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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

五所神社

2012年04月23日 05時43分37秒 | 鎌倉
長勝寺を11時31分に出た。次の目的地は光明寺さん。
ああっ。来迎寺さんのミモザの木が、なくなってるぅ~~。
鎌倉の海へ(2010年4月12日)の記事 こちらにありし日の来迎寺さんのミモザの画像があります。綺麗だったのに、台風か大風で倒れたんですかねえ…。残念無念です。
途中で、桜並木を見つけて立ち寄ったのが五所神社さんです。到着時刻は11時41分

五所神社さんの名前は、5つの神社を一つにしたことに由来。
境内は小さいのですが、何かいっぱいあったので紹介しますね。
不動種子板碑
この板碑は弘長2年(1262)の銘がある。昭和16年(1941)に国の重要美術品に指定。昔は感応寺の境内に建っていたが、同寺が廃寺となり五所神社創建(明治41)の際にここへ移された。
石質は黒色泥板岩。
疱瘡老婆の石
説明板がなかったから言われは分かりません。

疱瘡老婆の石の裏に、小さなお社がありました。奥に石碑とかもあったけど、足元が抜かるんでたので近づいて確認するのはパスしました。
境内内の石神社
他に、庚申塔が複数まとめられてました。
彫刻が派手なのをピックアップして撮影。
 
庚申塔は長い時間を経る中で、彫刻が摩耗してるのが多い。思いっきり晴れてて、太陽の光が強過ぎて、摩耗した塔の撮影には不向き。寂れた感じが出ない~。
五所神社滞在時間11:41-11:47。
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桜の妙本寺

2012年04月21日 05時58分47秒 | 鎌倉
今日から4月12日の鎌倉桜散歩を紹介します。
前日、4月11日は雨でした。風もそこそこ強かったので、今年の桜散策は、小石川後楽園から外濠公園を南下して、靖国神社・千鳥ヶ淵桜散歩で終了か?と思ったんですけど、うちの窓から見える幼稚園の桜の木がまだ桜色だったんですよ。もしてかて、桜のアップ画像はもうダメかもしれないけど、遠景で楽しむぶんにはまだいけるかもしれん…。思い立ったが吉日。用意して出かけました。
さすがに出だしが遅かったので、鎌倉駅到着が既に10時25分!
実は、紅葉シーズンに鎌倉は何度も訪れてるのですが、桜の季節に来たのは久々です。つーか以前いつ桜を見に鎌倉へ来たか思い出せん!
なので、頼りにしてる鎌倉★情報館さんのWEBを参考に、訪問先を長勝寺・光明寺さんは絶対!体力に余裕があれば、若宮大路の段葛・建長寺さんと道中の小田急線で決めて鎌倉駅に降り立ったのですが…。
長勝寺さん最寄りのバス(鎌倉駅3番乗り場・鎌30&31)が、待ち時間が20分もあったんですよっ!!
20分もあったら1キロ以上歩けるわっ!!
待つのが大嫌いは私は、キレて長勝寺まで歩くことにしました(オイオイオイオイ)ああ、どこからかツッコミが聞こえて来ます。
さて、最初に向かったのが本覚寺さん。こちらにも桜はあるのですが、しだれ桜は既に葉桜で、八重桜には早くなにも見るべきものがなく通り抜けるだけでした。
次に向かったのが妙本寺さんです。
こちらは12月、しかもクリスマス明けに紅葉の最盛期を迎える鎌倉でも最も遅い紅葉が見られる所です。なので、紅葉シーズンには数回訪れているのですが…。

クリスマスに色づいたカエデが既に芽吹いてました。つーか、新緑の若葉目にまぶしい程。
驚くわっ!!

妙法寺さんの境内に、ソメイヨシノもあるのですが、目立っていたのは海棠です。
奥の濃いピンク色の花が海棠です。

繊細な花色を撮影するのは不向きな強烈な日差しなのが残念。携帯電話の画像はあまり花色が再現出来てません。ついでに日蓮さんの像も撮影してみた。

本当はもう少しアップで撮影したい所ですが。携帯電話だと拡大はこのへんが限界ですわ。
妙本寺さんの滞在時間は10:41-10:50でした。
出だしが遅れたから、サクサク行かないと!!
ちなみに過去記事はこちら。
まさかの見頃の妙本寺(2012年1月19日)の記事
え柄天神から妙本寺へ(2011年12月28日)の記事
秋の妙本寺(2010年1月11日)の記事
道々、常栄寺(ぼたもち寺) ぼたもち寺って?(2010年4月7日)の記事と八雲神社  八雲神社(2010年4月8日)の記事を覗いたけど、こちらに桜はなかったので、道から一礼して次へ向かう。
癌封じの上行寺さんも桜は見えないからパス。上行寺へ行ったなら(2010年4月9日)の記事
迷ったのは安養院さん。桜が垣根の向こうから頭が出てます。こちらはつつじが綺麗なのでどうせならその時期がいいな。とパス。や。入っておくべきだったか!!
んでついうっかり入場したのが安国論寺さんでした。
こちらには以前3月のお彼岸に日蓮さんの所縁の地巡りで訪れた時、もうすぐ見頃を迎えそうなしだれ桜があったんですよ。「もうすぐ見頃だわ」と。それが頭に残っていたものだから、立ち寄ったのですが…。
肝心のしだれ桜は既に葉桜になってました。
ここの枝垂桜は彼岸桜だったのかしら??
つーか、安国論寺さんは早くも新緑の季節を迎えてました。
 
