駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

悲運だろうか

2011年12月21日 | 人物、男

     

 西本幸雄さんが亡くなって一ヶ月になる。北朝鮮で将軍様と呼ばれるキムジョンイルが突然死した。悪ふざけが事実となって重くのし掛かる国の、冗談を凍り付かせる人物の死は政治世界に大きな波紋を投げかけたようだが、私は将軍様と呼ばれる人物の生涯がどのように総括されるのかにさしたる興味はない。

 将軍倒れるの報に接し、なぜか急に西本さんを悲運の監督と呼ぶタイトルが思い出され、そんなことはないという思いが心に浮かんだ。多少不運?ではあったかも知れないが悲運とは総括できないと思う。多くのファンに親しまれ愛され、ぶん殴っても恨まれなかった男が悲運だろうか。日本シリーズ制覇がならなかったことは残念かもしれないが、一度優勝し一勝七敗では却って無残な感じがする。日本シリーズ全敗は価値ある仕事、リーグ優勝八回は見事な功績だ。

 妻の父親が大の西本ファンだった。ああそうかと思って西本の顔をじっくり見たことがある。成程味わい深い、いい顔をしている。関西の少年であったなら私も熱狂的な西本ファンになっていただろう。

 なんだか本当にいい男が減っていくなあ。

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苦肉の診療のコツ

2011年12月20日 | 診療

      

「患者を速く診るにはね、患者の眼を見ないことだよ」。と元循環器部長。そういえば現循環器部長のT先生も「患者さんを沢山診るには患者に触らないことだよ」。と呟いていたな。

 同窓でない医師が数名居たせいか、じろっと見られたのを意識してか「そんなこと言ったかな」。と元循環器部長はとぼけてはいたが、ポロリ漏らした神風診療の極意なのだろう。ゆっくり十人診れば、疲れたと院長室に引っ込む院長の分まで五時間で百人診るために編み出したあるいは見出した極意だったのだろうと思う。

 三十年前だからさほど問題にならなかったのか二分で納得させるオーラを放っていたのか、今ではパソコンばかり見て検査検査という不満、批判が聞かれる。

 勿論、これを直ちにけしからんと言おうと取り上げたわけではない。何よりも現実を知ってほしいと願うからだ。病棟の患者も診なければならない勤務医が時分どきに昼飯も食べられず六十人七十人の外来患者を診なければならない。三時間待って三分診療と揶揄されたけれども、三時間待たせて三分で診療する身にもなって欲しい(三分で診察しても実際には一人四分掛かる)。どうして長く待たされた揚句流れ作業のような診察の大病院へ押し掛けるのか不思議な気がする。設備の揃った大病院の部長に診て貰っておけば大丈夫と感じるのだろうか?。

 この十年、地域の医師と病院勤務医の役割分担が進み、病院外来の混雑が一時ほどでなく和らいだのは合理的で望ましい変化で御同慶の至りだ。

 

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本当にいる名人

2011年12月19日 | 医者

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 医療、特に外科系では技術力が大きな部分を占める。そのせいか外科医には手術の上手い伝説の人が居る。手術が下手というと、言い過ぎで本当に下手な人は淘汰されるから、名人、上手に並と分けられよう。誰でも努力研鑽で上手には成れるが、名人は生まれるものらしい。私の故郷に半世紀前M先生という外科医が居た。手術が上手いと評判だった。子供で医者ではない私には何がどう上手いのかは分からなかったが、秘かに尊敬していた。

 医者になって十年くらいしてから、東京生まれ東京育ちのK先生とタクシーに同乗した時私の田舎を聞かれた。ああ、あそこ、M先生が居るねとM先生の話になった。K先生がMGH(マサチューセッツジェネラルホスピタル)に居た時、日本から来ていた麻酔科医が地方に凄い外科医が居るとM先生のこと話していたと言う。「切っても血が出ない、あんな凄い外科医は見たことがない」と。大学紛争の時代で、大学に居てもしょうがないと麻酔をかけながら全国を渡り歩いていたその麻酔医にM先生は強烈な印象を与えたのだ。

 手術の上手下手などと言うことは一般の人にはなかなか分からない。麻酔科医や看護婦が感心して漏らした言葉が広がって伝説の名人は世に知られるようだ。

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料理は皿の上だけ?

2011年12月18日 | 小験

      

 雑誌とインターネットで美味しいと評価されている中華を食べに出かけた。予約の電話の感じが悪かったそうだ。子供はいいが大人しくしているか、小学生の子供にちょうどよい量なので子供にも一人前のコースを勧められた。そう言われればではとなるが、大人には量が少ないんではないかと妻の反応。

 確かに独特の調理で美味しかったのだが、コックがのっそり後ろに立って「美味しいか」と聞かれては、「美味しい」。を強要されているようで、折角の美味しい料理がと感じてしまう。量は確かに少なめで、子供でも八割方食べることが出来た。

 わざわざ出かけてきたしそれなりのお値段なので、美味しく楽しく戴きたい。美味しかったけどなんだかという感想ではリピーターにならない。調理人は調理の腕だけで客が呼べるとは限らない。

 それは料理人に限らない、町医者も同じ。

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指名は受ける

2011年12月17日 | 小考

      

 今は昔と言ってもたかだか四半世紀前までは当然のことだった。学会で顔見知りになったD先生、関西の大学の医局におられたのだが、「お前は岩手出身だな、じゃあ埼玉は近いだろう」と群馬の病院に出張させられましたと苦笑?しながら話してくれた。「関西の人は箱根の向こうは一緒くたで区別が付かないらしいんですよ」。

 大学によって差はあるけれども四半世紀前までは、教授の一言で大学の系列病院へ赴任させられた。どうだと言われればまず断れない、まして頼むと言われれば、否とは言えない。またそれを受け入れる気風があった。人生至る所に青山ありで、縁もゆかりもない町へ渋々あるいは意気揚々と先輩達は出かけた。患者が居ればどこも同じと、土地に馴染めば、出張先の病院に十年勤めて、医局に義理は果たしたと、近傍で独立開業しその町に骨を埋める医師は無数に居た。今でも、大学の研究室や講座に所属する医師は、都合や意向は聞かれ絶対の命令ではなくなったけれども、ある時期になれば関連の病院へどうだと副部長や部長で派遣されることも多い。

 影の権力者となった医局長が金品を受け取って医師を派遣するような腐敗脱線は困るけれども、診療技術が熟練者から未熟者へ切磋琢磨しながら伝えられる物である以上、教授を長とする組織が仲間意識を育み、上司に恩義を感じる気風が生まれるのは自然のことで、今でも縁もゆかりもない土地へ教授に頼まれて草鞋を脱ぐ医師は多い。医療界にはそれを天命と受け取る心が残っている。                  

 津々浦々何処にでも病人は居る。どこで医師として生きるかには賢しらな人知は及ばないと、教授の言葉を諒と受け取る気風が実は人を生かしてきたのかもしれない。。

 

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