駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

優先順位を見極める

2010年01月25日 | 町医者診言
 物事には優先順位がある。個人的なことにも国家的なことにも。
 個人的な事柄の優先順位は間違えることもあるが、痛み解消を優先してゆけば大間違いは少ない。十年後に持ち家をとか深謀遠慮が必要な事柄もあるが、それは後回しも可能だし一歩一歩の積み重ねで対応できる。痛みにも色々あるが、まあ命あっての物種と健康に関する痛み優先が賢明だろう。
 ところが国家の優先順位となるとこれは難しい。優先順位の判断はさほど難しくなくても、それを納得させるのが難しい場合もある。
 国家の痛みは国民一人一人の痛みの総和になるのだが、和は大きくても個々の痛みは軽度で痒み程度のことも多いのだ。まあ痒みも辛いのだが時には快感でもあり深刻さ緊迫感はさほどでないこともある。一部の人に多大な痛みがあっても一部であれば総和は大きくなく、他の人は痛痒を感じない。沖縄の痛みをどれほど本土の人が感じているだろうか。
 それに空騒ぎというかけしからんと付和雷同するだけで中身のない関心事などは足しても大した量はなく見かけだけの事柄もある。
 鳩山首相は優先順位を見極め、しかもそれを国民に納得できる形で提供する責務がある。言い募るだけで中身のない言葉を打破し、当事責任者は前へ進むことだ。
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コントラクトブリッジの楽しみ

2010年01月24日 | 趣味
 コントラクトブリッジをやる、といっても月に一回の会に半分くらいの出席率だ。前期高齢者を中心とした7,8名の集まりでおしゃべりしながら数時間楽しむ。もう十年近くやっているのだが、五十半ばで始めたからという言い訳をする万年初心者だ。
 ブリッジの面白さはカードの出し方の他にコントラクトの成立にペアとのコミュニケーションと相手の出方が絡むところにあると思う。何も賭けないのであれば麻雀よりも面白い。夜やっても静かで会話が楽しい。女性が半数でいろいろつまむ物を持参されるのでそれも楽しみだ。アメリカとカナダ生まれの白人女性(五十台?)が二人、共に日本の男性と結婚され当地に住んでおられる、が参加される。彼女達はブリッジを楽しむと同時に英会話を楽しんでいる。普段なかなか英語で早口におしゃべりする機会が少ないらしい。
 夫婦は残念ながら一組しかいない。どうも日本の女性は、家内もそうなのだが、衆人環視の中で夫にそんなカードの出し方はないなどと注意されるのに耐えられないらしい。これは注意する方にも注意の仕方に問題があると思うが。何度も誘ってみたのだが、嫌だというので今は諦めている。
 昨夜はいつも人のプレーをあれこれ喧しく批評されるS氏が欠席で、ゲームの合間にF婦人特製の餃子を頂きながら、初心者ものんびり楽しい時が過ごせ有り難い土曜の夜であった。
 ゲームそのものの面白さは碁将棋が勝るように思うが、仲間と楽しむにはブリッジの方が向いている。老後にもよいが、まず大人の楽しみの一つとしてお勧めしたい。
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人間はコンピュータと違う

2010年01月23日 | 政治経済
 コンピュータは今のところ文章を理解できても行間を読むことはできない。勿論、文脈から隠れた意図を察することはできない。
 社員食堂で受付の佳子さんが大盛りカレーを額に汗して頬張る施設科の三郎君に「カレーがお好きなんですね」。とニッコリした時、「はい、そうです」。とコンピュータは答えるが三郎君はちょっと違う答えをするかも知れない。
 最近は新聞の見出しを見て何新聞か直ぐ分かるようになった。それだけ露骨になった。以前はちょっと考えないとわからなかった。言外に意味を含ませるまでもないということらしい。しかるに、自分たちが活用してきた言外の暗示法を相手が使えばけしからんと騒いでいる。メディアリテラシイを身に付けなければならない所以だ。
 国民は物事の軽重を推し量ることができるかという鼎の軽重を問われている。
 「お前の母ちゃんデベソ」。と囃し立てる悪ガキに泣かず「ノープロブレム」と歩んで行きたい。
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嗜好と体重

2010年01月22日 | 医療
 肥満と痩せもかなり研究が進み、脂肪細胞から出るいろいろなホルモン様物質の働きが解明されてきた。しかしまあ、フラクタクルというかマトリョーシカというか、これだと思ったのがそれほど単純ではなく奥があり、かなり分かったが未だ分からないのが現状だ。
 原因のメカニズムは複雑難解でも、表現系は観察で町医者にもわかる。
 月に一回ミーティングで職員と昼飯を食べるのだが、事務のN嬢と私は洋食和食中華何を頼んでも、同じ物を注文していることが多い。普段ダイエットに勤しむ密かな同士なのだが、月一のミーティングはまあいいかという心理が働くようで、昨日のミーティングは二人揃って酢豚を注文していた。近所の中華店は四川の流れを組むホテルで修行したコックが腕を振るう、鄙には稀の優れもので酢豚も黒酢で豚肉たっぷりの垂涎の味なのだ。
 何を食べても肥らないAさんはチャーハンをぼそぼそ食べている。折角おごりの昼飯、もうちょっと豪華な物をと思うのだが、彼女はチャーハンも全部食べるのが一苦労の様子だ。
 分かる人には分かる心理なのだが、頑張ってダイエットをしている人種は、なんのかんのと託けてダイエット解禁日にして、つい飽食してしまうのだ。
 少しの例外はあるようだが、太る人は食べようと思えば沢山食べることができ、痩せの人はたべようと思ってもたくさん食べることができないのだ。
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自分一人では

2010年01月21日 | 医療
 明け方気管カニューレの入っている患者から、咳き込んだらカニューレが外れたと電話があり、寒い朝早く来て貰った。ところが、吸引機のチューブが何処にあるかわからない。随分あちこち探し回ったのだが見つからない。いつもは手を出せば「ハイ」と出てくるのだが。忙しい朝に電話しては可哀相と、結局患者と二人で所在なげに看護婦が出てくるまで小一時間待った。
 内科の診察でも看護師が付いてくれることが、有形無形の援助になっているのだが、手を下す処置まして手術では医者一人ではそれこそお手上げだなと改めて感じた。手術は執刀医が術野から目を離せないので手だけ出てくる。必要な器具を的確に手渡せる看護師は必須だ。必要な器具名を言ってくれる外科医ばかりではないので、手術の進行具合術者の思考まで読まねばならず大変である。気の短い外科医は何度も間違えると器具を放り投げたりするので、介助者が交代することもあったらしい(今もあるだろう)。
 要するに息のあったティームで作業しないと手術はにっちもさっちもいかない。医療の質は医師一人では決して確保できない。優れたティームを醸成するのも医師に求められる能力のひとつなのだろう。
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