安国論寺さんの滞在時間は11時8分ー11時13分でした…。
ちなみに、安国論寺さんの拝観料は100円以上支払い。(入り口の箱に自分で投入する)
ちなみに過去記事はこちら。 安国論寺(2010年4月11日)の記事 安国論寺は、日蓮さんが「立正安国論」を書いた場所で、この為鎌倉幕府から松葉が谷の焼き討ちがあった場所です。それに元々は、北条政子の父北条時政の屋敷があった場所でもありました。歴史好きにはおススメの場所です。
さて、次は本日の目的地、長勝寺さんです!  神社・お寺巡り ブログランキングへ
今年も桜のアルバムを作成しました。
桜めぐり2012
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宝戒寺

2012年04月12日 05時11分26秒 | 鎌倉
江の電で稲村ケ崎駅から終点鎌倉駅へ。
やって来た江の電の車両の床は、木製でした!まだこんなに古い車両が走ってるのですね。びっくり!!
この日は、観梅散歩だったので、まず紅梅の本覚寺へ行ったのですが、既に散ってました、無念。
気を取り直し、小町大路を北へ。到着したのは宝戒寺です。

宗派:天台宗
山号寺号:金龍山円頓宝戒寺
建立:建武2年(1335)
開基:後醍醐天皇
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族870余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋め尽くされる「萩の寺」として有名です。
入山料100円。これを内陣へ上がる時に箱へ入れて本堂へお参りです。
あとは、観梅しつつ境内を一周。
 

 
なんつーか、稲村ケ崎でリスとお昼ご飯した時に、手にアンパンのあんこがついてしまったのね。んで、あんこで汚れた手で携帯電話のレンズに触ってしまったのだ…。以後、画像の一部は汚れたままです。すみません。
宝戒寺さんも東慶寺さんも梅が素晴らしい名所です。画像がコレだとわかった時はもうがっくりでした。

宝戒寺から若宮大路へ移動。若宮大路で見かけたKIBIYAベーカリーさん。窓から見えたスコーンがおいしそうでうっかり入店。画像はバジルパン150円とゴマパン190円です。
私はバジルパンが好物なんですよ。でもここのバジルパンは感動的にうまかったです。
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スラムダンクの海

2012年04月11日 05時12分48秒 | 鎌倉
かつて週刊少年ジャンプに連載していた井上雄彦さんのバスケット漫画『スラムダンク』を知ってますか?
私、大好きな漫画だったんですよ。スラムダンクがアニメ化され、オープニングアニメの舞台が江の電の鎌倉高校前駅です。
江の電の腰越駅で下車。腰越状の満福寺を見学。そこから海岸沿いを移動しつつ「あそこ辺りなら、仙道くんが釣りしてたかも~」とぼざきつつわくわくウキウキとそぞろ歩き。

鎌倉高校前駅到着。ついでに江の電も到着。そのまま江の電を見送り、アニメに出て来た踏み切りを撮影。

ここに江の電が走ってくれば完璧なんですが。
腰越ラッコ公園という謎の公園を通り抜け、駅へ向かいますと、
アニメのポスター発見!
またこの辺りが舞台のアニメが作られるのかな?どんなアニメなんだろうか?
さて、江の電に乗車。次に降りたのは稲村ケ崎駅です。

稲村ケ崎は、かつて鎌倉幕府を滅ばした新田義貞が、潮が引いた時を見計らい、海岸沿いに鎌倉へ攻め寄せた戦場でもあります。
実はね、ここは富士山のビューポイントなんですよね。
実は、この日の朝小田急線の車内から富士山がよく見えてたんですよ。引き続き大船駅から湘南江の島駅まで乗った湘南モノレールの車内からも富士山が綺麗に見えてたんだよね。だから期待してたのに…。

み~え~な~い~~っ
や。実はうっすらとは見えてるんですよ。もうね。ふすま絵にぼや~っと山の稜線が浮かぶ表現あるよね?あれ状態。3月末ですから、富士山はたっぷりと白雪をかぶってるんですよ。だから、春霞の空だと境界線が見えなくなってしまうのだ。
心の目で補完して富士山をご覧ください
そんなこんなで当初は稲村ケ崎で富士山をのぞみつつお昼ご飯の予定が、トビVS私もしくは、トビVSカラスの空中戦を眺めながらのお昼ご飯となってしまいました。
文中のおかしい、トビVS私については、トビに襲われた…(2012年3月28日)の記事をご覧下さい。顛末を書いてあります。

リスはかわいかったんだけどね。
お昼を食べ終わり、奥に見える石碑を調べる。

わかりにくいのですが、ローベルト・コッホ碑です。ドイツ人のコッホ博士が、弟子である北里柴三郎博士と鎌倉に観光に訪れた際、稲村ケ崎から富士山を眺めて感動したそうです。
さて、次です。
帰り道は別の道をゆきましたらば、何か言われのありそうなものがありました。
十一人塚
元弘3年(1333)新田義貞のかまくら攻めに際し、新田氏の一族である大館宗氏は極楽寺坂の切り通しから鎌倉へ攻め込みました。しかし北条方の反撃にあい、宗氏以下11人は稲瀬川で討ち死にしたと伝えられます。『太平記』11人塚は、その11人を埋葬し十一面観音堂を建てて霊を弔った所といわれています。

