駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

怪しい時代に

2011年02月01日 | 世の中

 今日から寒さが和らぐと予報を聞いたが、相変わらず異例に寒い。2011年ももう二月。二月は逃げると言うから、寒い寒いと言っている内に通り過ぎてしまうだろう。

 身に浸みる寒さからなぜか昭和十年代を思い起こす。とは言っても自分に昭和初頭の記憶があるわけではない。学校では昭和の歴史は時間切れ?で、殆ど学んでいないし、父も母も日本がだんだん正気を失って行く時代のことはなぜか語らなかった。だから戦前の昭和に起きたことは断片的にしか知らない。

 しかし何だか今はどこか道を踏み外して行く昭和の初めに似ているのではないかという感じがする。長引く不況、力不足の首相内閣、機能しないマスコミ。たじろぐ大衆。

 混迷の中に活路を見出したいのだが、どうすればよいだろうか。私の感覚では情報の公開、沈思黙考、意見交換が鍵に感じられる。暫く前にディスカバージャパンというJRのキャンペーンがあったと記憶する。直接の記憶のない時代を考証することは重要なのだが、まずは誰にでも出来る生きてきた戦後史を見直すことが第一歩だろう。そこから明日を切り開く道が見付けられるように思う。

 飛躍するようだが、まず誰もが切実に感じるお金だ。よく言われることだが、税金を自分の財布の中のお金だと思って、使われ方に眼を向けたい。びた一文無駄には使わせない検証ができれば良いと思う。人間はどうしても自分に甘い、仲間に甘い。第三者の目が必要だ。そうでなければ、自分が苦労して稼いだ大切なお金を税金に出せない。公務員の給与はどこから出ているかを思い起こしたい。食いはぐれがないから役所に勤めたいなどという人は採用しないようにできないものか。

 これは非常に難しいことだが、行政の責任を個人の段階まで問えるようにする必要がある。唯でさえ保身の傾向があるお役所だが、それを打破する方向で責任を問えるようにしないと、本当の構造改革はできないと思う。

 新しい情報伝達の道具、インターネットがこうした改革を可能にする力を持っていそうだ。もとより、何が無駄か何が失政かは極めて難しい判断なのだが、そこに踏み込む手立てと力を納税者の国民が持つことが重要なのだ。

 なんだかちぐはぐで妙な文章になってしまった。年を取って政治への関心が高まったのはいいが、残り時間が少ないせいか短兵急になってしまうのだ。

コメント (2)
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