駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

辛い朝

2011年02月17日 | 身辺記

 昨日の午後、人生で辛いことのベストテンに入る歯痛で歯科を受診した。若先生が大先生の指導のもとにこれだなと虫歯を削ってくれた、大先生よりもかなり丁寧で優しい。しかしそれが良いとは限らない。多少乱暴でも辛い時間は短い方がよいのだ。処置後の歯が未だ少し痛む、ちょっと不快。   

 以前描いた絵が完成?したのでアップしておこう。下手な写真ではどうも白がきつく出てしまう、これほどのコントラストはないのだが。額はまだだ、たぶん茶系統のシンプルなものになるだろう。絵に描いてあるような甘いものを食べ過ぎたらしい。

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国語力不足

2011年02月16日 | 町医者診言

 メドべージェフ大統領の択捉国後訪問は暴挙だから暴挙だと言ってどこが悪いかと言うのが、首相や外相の見解のようである。そうだろうか。外務省はどういうアドバイスをしているのかと、不思議な気がする。(まさか北方領土返還などどうせ実現できないと、ガス抜き芝居を打たせているわけではないだろうな)。

 北方領土を戦争で取り戻す気ならそう言っても良いだろうが、そうではないわけだから暴挙などと相手を否定し挑発するようなことを言うのは賢いとは思えない。一時の怒りの発露を求めただけの発言は 深謀遠慮を欠く軽挙妄動の人には、歓迎されるかもしれないが、それはその場限りの快哉で、結局は反発を買い、失う物の方が大きい。北方領土はこの発言で何百キロも遠ざかったと思う。毅然とした態度は断固必要だが、感情的な発言は外交的には得策でないと素人ながら申し上げたい。

 前原外相は国民の気持ちだとか言ったらしい。確かに気持ちかも知れないが、日々を凌いで生活している国民はそれをそのまま口に出すほど阿呆ではないと思う。いかにも青臭い発言で、何年政治家をやっているのかと聞きたくなる。

 暴挙の前にも沖縄は基地を甘受せよと言う発言があった。甘受は受ける側の人の使う言葉で押しつける側の言葉ではない。首相の国語力不足が露呈していた。

 そしてここに来て前首相の方便発言が出てきた。国民を虚仮にしては何も生み出せない。馬鹿正直な政治家は正直ではなく馬鹿だと言うことをご存じないとは、恐ろしい気がする。尤もそれを承知で、鉄面皮な官僚の狡猾さを暴こうとしたのかも知れないが、既得権側は巧みに視点をずらし、前首相の不明を浮き彫りにしてきた。返り討ちでは非力で愚かと言うしかない。

 言葉を自由に駆使できない国語力不足は即ち未熟な政治家と言うことだ。現政権は脳味噌を洗って出直しては如何という一国民の苦言を甘受していただきたい。

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頭と身体のバランス

2011年02月15日 | 診療

 老化は個人差は大きいが誰にも避けられない変化で、還暦を過ぎればどんなに若さを誇る人も何某かの衰えは自覚されるであろう。記憶力の低下と足の衰えが恐らく一番多い自覚症状で、外来でしょっちゅう聞かされている。

 人間の尊厳はその精神にあるというわけで、頭の働きの衰えを重視される方が多いだろうか。一方、身の回りのことは自分でしたいと身体の動きを重視される方も居られるかも知れない。いずれにしても頭と身体の衰えはいつも同程度というわけではなく、バランスを欠くことがしばしばであり、何とも言えず微苦笑せざるを得ないことがある。

 身体能力は保たれスタコラ歩けるのに脳力が衰え家の周りで迷子になって警察のお世話になるお爺さんやトイレ歩行が出来ずお襁褓をしながら頭脳明晰で新聞を拡大鏡できちんと読んで「菅さんは駄目ね、見損なったわ」。などと一刀両断のお婆さんが居る。

 Mさんは92歳、十年くらい前から少しずつ認知が始まり、物盗られ妄想や幻聴などがあったが、今ではそれも著しい記憶障害と共に消え去り、自分の名前も分からず、椅子に座ってくださいといった簡単な指示も理解できなくなった。運動能力は良好でわずかな亀背はあるが、杖なしでさっさと歩ける。六十代の息子さんが連れてこられるが、まるで子犬を連れているようで、ひどい扱いだなあと当初は戸惑った。しかし今ではMさんには大変申し訳ないがやむを得ないかと思うようになった。ちっともじっとしておらず、診察室の机の上のボールペンをいじくり回す、血圧をなだめすかして測り始めると痛い痛いと大騒ぎをしてマンシェットを外しにかかる。駄目駄目と力づくで測ろうとすると噛みつこうとする。百万年も先祖返りをしたかのようだ。