尚、最後の方の画像がくもってるのは、トビに襲われたのに動揺して、その自覚がないままリスで和んでアンパンをちぎって餌まいてたら、指にあんこがついたんです。ハイ。携帯電話のレンズをアンパン付きの指で触ってしまったという…。曇った部分も脳内補完して下さい。
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先週、フジテレビの深夜アニメで「つり球」はスタート。主人公は転校で江の島に住んで江の電で学校へ。「鎌倉高校前」で下車してました!まさに本日の記事の駅です。

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満福寺

2012年04月09日 05時28分54秒 | 鎌倉
江の電江の島駅から一駅、腰越駅に到着です。
あ。
江の電は2両編成と4両編成があるのですが、腰越駅は先頭車両がホームが短いので開きません。後ろ3両に乗るようにしましょう。
満福寺は腰越駅から鎌倉方向へ徒歩すぐ。と。
こんな光景が見えます。
よ~く見るとね、道の向こうに山門へ続く石段があります。でもその手前には、鎌倉らしい~踏切があるのだ。
ね。鉄道好きにはおススメでしょ?
さて、満福寺さんは鉄道好き以上におススメするのは歴史好きな方です。
それは、満福寺が源義経の悲劇の始まりの場所だからです。
「一の谷・屋島・壇ノ浦と次々に平家の軍を破って、元暦2年(1185)5月に鎌倉に帰って来た義経は、兄頼朝と方針が一致せず、鎌倉へ入ることが出来ませんでした。
手柄をたてて帰って来た義経にとって、それは思いがけないことでしたから、なんとかして兄の怒りをとこうとしましたが、頼朝の怒りは深まるばかり。そこで義経は満福寺に逗留し一通の嘆願文(腰越状)を書いて、頼朝の信望がたいへん厚かった公文所別当の大江広元に差し出したのです」
ってなことで、まずは拝観料200円を支払い本堂へ。トップ画像は本堂のふすま絵です。これは弁慶の立ち往生の場面ですかね?
安宅の関の場面

静御前が東北へ落ちる義経を見送る場面
上のふすま絵と向き合うように、義経のふすま絵がある。
義経の最後衣川の場面(享年31)
天井画です。
もう一場面。
腰越状を書く義経
ふすま絵では雪の場面ですが、実際は旧暦で5月24日でしたので、初夏です。ま。冬の方が雰囲気出るよな。
ホロリとなった後、順路へ戻りましたらば…。
義経と弁慶のフィギュアの数々
おまけ。 ふすまに鎌倉彫がはめ込んである。
なんだかな~…。他にもっとマシな義経か弁慶の萌えアイテムはないんか~いっ!!
暴れそうになってたら、あった!しかも最強の萌えアイテム発見!!
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先週の金曜日、ダンナが歯を1本抜いた。
翌、土曜日も歯医者へ行くとかなんとか。男の人はな~、自分が出血すると気分が滅入るらしい。ちっ。
そして土日のお出かけは夢と消えた。
せっかく待ちに待った桜のお花見が出来る休みなのに…。空しく、おうちで録画したテレビを見てました。
む~な~し~い~…。
凹むわ。
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鎌倉本覚寺

2012年01月18日 05時23分16秒 | 鎌倉
時は2011年12月26日。空が澄み渡っていたのでふらりと鎌倉へ。
ついうっかり~。
つーか、ぶっちゃけ鎌倉の秋はいつまでか?という命題を証明すべく、鎌倉で一番遅い紅葉を確かめに出かけたんです。
鎌倉駅に到着し、まず目指したのは瑞泉寺。出来れば疲れたくないので、片道だけでもバスで~とバス停で時間を確認しましたら、次のバスまでの待ち時間は約10分ありました。
私、短気なんです。とても10分も待てないので、バスは帰りに利用することにして、予定の反対コースで瑞泉寺ではなく妙本寺から紅葉を見に行く事にしました。
近道は~?あれだ。本覚寺。あそこの境内を突っ切って行こう!

着きました本覚寺は、お正月に向けて既に着々と準備が進んでました。世の中がクリスマスに浮かれていても、神社仏閣にクリスマスは関係ないもんね~。
お正月は1年で一番神社仏閣が美しく装います。なのでっ!本日は綺麗になった本覚寺の画像を増量してお届けします。

本覚寺の本堂です。

こちらは恵比寿堂。鎌倉七福神めぐりというのがあるのですが、恵比寿さまはここ本覚寺になります。

恵比寿堂に出ていた大漁旗?です。やっぱ、恵比寿さまと鯛はつきものなんですね。

鎌倉えびすは毎年1月10日に開催されます。が、お正月の3が日もえびす祭りがあります。テントの屋根にも恵比寿さまの絵姿が。

山門はこちらの小町大路の側。かつては小町大路の方が賑わっていたのでしょうね。この辺りのお寺の入り口は大概小町大路に向かってあります。
トップ画像は鎌倉駅から本覚寺を目指すとある門です。


