売り家と唐様で書く三代目。銀の匙を口に生まれると、脳天気な優しさは身に付くかも知れないが、自分の言葉に身を賭して責任を持つ凄みや重みは霧散するらしい。必ずというわけではないだろうが、三代程度では駄目で、それを乗り越えて初めて本物のリーダーの血筋が生まれるのかもしれない。平田オリザのとばっちりでは迷惑かもしれんが、鳩山好みの平田オリザの底抜け無責任発言から連想した。
国民の多くは民主党の鳩山菅岡田に失望と言うより絶望している。国民の目は節穴だったのか。ではどうすればよいのだろうか、良い選択枝がないような気もする。愚にして賢と言われる大衆としては沈思黙考の時としか言いようがない。御用マスコミのその場限りの追随情報に踊らされず、本物本筋の情報を見極めながら、とにもかくにも地道に生き抜くよりあるまい。日本が上層部の失策をかいくぐり生き延びてきたのは庶民の力と、歴史は教えているような気がする。