 避けられないとしたら老化はバランス良くと思ってしまう。唯、踏み込んで言えば、どうも得意分野は衰えが遅く苦手分野の衰えは速いようで、望むようには行かないかも知れない。

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ムバラクを倒した力

2011年02月14日 | 町医者診言

 ムバラクが辞めた。国民の強い意思表示が功を奏した。しかしまあ、これは第一ラウンドが終わったに過ぎない。自立した機能する政府を樹立し、過去の腐敗を精算して、次の一歩を踏み出せるか。実のところ破壊よりも創造の方が難しいのが常だ。ムバラク降板に力あったインターネットが民主的な新政権樹立にも力を発揮できるか、注目される。

 翻って日本ではインターネットによる情報がどのように機能しているだろうか。まだ既成の既得権擁護のマスコミが主流で、既得権に都合の良い情報を通り一遍に流しているようだ。しかし、明らかな変化も見える。マスコミがインターネットの情報を気にし始めているのだ。これからどうなってゆくのか注目している。

 政治的な判断の拠り所は何よりも事実が一番である。とは言っても、この複雑多様で情報の溢れる社会では到底全てを知ることはできないので、肝腎要な部分を見破って掴むことが鍵になる。その鍵になる情報をインターネットは開示し始めていると思う。

 例えばムバラクがどのような人物で何をしてきたかを詳しく知らなくても29年も権力の座にしがみついていたという事実だけで、自己肥大の権力亡者だと断罪できる。マスコミの報道も各社が通り一遍同じ基調であるということで、その信頼性が怪しいことがわかる。インターネットは玉石混淆ではあるが、多様で誰にも開かれている。勿論、誰でもと言っても使える人にしかわからないし、極論を流し続ける人達、後押しで騒ぎ立てる人達、実人生の乏しい人達など、ある種の偏向から自由ではないが、少なくとも多様性と公開性で情報の新鮮度信憑性を増強確保して大マスコミに伍す力と機能を持ってきていると思う。

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電話は良い風呂かなあ。

2011年02月13日 | 診療

 昔懐かしいコマーシャルに伊東に行くなら**屋、電話は良い風呂と言うのがあった。もっと古いのに****は一番電話は二番というのがある。

 電話歓迎というわけだが、そうかねー。電話当番や電話係が居るところは、それでよいのだろう。しかしまあ、町医者になってごらん。電話は暴力に思えてくる。さすがに真夜中はないが、自宅でのんびり音楽を聴きながら仕事の疲れを休めていたり、衛星放送の映画を見ていると、電話が掛かってくる。覚悟して町中の臨床医になったのだから、かかりつけ患者さんの急病のことなら楽しみを中断されても諦める。しかし、そういう電話はむしろ少ない。

 一昨日も楽しくない電話が掛かってきた。夕食後書斎でショパンを聞きながら夢心地で居たら電話のベルが鳴る。中年女性の声、「あした、お宅に掛かりたいけど、どうやって行けばいい」。それが午後八時にする電話でしょうか?「えーっと、**の駅前ですけど」、名も名乗らぬ輩にむっとしたので「どちら様ですか」。「い-え、構いません」、ガチャと切れた。

 ちょっと怒気を含んで言ったのが悪かったか、何が構いませんだ。電話というのは相手が何をしていようとお構いなしなのをご存じないのだろうか。電話帳、インターネットそして市の配布情報など、当院を探す手立てはいくつもある。要するに思い付いて自分の都合で掛けてくるのだ。おかげで夢心地はどこえやらだ。それに最悪であるが、怒ったのが分かったせいだろう、それらしき人は結局来院しなかった。三方三両損だ。

 世の中には無神経な人、自分勝手な人が限りないわけだから、こうしたことで腹が立たないようになりたい。残念ながら、凡夫の私には難しい。

 私の仕事はもっと大変とか、医者は儲けているからそれくらい当然と言ったご意見は、既に伺っていますので、どうぞご遠慮下さい。

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