これは今年1月9日に相模原公園内の温室で見かけたポスターです。去年の10月に公開されたはやぶさの映画に引き続きはやぶさ第2弾の映画が春に公開されます。
小惑星探査衛星「はやぶさ」(2011年8月27日)の記事この記事ではやぶざの映画第一弾のポスター画像を確認出来ます。
はやぶさ、ご存知ですよね?小惑星のイトカワに行ってイトカワの粒子を持ち帰ったのがはやぶさ。奇跡とも言われています。これの舞台が相模原にあるJAXA相模原キャンパスです。
はやぶさ第2弾ともいえる「はやぶさ2」の打ち上げ計画が危機に陥ってます。去年JAXAの一般公開に参加した身としては気になるニュースです。理由は予算削減。
はやぶさ2の目的地(2011年8月30日)の記事
あれですね。「2番じゃダメなの?」の発想です。1回成功したらもういいでしょうというのが政治家や役人の考え方らしい。
予算削減理由は財政難だからだって。んで、予算73億円の要求に対し、予算が降りたのは30億円のみ。
はやぶさの予算を握っているのは文部科学省なんですよ。そこの宇宙開発委員会推進部会。まあ予算決めたのは結局<政府>ってことになるんですが、政府ってどこ?って吠えたくなるぜ。
文部科学省って学校も管轄してるよな。子どもらの夢を守り育てるのも仕事のうちだと思いたい。
昨夜読売オンラインニュースで『はやぶさ2は14-15年の当初予定通りに打ち上げたい」と書かれてましたが、予算を半分以下に削ってそれは可能なのか?いや。打ち上げたけど予算削減で事前に必要な実験や開発が出来なかったせいではやぶさ2計画は失敗しましたとか本末転倒な事態にならぬとも限らん。そうなればそれこそムダ金になっちゃうんじゃ~??とシロウト考えに陥る訳だ。
ちなみに、昨年JAXAで見たはやぶさ2の計画は打ち上げが2014年。帰還が2020年の計画でした。今日が2012年1月だから、8年後に戻ってくる計画だね。それって今の小学生が大学生になる頃だね。去年の夏JAXA相模原キャンパスで見た小学生達の夢を本当にしてあげたいとオバさんは思うんだけど…。先立つものは金。予算が降りないんだったら、他から集めるしかあるまい?   人気ブログランキングへ
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こんな所に203高地の石が

2012年01月14日 05時50分10秒 | 鎌倉
お散歩の始めに連れに「児玉神社へ行きたい」と宣言していた。児玉神社とは、児玉源太郎(1852-1906)のことなんである。ええ、私がここしばらくハマっているNHKのドラマ『坂の上の雲』(著:司馬遼太郎)では高橋英樹さんが演じてます。旅順攻略の先陣を切る203高地の陥落。難航した戦いの行方を左右したきっかけとなる戦術を立てて勝利に導いた人です。
マップによりますと、「神社の創建は大正10年(1921)。勝運の神として仰がれており、鳥居も狛犬も台湾の石で出来ています。また設計は寺社建築の第一人者伊東忠太によるもので、境内には山縣有朋の歌碑や203高地の石などがあります」ですって。
ってなことでトップ画像がその203高地の石です。まさかこんな所にあるなんて~~っ。
説明文発見「爾霊山の石…203高地は、日露戦争において激戦地となった旅順(中国遼東半島南端大連市)の背後にそびえる203メートルの高地である。当地の石を横須賀鎮守府が日本に持ち帰って別地に寄贈したが、のち当社境内に移設され現在に至る。この「203」に爾霊山(にれいさん。「なんじの霊の山」の意)の字をあてたのは乃木希典将軍である」だそうです。去年の夏、私は旅順を旅しました。興味のある方は、その時の記事はブログの203高地(2010年8月6日)の記事 203高地、28サンチ榴弾砲(2010年8月7日)の記事 慰霊 爾霊山(2010年8月8日)の記事を参照して下さい。
 
上の画像左が蒋介石の石詩碑。「台湾の蒋介石の奉献。国民の崇敬を集めた御祭神の武勲、才知、徳を讃えている。蒋介石は満州国初代外交部総長を務め、のち満州国駐日全権大使として日本に駐在したこともある」
右の画像は後藤新平の詩碑。「政治家の後藤新平が、御祭神の文武の功績と忠孝の徳を讃えて奉献した。御祭神の児玉源太郎が台湾総督時代に後藤は民政長官に任じられ、植民地であった台湾の運営と近代化に手腕を発揮した」
さて、石碑群を見て拝殿に進みますと、なにやら不吉な張り紙が…。
「神社改修支援金募金のお願い…9月21日に発生した台風15号により、本殿周囲の板塀の大部分が失われたほか、神楽殿の屋根の銅板が破損。ご神木の月桂樹をはじめ境内の立木多数が倒れました。当社は江の島の東峰に位置する為、元来台風の害が激しく、神楽殿前の燈籠も数年前の台風により破損しています。既に社殿全体の老朽化も甚だしく、全面的な改修を必要としております。日本を救った英傑である御祭神を尊崇し、またこの地に社を建立された多くの先達の志を後世に守り伝えたく、皆様によろしくご協力の程お願い申し上げます。 平成23年9月28日 児玉神社宮司」ですって。
確かに、参拝したら、階段の石がぐらつてて危なかった!
こちらは横から拝殿と上に位置する本殿を写した所ですが、台風以前は本殿は板塀が張り巡らせてあっただよね?次に強風が襲ってきたら、ここ持たないんじゃないかな~
伊東忠太と言えば、築地本願寺を始め、平安神宮・樫原神宮・明治神宮・大倉集古館。靖国神社の遊就館。湯島聖堂。総持寺大僧堂、高麗神社、最乗寺などなどと蒼々たる作品群の数々。そんな伊東忠太の作品の一つなんですよ。いくら老朽化してるからって、取り壊しは出来ないんじゃないかな~?やっぱ改修で乗り切りたい所。でもこれ、宮司さんの気持ちだけじゃどないもこないもなりません。児玉神社に檀家さんっているのかな~?せめてNHKの「坂の上の雲」のドラマの中で窮状を伝えてもらうとか訴えればいいのに。12月4日はおそらく旅順攻略戦だと思うのね。ここで訴えれば、成果も上がるだろうに…。
一応私にしては奮発してお賽銭を入れておいた。
焼け石に水にもならんけど~。
あ。今気づいたんですが、児玉源太郎って日露戦争直後に死亡してるんですね。wikiで調べてみた。死因は脳溢血だった。…いわゆる過労死だったんじゃないかな~?

