駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

指名は受ける

2011年12月17日 | 小考

      

 今は昔と言ってもたかだか四半世紀前までは当然のことだった。学会で顔見知りになったD先生、関西の大学の医局におられたのだが、「お前は岩手出身だな、じゃあ埼玉は近いだろう」と群馬の病院に出張させられましたと苦笑?しながら話してくれた。「関西の人は箱根の向こうは一緒くたで区別が付かないらしいんですよ」。

 大学によって差はあるけれども四半世紀前までは、教授の一言で大学の系列病院へ赴任させられた。どうだと言われればまず断れない、まして頼むと言われれば、否とは言えない。またそれを受け入れる気風があった。人生至る所に青山ありで、縁もゆかりもない町へ渋々あるいは意気揚々と先輩達は出かけた。患者が居ればどこも同じと、土地に馴染めば、出張先の病院に十年勤めて、医局に義理は果たしたと、近傍で独立開業しその町に骨を埋める医師は無数に居た。今でも、大学の研究室や講座に所属する医師は、都合や意向は聞かれ絶対の命令ではなくなったけれども、ある時期になれば関連の病院へどうだと副部長や部長で派遣されることも多い。

 影の権力者となった医局長が金品を受け取って医師を派遣するような腐敗脱線は困るけれども、診療技術が熟練者から未熟者へ切磋琢磨しながら伝えられる物である以上、教授を長とする組織が仲間意識を育み、上司に恩義を感じる気風が生まれるのは自然のことで、今でも縁もゆかりもない土地へ教授に頼まれて草鞋を脱ぐ医師は多い。医療界にはそれを天命と受け取る心が残っている。                  

 津々浦々何処にでも病人は居る。どこで医師として生きるかには賢しらな人知は及ばないと、教授の言葉を諒と受け取る気風が実は人を生かしてきたのかもしれない。。

 

コメント
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