駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

寒風に呼び覚まされる

2010年01月30日 | 小考
 窓越しに澄んだ青空が好天を告げているのだが、外に出ればぴゅーっと寒風が頬をなぜ、「おー寒」と首を縮めて歩き出さねばならない。どこか悲鳴に似た風音と身に染む寒さが記憶を呼び戻す。なぜか帰り道、校庭のゴールポストや街角の電柱に寒風が絡まって吹いていた何十年前の光景が脳裏を過ぎる。何だかどうもその記憶は父母だけでなく、祖父や祖母も感じたに違いない懐かしさに連なっている気がする。
 人間の記憶は不思議なもので、幼い時に聞かされた話は自分の体験のように感じられる。母にしたところで、自分が聞かされた明治の村境の水争いで活躍した曾祖父の話を、そのまま懐かしそうに話してくれた。何時も手に汗を握って聞いたものだ。父もよく満州がいかに寒いかを話してくれた。親父はちょっと吹く傾向があったので、今から思えば小便がそのまま凍るのは少し脚色されているような気もするが。
 幼心の記憶は身になり、明治なぞ体験しないのに草田男の句がよく分かる。果たして自分が子に語り継ぐ話を持っていたか、孫に語り継ぐ昭和の世界があるか心許ない。それでもなにがしかを語り継いでゆきたい。物事の理解、殊に人間世界の理解には厚みが必要だと確信している。目まぐるしく節操もなく騒ぎ立てるマスコミ情報ではなく、じっくりと先達や親から語り継がれた世界を伝えなければ彼らが自ら道を開いて生きて行けるとは思えないのだ。
 
コメント
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