参拝を終え、帰宅すべく目指したのは小田急線の片瀬江ノ島駅。ええ、あの竜宮城テイストの駅舎。
駅に到着したのは既に午後4時近く。つ~ま~り~。岩屋洞窟から片道約1時間もかかっていたのね。…連れがうっかり万歩計を取り出した。まさかの2万歩超えだった。まさかまさかなので、私もつい万歩計を見てしまった。同じく2万歩超えだった!
つ、疲れがどっと出てしまった~。もう若くないんだから、無茶しちゃいかんなあ~。でもマジに2万歩超え?間違ってるんじゃないかな~??   人気ブログランキングへ
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江の島岩屋

2012年01月13日 05時01分55秒 | 鎌倉
這々の体で江の島岩屋に到着。取り出したるは江の島1dayパスポート。ここは長い歳月を経て波の浸食でできた岩屋です。第一岩屋は奥行き152メートル。第二岩屋は奥行き56メートル。昭和46年以来、長期閉鎖されていましたが、平成5年4月から再開されています。古くから信仰の対象にもされてきた岩屋、弘法大師が訪れた際には、弁財天がその姿を現し、また源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも言われています。
ぜひとも洞窟の内部の画像をお見せしたいのですが、洞窟内の入り口のギャラリーを除くと照明は最低限しかありません。訪れた客は、ろうそくに火を灯した手燭を渡され、頼りなく揺れるほの明るい火を頼りに、時折水がしたらる岩の洞窟を進むことになります。あんまりに暗いんで、洞窟内を撮影してません。ちなみに、江島神社の本尊は第二岩屋の最奥にいらっしゃいます。そこには江の島生まれの「天女と五頭の龍伝説」が紹介されています。頂いたパンフレットに伝説が書いてあるもんだと思い込んでいたのですが、今見たら書いてなかった…。た~し~か~。
『かつて悪い龍がいた。龍は漁村に生け贄を捧げるように要求した。子を差し出したことから子死声という名が残っている。そこへ天女が現れた。天女の美しさに龍は妻に望む。と、天女はもし以降殺生を止めるなら、あなたの妻になりますといい、龍は約束に従って殺生を止めた。そうして天女は女神に、龍は守り神となった』そんな感じのお話だったような…。あの時、洞窟の奥にあった説明文のうろ覚えなんで、詳細は誤りがあるかもしれんが、腰越が子死声ってのは会ってると思う。
トップ画像に写ってる烏帽子岩が見えるかどうかはわかりませんが、こちらは富士山ビューとなってます。岩屋を額縁に見立て、青い海の向こうに烏帽子岩と富士山。なんてフォトジェニック!し~か~も~っ!!冬期の日没は午後4時半頃。あ。トップ画像の水平線の上に線のように写ってるのは、トンビです。ぴ~ひょろろと唱ってました。

岩屋の前の稚児が淵では海辺の日没と富士山いう鉄壁の素材での撮影が可能なんですよ。ああ。私の目には妄想の富士山が見える…。つくづくなんで今日は富士山見えないの~~~~~っ!!!
岩屋を見終えたのが午後3時頃。日没まではあと1時間半もありました。ここで悲しい事実が判明。
「本日の渡し船は欠航します」
どうもこれ、船長の気分次第で運行してるみたい…。まあな~、おそらく漁師さんのこづかい稼ぎだろうからな~。船頭に精出さなくともいいんだろうな~。でも渡し船が出てないとならば、来た道を戻らねばならんのです。あのっ、急階段を今度は上るんです。が、頑張らなくっちゃ~。
こちら、帰り道に山二つで出来てる江の島で、展望台を撮影してみた。ここまで戻って来るだけで青息吐息です。
もうね。連れにちょっと待って~。き、休憩っ!!と。泣きを入れる始末。   人気ブログランキングへ
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江島神社興津宮

