとイライラしている御仁を一旦、落ち着かせる効果がある。中待ちに呼ばれればとあと何人でどれくらい待てばよいかはっきりするので、イライラも減るというものだ。

 通いなれた患者さんの中にはちゃっかり婦人も居て、呼ばれてないのに中待ちで待っていたりする。**さんと呼ぶと、この方が先ほどからお待ちのようですが、と呼ばれた患者さんが聞くことがある。当院はこういう時のために番号札をお渡ししてある。貴女は18番そちらの方は22番ですから大丈夫ですよと入いって貰う。

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サンマは目黒でも看護師は

2011年12月14日 | 医療

   

 看護婦が看護師と呼ばれるようになって十年くらいた経つ、今では私も看護師さんと呼ぶようになった。でも、本当は看護師は大和なでしこが一番と内心思っている。

 それは勿論、いろんな看護婦が居て、みんながみんな素晴らしいわけではないかも知れない(意地悪も居る)が、男性の看護師は力技に優れても、どうしてもきめ細かい優しさではあと一歩女性看護師に及ばない。異論反論はあろうが、私の実感である。

 看護婦はナイチンゲールとも呼ばれた。

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冬の時代ではない?

2011年12月13日 | スポーツ

 

 柔道グランドスラム東京で男子重量級はベスト8止まりだった。男子重量級は冬の時代と報じられているが、そうだろうか?。日本発の格闘技だから日本が一番でありたいのは分かるが、同じ格闘技のボクシングやレスリングを見れば分かるように男女とも重量級では苦戦をしている。ここはやはり、人種的な体格体力分布を冷静に受け入れるのがよいと思う。重いクラスの重量挙げで日本が勝てないのも同じ理由だろう。

 男子重量級は柔道の華だから負けるのはけしからんという思考は無用な圧力を選手や監督に掛けることになる。そして競技規則が日本人に不利になったとか、重量級は精神が弛んでいるといった無体な批評が出てくる。こうした報道や発言をする報道陣やスポーツ評論家は愛の鞭だと思っているのかもしれないが、却って監督選手の足を引っ張っていると思う。

 枝葉末節に捕らわれず本筋を見つめて、切磋琢磨で伸び伸びやらせることで人は育つのではなかったか。例えば、碁に木谷門下というとんでもない数の強豪を輩出した一門があるが、その育成法から学ぶことがあるような気がする。柔道と碁では違うと言う人もおられるかもしれないが、頭と身体で人を伸ばす育成法にさほど違いはないのではと思う。

                 待合室季節の飾り:事務長コレクション

 

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民主政治に欠かせないもの

2011年12月12日 | 小考

  

 民主政治は選挙によって、民の意思が反映されて最低ラインが保障されている。だから選挙に不正があれば、民衆の声は変容し民主主義的とか民主主義風になり下がってしまう。その点、日本ほど厳正な選挙が行なわれている国はないだろう。日本人の細かいところにこだわり正確さを愛する特性が良い方向に効いている。

 民主主義の手本を持って任ずるアメリカも選挙となると、不正はなくても?不正確がまかり通るようで、フロリダ辺りは相当ルーズらしい?。

 ロシアとなると不正確は勿論不正も相当あるらしく、プーチンの長期政権の弊害が出始めている。プーチン直々の指示はなくとも以心伝心あるいはプーチン政権下で利益を得ている連中が選挙管理人にも居て、怪しげなことが行われたらしい。

 政治には手続きが必要でこれを正確かつ効率よく行わないと、もたらされる結実は、身が細り期待と違う味わいになってしまう。日本は正確の方は得意だが効率の方には相当の問題があり、百億つぎ込んでも民の手に渡る頃には半分以下の四十億程度の結実ということがあるようだ。たとえ汗水たらして絞り出した税金でも、行政の人が他人の金感覚では効率も下がろうというものだ。支払った税金の使い道に選挙管理と同じ厳しい目を注ぎたいのだが、どうしたものか。

                         待合室: 師走の絵

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