駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

まともな橋下

2011年12月26日 | 政治経済

    

 大阪市長になった橋下氏のことを詳しくは知らないのだが、昨日テレビで初めてある程度まとまった形で本人自身の口から政治姿勢と方針を肉声を聞くことができた。

 公務員の免職について「今はできない。ただ、通常の事務をやる公務員や教員に対し、絶対的な身分保障を前提にしないといけない理由は分からない。安定した生活を求めるなら民間、不安定で厳しいが尊敬されるなら公務員、という価値観の大転換をしないといけない」など・・の発言はまっとうに思える。

 断片的な報道で唯過激な改革者のイメージが作られているが、橋下氏は謙虚でまともな印象を受けた。あれだけ卑劣なネガティブキャンペーンを張られても、勝ち抜いてきたのだから当然図太い神経も持ち合わせているはずで凄い人だ。

 改革には軋轢と痛みが避けられない。緩慢に穏やかに改革をすることはできない。緩慢穏やかに起きることは人為の及ばない変化で、改革とは違う。既得権益を守ろうとする勢力の手段を選ばぬ攻撃に負けないのはやはりまともだと見ている市民の支持があるからだろう。何がどうあれ選挙で支持された彼の身の安全を祈りたい。

 

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幻想行程

2011年12月25日 | 町医者診言

      

 あれ字が違うと思われたかも知れない。確かに玄宗皇帝が当初目指した国作りのように理想を目指している点ではちょっと似ているが、変換違いではなく理想の医療をちょっと揶揄しようという私の造語だ。

 私の書斎にはいつも医学雑誌が溢れ、三分の一も読めず、時々途方に暮れるのだが、それを助けようというのか、様々な疾患の診療や治療のガイドラインやマニュアルが出ており、その内の十冊ばかりが置いてある。実はこうした疾患の診療治療のエッセンスをまとめた本(大体A4百ページ前後)は数十冊とあるようだが、前線の内科医の私には取り合えず十冊ほどで間にあう?。高血圧、高脂血症、糖尿病、肺炎、慢性腎障害、脂肪肝、慢性閉塞性肺機能障害、動脈硬化、慢性咳嗽、慢性肝炎、インフルエンザ・・などである。

 百ページはまとめた先生方はコンパクトで読みやすいと自負自賛しておられると思うのだが、読む方には内容が濃く中々読み応えがあり、歯ごたえ十分というか歯が欠けそうになる。椎茸で歯を痛め笑われた寅彦先生の肩を持てば、椎茸は時にかみ切れず結構難敵である。それはこうしたガイドラインマニュアルにも言える。しかも中高年になるとこうした疾患を複数抱えた患者さんが多く、あちらを立てればこちらが立たずということが起きてくる。それに丁寧に従えば医療費も嵩む。それが本筋と言われても、おいそれと行かないことも出てくる。

 幻想とは言い過ぎだとは思うが複数の疾患を抱える多くの患者に、それぞれガイドラインを遵守させることは中々難しく、どうも幻想に思えて幻想行程などと苦情を言いたくなる。

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23日の祭日は

2011年12月24日 | 町医者診言

      

日本は年末年始に長い休みがあるので、業種によっては年末に仕事が詰め込まれる。医療もそうで、町医者は年末になると風邪っぴきに加え、連休前の受診が増えて、てんてこ舞いになってくる。忙しい時の休日は、身体が休めて良いようではあるが、23日は一番患者さんの多い時期で、この日の休診の為に前後で余計に患者さんが込み合ってしまう。年末年始には休めるので、ここは働きたい。天皇誕生日が年末の場合は休まない祝日に出来ないものだろうか。

 まさかこんな呟きでけしからんと怒る人はいないだろう?。

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モザイクに生まれて

2011年12月23日 | 身辺記

      

モザイクに生まれてなどと書くと何か欠陥がおありか(欠点は多い)と同情の目で読み始められるかも知れないが、ちょっと違う。なんだ俺もそうだ私もそうだと思われること必至のことだ。

 どのように配偶者を選ぶか、科学的なデータがあれば面白いのだがよく知らない。長く連れ添うとまあ似たもの夫婦になってゆくことが多そうだ。というか理解するようになるというか理解できなくても許容出来るようになる。でなければ長く一緒に暮らせない。自分にないものを求めて配偶者を選んだ場合、子供は私のような気持ちを味わうことになる。

 私の父と母は水と油で、絶え間ない犬も喰わない出来事で鎹(かすがい)としてはそこそこ苦労したのであるが、還暦を過ぎて思わず父と母を意識させられることがしばしばある。

 というのは、自分の中の父と母の要素に戸惑うのだ。戸惑うというか苦笑させられるといった方が良いかも知れない。父から譲り受けたものと母から譲り受けたものは実は混ぜ合わされないでモザイクのように私の中に存在する。これは感覚だけでなく、遺伝学的にも説明できる。だから、何かをやろう決めようとする時に、水と油だった父的要素と母的要素がせめぎ合うことがしばしばで、やれやれと思ってしまう。

 私は幸い経済的に恵まれているので高級ホテルに泊まることができる。しかもこうした贅沢を夫婦や家族で泊まる場合には何の引っかかりもなく気持ちよく自然にできる。ところが自分のことでは、恥ずかしいくらいケチケチおどおどしてしまう。たかだか数十円の違いでも、安い方を選んでしまう。駅弁などどれにしようか迷うのだが、お値段に目が行きなかなか千円までの物には手が出ず、せいぜい八百円どまりだ。どちらが父でどちらが母かは言うまい。

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今もある白河の関

2011年12月22日 | 世の中

     

 東日本大震災と言いながら主な被災地は東北福島宮城岩手三県である。再び極寒の冬を迎えようとする被災地の困窮は日に日に報道から薄れ、既に忘却が始まっている。あまつさえ泥鰌首相に至っては原発事故収束宣言をした。

 設問:「臭いものに蓋」の例を挙げよ。の答えに真っ先に思い浮かぶ行為だ。

 東北は熊襲の産地、文化程度も極めて低いとした佐治敬三元サントリー社長の発言を思い出す。これは本音と言うか深層心理が漏れ出た見解で、中央で中枢に近い権力志向で文化程度の浅い人達の行動原理だろう。

 被災者を励ます催しには、正直申し上げて励ます側の都合が含まれている。痛みを引き受けること、例えば放射性廃棄物を受け入れる(受け入れるように訴える行動を起こす)とか、被災者に居住地を提供するとか・・・持続する援助こそ、本当の支援だと思う。

 寒い朝、思わず東北の遠さを思い起こした。果たして、まさかの時の友達であったろうかと胸に問いたい

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