2012年01月12日 05時30分25秒 | 鎌倉
前回江の島を訪れたときは、サムエル・コッキング苑で引き返した。こっから先は今までに1度だけしか行ったことがない。なぜなら、江の島は片瀬海岸側から見ると1つの山なんだけど、実は2つの山が合わさって出来てるんだな。つ~ま~り~。サムエル・コッキング苑が山の頂上ならば、そっから先は始めの山を一度下って先でも一度上らなきゃならないんだな。これが。んでもって、奥の山にはエスカーがない…。つまり自分の足で山を降りて上がる必要があるんだよ。だから、根性なしな私は大概サムエル・コッキング苑で引き返していたんだよ。
でも今日は久々に先へ行く。なぜって、この先に富士山の絶景ポイントがあるからだ!っつーても、訪れた11月7日には富士山は見えなかったんだけどね。
こちらは江の島大師ですの仁王像です。平成5年5月創建。以前来た時にはなかったよなコレ。素晴らしい中国刺繍仏像画が陳列されてるそうですが…。うふふ~。おばさんは階段を回避したいんじゃ!帰りにまだ元気があれば行くことにしてパスしちゃいました。当然帰りに元気が残ってる訳もなく…。
さて、階段はなかなか手強い。んでも頑張って到着したのは江島神社興津宮。トップ画像がこれです。
多紀理比売命(タギリヒメノミコト)を祀る興津宮は御旅所(おだびしょ)といい、岩屋のご本尊の夏季避暑地でした。ちなみに、トップ画像に写っている鳥居は、源頼朝の寄進の鳥居だと伝わっています。マップによりますと、「吾妻鏡によれば頼朝は養和2年(1182)奥州平泉の藤原秀衝を調伏するため、京都高尾神護寺の文覚上人に命じて弁財天を岩屋に勧請し、参詣の際には鳥居を寄進しました」とあります。って書いてある。
お清めの水。亀が登場。ハイ、ここで思い出して下さい。数日前の江島神社(辺津宮)の記事でなぜに絵馬が亀だったのか?実は興津宮のお参りするこの場で上を見上げると、天井に亀がいるんです。
コレです。
説明板発見「江戸時代、享和3年(1803)画家・酒井抱一が描いた「正面向亀図」です。どこから見てもこちらを睨んでいる様に見えるところから「八方睨みの亀」と呼ばれています。正面向きの亀を桐材に金箔を押し、強い線で描かれ、もとは胡粉、緑青、丹色で彩色されていました。
原絵は海風の浸害からまもるために江島神社の宝殿に納められています。
いま興津宮にかかげられているのは、平成6年(1994)に片岡華陽画伯が描いた復元画です。
酒井抱一(1761-1828)の画技は特にすぐれ、琳派(俵屋宗達・尾形光琳流)を復活したことでも広く知られていました。
酒井抱一がなぜここに亀絵を奉納したのかはわかりませんが、亀は長寿のシンボルで、江の島は不老長寿の島として人々に人気がありました」だそうですよ。
他にも境内には興味深いものがある。 
山田検校胴像。山田流箏曲の開祖。
もひとつ、謂れなんかはなかったんだけど、あちこちの神社で鳥居と見歩いたんですが、石の鳥居に模様があるのは珍しいよね?
拝殿の手前にあった石燈籠です。こちらにミツウロコが刻まれてましたので撮影してみた。

最後はコレ。
最近作ったらしい中国テイストの龍神様です。注目していただきたのはお供え品。これねえ、卵とコップ酒がおいてあるんだよね。参拝云々よりそっちに目が釘付けになっちゃったよ~。

さて、江島神社興津宮を過ぎると、またまた階段。しかも急階段の登場です。コレってば、行きは降りる階段だけど、帰りは上らなきゃなんだよね…。………。終点にある渡し船って今日は運行してたっけか?もし動いてたら帰りはぜひとも利用したい所存。   人気ブログランキングへ
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サムエル・コックキング苑の惨状

2012年01月11日 05時12分45秒 | 鎌倉
見晴し台からクック船長の木へ向かう。ちなみに、見晴し台は私が勝手に言ってるんであって、本当はマイアミビーチ広場と名付けられてる。どこがマイアミでビーチなのか?と思ったら、藤沢市とマイアミが姉妹都市なんだって。見晴らし台から見た対岸の片瀬海岸がマイアミに似てるからという願望だか随分無理矢理な命名だな。
さてクック船長の木に到着です。
んん?こんなショボい木だっけ??昔に見たこの木はもっとこう…堂々とした??クック船長の木(2009年1月9日)の記事綺麗だった頃のクック船長の木を確認出来ます。
頭を捻りつつふと隣を見ると、そこの木もショボい。

こりゃあ~一体どうしたことだ??
少し離れて見ますれば…。
な、なななな何じゃこりゃあぁぁあああああ~~~っ!!木が枯れてるやないの~~~っ!!!
あっ!と頭をよぎるのは去年の9月に関東を直撃した台風。あの日は凄かった、交通機関は軒並み止まり、更に街路樹があちこちで倒壊してる映像が流れました。
もしやして、ここは海からの風が直撃するし、被害も大きいんじゃないのか??と。本来なら富士山の雄姿を期待して上る展望台を、不安を抱えつつ上がることになる。
すると…。案の定酷い有様です。画像の左下を斜めに生えてるのはイチョウ並木。でも既に葉は残ってません。
反対側はどうなの??
まあ、見事な風の通った跡…。
マジでか……

いくら植物には自らがある程度の再生力を持ってるとはいえど、限界があるよね。これは限界の内か?超えてるんじゃないか?しかもこれ、ちゃんとケアしてるのか?来年も植物園として営業を続けられるのか??様々な心配がぶわっと頭を巡りました。
ち~な~み~に~。トップ画像に選んだクック船長の木とは、キャプテン・クックが発見したクック島に生息。サムエル・コッキングが輸入したと言われてる木です。んでもって2番目に掲載してある画像は、シマ南洋杉です。これもサムエル・コッキングさんが植えた見ない太平洋原産の樹木。原産地では既に乱開発により絶滅してる木です。奇跡的に藤沢に現存してるのであれば、後世に伝えなきゃと思うのは私だけ?今にも枯死しそうに見えるんだが…。無事にケアしてまた以前のような元気を取り戻してくれれば…。
あ!
すっかり書き忘れてましたが、そもそも今日の散歩先で江の島を選んだのはそろそろ秋空になって、空気も澄んで来たので、富士山が奇麗に見えるかも?と期待して選んだのです。江の島には富士山が奇麗に見えるポイントがいつくも点在してて、見れればフォトジェニックな画像が撮れるハズっ!神戸から越して来た友人にも、海越しに見える富士山の雄姿を見せて上げたい~との願望でチョイスしたのですよ。
ええ。見えませんでした!
この時点はお散歩の満足度は半減しましたよ…。ちきしょ!!朝のあの空なら確実に富士山が見えると思ったのにっ!!富士山は見えませんでしたが、後日友人はダンナさんと江の島を訪れる機会を想定して、富士山ビューのポイントを確認しつつ進むことにする。あ~あ…。ため息はお互いに何度もつくことになる~。
富士山ってなんでこんなに日本人の心を高揚させるのか…。   人気ブログランキングへ
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江島神社(中津宮)

