駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

常住坐臥に

2010年01月01日 | 身辺記
 明けて新年午前八時、さてホテルのおせち料理を頂こうと云う時、携帯が鳴った。訪問看護師Nさんの声で、今息を引き取ったと連絡がありましたとのこと。直ぐ帰る、昼頃には戻れると思うと告げ、簡単に処置などの打ち合わせをする。御家族にも電話を入れ、数時間で着くとお話をする。あわてて食べて雑煮餅を詰まらせてはみっともないと、努めてゆっくり頂き、初詣は端折り患者宅に一目散で取って返す。一時間早く戻ったところで、何の足しにもならぬのだがどうしても急いでしまう。元旦にこんなことは初めてだが、天体の運行に節目はないのだからやむを得ない。
 元旦から何を書くと思われる方もおられるかもしれないが、生きていると云うことはこうしたことで、そうした仕事をしている宿命だ。
 キャンセルをして家に居てもよかったのだが、家内も心積もりにしていたことだし、外国へ行くわけでなし平生通りがよかろうと判断したことだ。大晦日は家内の好きなデパートとホテルを堪能した。デパートなどハシゴをして三越から伊勢丹へ回った。三越に秘かな黄昏を伊勢丹に微かな光明を感じた。
 経営者は絶対に十年先を見ていなければならない。勿論、十年先を読むことは非常に難しい(ほとんど不可能)のだが二三年先しかに見ていない経営者は大きな波を乗り越えられず、会社を危機に陥れる。
 国も同じこと、数ヶ月ひどいときは数週間先のことさえ考えず騒ぎ立てるマスコミに惑わされず国を導くのが首相の責務だろう。何十年と自分の手足で生きてきた人間には、学校の成績とは違う分別がある。それに訴え、しのいでゆくことだ。二番底が来ると騒がず、国民に選ばれた政権は落ち着いて歩んでほしいと願っている。
 患者さんの安らかな顔と奥様の心よりのお礼の言葉に、私の方がかたじけないと感じた。名もない市井の人が世を支えている。町医者の仕事はそこに居ることだと思っている。


コメント (2)
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