世界中どこに行っても、といっても個人的な体験は十数カ国なのだが、中華料理の店がある。私には地の果てと思われたような(ちょっと大袈裟)ノバスコシアの小さな街にも中華の店があり、どうも素人くさい中華を食べさせられた記憶がある。その店ではやれ珍しい同胞と奥から中国人とおぼしきお婆さんが現れ、中国語で話しかけられたのだが、ちんぷんかんぷんで「違う違う日本人」。とがっかりさせた記憶がある。
彼らの全く縁故のない見知らぬ土地へ住み着く逞しさには感心する。万人受けする中華料理の調理技術という武器があるにしても、遙か故郷を離れて気候風土の異なる場所に移り住むのは大変だろうと思う。まあ、彼らは溶け込むと言うよりは独自の世界を保ちながらという感じがするし、縁故がないと言っても華僑の架橋はありそうだが。
意外なことといっても、単なる私の認識不足かもしれないが、ブログを見ると日本女性にも世界各地に根を下ろし現地に溶け込んで暮らしておられる方が結構おられる。どうも男性は少ない。すぐ女性は凄いなどと反応しがちだが、それぞれに語り尽くぬ物語があるはずで、十把一絡げで感心するのは失礼だろう。
彼女達がどう感じているか、読み解くほどには読めてないのだが、私の限られた国外体験では、人間皆友達中身は同じというのは、どこか微かに独善の香りがする。違いに気付き、認めるのが第一歩と感じる。航空機ができ半日あれば殆どの国へ行ける世の中になり、地球は狭くなったというが、まだまだ日本人の了見が世界に広がったとは言い難い。飛躍するけれども小学校の英語よりも、十一歳の三ヶ月の海外生活体験の方が生きるように思う。小学校の英語がどんな物かよく知らないが、教育や勉強が主体なら、賛成しない。英語の歌を歌い、英語の詩を諳んじる。勿論、ネイティブイングリッシュで。それで十分ではないか。
ブログを通じて広い世界に生きておられる日本人の声に耳を傾けることができるのはインターネットの光だろう。六十五歳にして目を開かれている。