2012年01月10日 05時19分36秒 | 鎌倉
江島神社辺津宮を参拝後、左奥へ進むと、第二エスカーがある。ので、江の島1dayパスポートを使って上へ行くと、そこは既に江島中津宮の境内です。
ここはちょっと変わっていて、芸術の神様っぽい。というのも、境内にはこんなんがありました。

マップによりますと、「市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)を祀っている中津宮は、慈覚大師が仁寿3年(853)に創建しました。元禄2年(1689)に再建。現在の社殿は平成8年(1996)9月に大改造を終えました。江戸歌舞伎中村座市村座から寄進された石燈籠など、当時の江の島詣での盛況がうかがえます」だそうで。説明板もあった。「謡曲「江島」と弁財天…謡曲「江島」は、弁財天影向の縁起を説いた曲である。
欽明天皇の十三年相模の国江野の海上に島が湧き出て、福徳円満の願いをかなえる弁財天が影向せられたというので勅使の尋ねに応じて詳しく島の成立を語り、その功徳を讃歎した後、自分はこの島の鎮守である弁財天の夫神の五頭龍王即ち龍口明神であるといって消え失せる。
やがて弁財天が十五童子を伴って出現、勅使に如意宝珠を捧げると、五頭龍王も現れ出て、国土の守護を誓いつつ上天したのであった。
弁才天は白蛇を飾る宝冠を戴き一蓮葉に乗って右手に剣、左手に宝珠を捧げて、延命長寿、怨敵退散m財宝満足の利益を施すという。 謡曲史跡保存会」ほうほうほう。
って、ここは芸術のご利益もあるやもしれん。ここは一つ参拝は「絵が上手になりますように」しかないね~。
って、お守りは恋愛成就に美人守りかい?………。ま、お守りの人気はありかもな。
中津宮の左奥には歌碑やら句碑が残ってます。宋国伝来の古碑なんてのもありました。これはマップによりますと、「将軍実朝の命を受けて、元久元年(1204)に仏教使節として宋国にわたった僧良真は、慶仁禅師に師事して我が国に法燈を伝えました。帰国の際に禅師から授かった碑石を建立したものが霊 建寺の碑と伝えられています」だそうで。あれこれありますので、興味があれば探してみれば?
句碑の先には第三エスカーが。上がるとそこはもう江の島のてっぺん!取り出した江の島1dayパスポートをしまう間もなくサムエル・コッキング苑へ入苑する。
サムエル・コッキング温泉遺構を抜けた所に見晴らし台が。

奥に見えるヨット・ハーバー。あれは昭和39年(1964)、第18回オリンピック東京大会ヨット競技が開催された際に迫られた日本で初めての競技用ハーバーです。休みの日に江の島を訪れると、ヨットの白い三角帆が海間にゆれてる風景を見ることが出来ます。
さて、せっかくなので、クック船長の木にも会っていこう~っ!!
と向かったのですが…。な、何じゃこりゃあああああ~~~~っ!!(絶叫)

昨日、相模原公園へ行って来ました。温室は有料なのですが、お正月イベントで9日まで無料公開されていたからです。
温室に入って気づく。
しっとり!!
つーか外が乾燥してるんです。
そうなんですよ。関東は去年の半ば…。クリスマス前から一回も雨が降ってないんで、もうカラカラカラなんですよ。
年末年始、田舎の四国で過ごしていた時はちっとも感じなかったのに、気付は何時の間にやら足を掻いてるようで、足にひっかき傷が一杯。これはまずいと爪を短く切りそろえました。無意識にばりばりやってるから、気をつけても掻いてしまうからねっ。
関東の乾燥具合は、湿度30%程だそうですよ。
ここに冬の寒さが加わって、結果。野菜が高騰してます。
7日にキャベツとかレタスをスーパーへ買いに行ったら、レタスは1個300円でした。買えるかっ!と八百屋へ向かいましたらば、キャベツがない。
「キャベツがないなんて~~っ!!」と、愚痴ったら、八百屋のお兄さんに聞こえてたようで「原価でね~、今1個250円なんだよね~」という事は、売値はもっと高くなるってことで…。「持ってく?」「いえ、結構です」と諦めたんですが、お正月は野菜をあんまり取ってないんで、生野菜が食べたいんだよね~。早く、安くなんないかな~??
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江島神社(辺津宮)

