駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

経済診断治療の難しさ

2010年01月03日 | 政治経済
 風邪は万病の元などと云うが、病気の数はいくつぐらいあるだろうか。万はなくとも千はある。われわれ町医者が対応できるのはせいぜい百程度であろう。
 勿論、個体差があるのでそれを考慮すれば町医者もそれこそ万に近い病態に対していることになるのだが。
 なぜ風邪は万病の元と云うか、それはおそらくどんな病気も風邪のように始まると昔の人は感じたからだろう。これは今も真実で、どこか調子が悪いと風邪を引きましたと医者に罹る人が多い。
 それを患者の云うまま病歴に二三日前から風邪を引いて来院などと書こうものなら、教授に厳しく指導されたものだ。昔の教授は厳しく、カルテを破って捨てられた研修医もいた。病歴は病気の診断に必要な情報を過不足なくわかりやすく記録するもので、読めば鑑別すべき病名が自然浮かぶようなものでなければならない。素人である患者の考え、ましてお前のような未熟医が診断を書くところではないと云うわけだ。
 まあ昔話はともかく、病気の診断は自他覚症状から迫って行けば概ね正解に辿り着く、中には更に踏み込んだ特殊な検査を必要とする病気もあるが、症状が出揃えば大きく外れることはない。診断が付けば治療には標準的なものがあるのでそれに準拠すればよい。
 それでも時に間違いが起こる。それは、妙な予断があったり、忙しくてきちんと病歴をとる時間がなかったり、あるいは患者さんの協力がなかったりする場合で、魔が差すというかいくつかの不具合が重なった事例だ。昔から要注意と申し送られているのが終診間近に駆け込んでくる患者だ。職員は早く帰りたい職員を早く帰したい。ぎりぎりまで我慢して2分前で間に合った、時間内だ何か文句あんのかという態度・・・、間違いが起こるわけだ。
 なんだか前置きの方が長くなってしまった。現在の経済の状況は長患いで、終診時に駆け込んできた患者に似ているとも思えないのだが、どうも経済の専門家の診断と治療は多様で一定しない(ように聞こえる)。
 日本経済は風邪では済まない状況のようだが、経済専門家の話を聞いていると、人によって大きくあるいは微妙に診断と治療が異なる。人と同じことは言いたくないのではないだろうかと余計な半畳を入れたくなる。唯一、一致しているのは現政権の方針に点数が辛いことだ。
 厳しい批判を聞いていると、ではあんたならどうすると、こうした専門家や評論家の誰かを経済担当閣僚に採用してみたくなる。榊原英資氏などは火中の栗は拾わないのだろうか。
 
 
 
コメント
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