2012年01月09日 05時39分51秒 | 鎌倉
土産屋が両脇に並ぶ参道を抜けると、赤い鳥居が見えて来た。こちらが江島神社の入り口です。本来なら画像奥への階段を上って参拝するんだけど、江の島神社(2010年3月18日)の記事。こちらで、階段を上がって参拝した時の画像を確認出来ます。トップ画像奥の瑞心門の奥にある像の画像も載ってます。
今日はこちらをパスして左の道へ。そこに第一エスカーがあるんだな。んでもってエスカーのチケット売り場で江の島1dayパスポート1000円を購入。これで江の島エスカー、江の島サムエル•コッキング苑、江の島展望台、江の島岩屋が何度でも出入り自由なのだ。ん?何度でもですって?1回は入れば十分じゃないのか?という疑問もおありでしょうが、帰りに江の島の展望台にも一度上がって夕日を見たい~などという彼と彼女にはそんな使い方も出来るんだよ。
エスカーを上がった先でまず見つけたのはコレ。
江の島を巡ると、あちこちに龍の彫り物が点在してます。なぜに江の島が龍押しなのかと言うと、それは伝説に由来してるから。これについては後日、岩屋洞窟で詳しく紹介しますね。
江島神社(辺津宮)です。
マップによりますと「島内にある3つの宮=辺津宮、中津宮、興津宮を総称して江島神社と呼び、それぞれの宮には、海の守護神である女神が祀られています。辺津宮はその本社で、田寸津比売命(タギツヒメミコト)が祀られ建永元年(1206)に僧良真が荘厳な社殿に遷宮したものですが、現在の社殿は昭和51年(1976)に改築されたものです」だそうで。
以前お参りした時にもあった茅の輪が、11月にもありました!一応横8の字に回っておく。
初詣の時には何列にも行列がありましたが、この日の列は短かったので参拝。
なぜにか、お賽銭箱がこんな形にっ!!思わず凝視しちゃったよ~。
さらに、お札なんかを売ってる場所で見つけた変わった絵馬が。これは後出の記事で判明します。
ここの境内にもつるっぱげのイチョウがあった…。これ、一応ご神木みたいです。しかも木の下には縁結びのなんか縁起物的なゆわれ付き。…今に限って縁起悪そうに見えるのは私だけか?

久々…いや、数年ぶりに大相撲中継を見たらおもしろかったです。デーモン閣下とやくさんがゲスト解説者で、あと舞の海さんが解説者で。これ、今日だけ特別なんだろうか?明日からもこんな感じだといいな。
今年は面白くなるんだろうか?白鵬のライバルに成長する人いるんだろうか?
今って白鵬は『ヒカルの碁』の塔矢名人状態なので、対戦しがいのある人が早く台頭して欲しい。ならもっと面白くなるのになあ。
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江の電江ノ島駅から

2012年01月08日 05時50分22秒 | 鎌倉
龍口寺を出ると、前の道に江の電が走ってます~
トップ画像を見ると、電車の軌道が道路にあるのがよくわかります。せっかくだから見送ってみた
さて、江の電江ノ島駅まで戻り江ノ島を目指します。細い道には江戸明治の時代、かつて江ノ島が遊山のメッカだった名残があちこちに点在してるので、往時を偲びつつ江ノ島を目指すのもオツなもの。なんちゃって。
  
細い道を抜けたら、小田急線の片瀬江ノ島駅からの道と合流。橋がかかってて、ここは映画「ピンポン」で主人公がジャンプした橋です。ーーんなことはどうでもいい。用事があるのは、橋のたもとにある藤沢市観光案内所。ここで江ノ島マップをゲット!
江ノ島はなにしろ昔からの遊山の場所なので、見所も盛りだくさんなのだ。マップに記されているチェックポイントは全部で32カ所。マップ片手に見所ポイントを巡るのじゃ!!

ンの前に…。腹ごしらえじゃ!
江ノ島へ続く長い橋を渡ると、江ノ島の入り口からヨットハーバーに続く道にはずらっと食堂が並んでます。ここの一押しはシラス!!
私のチョイスは飛びっちょさん。ここって、前に初詣に来た時にも入りたかったんだけど、すんごい行列で諦めたお店です。今日もそこそこに客が待ってたのですが、お店で見ると15分待ちだったので登録しました。
そこで友人と相談「江ノ島観光のお得チケット!買う?」「どんなの~?」「江ノ島1dayパスポート言うて、エスカーとサムエルコッキング苑と岩屋洞窟の入場券がセットで1000円なのね」「…エスカーって何?」「それはね、エスカレーターの略なんだよ~。江ノ島が名前の通り島だから、上がったり降りたりが多いんだよね」「エスカレーターか。体力ないんで、それを利用しよう」「ならお店の待ち時間の利用してチケット買いに行こうか?」「そうしよう」と。
江ノ島側の橋のたもとにもある観光案内所へ向かったのですが、チケットを置いてないやとぉ~~!!なんでやねんっ!チラシに書いてあるやないかいっ!!「でもないものはないんで、エスカーの切符売り場で買って下さい」それはダメなんやっ!お店の待ち時間内に戻ってこれんのじゃっ!!なんで、先にお得チケットを買いたいのかと言えば、お得チケットは飲食店でもお得なんである。1000円以上をチョイスすると5%オフになったりするんである。もちろん飛びっちょさんでもお利用可!です。
おばさんはねえ~、体力はないけど、お得なのは大歓迎なんだよね~。でも今は時間優先です。
涙を飲んで諦めた。飛びっちょさんに戻る。
店内に案内されて、メニューを見る。
と、あ~リ~ま~し~た~ぁ。生シラス丼!
うま~いぷりっぷりっ。こりっこりっの食感です。しかも下の画像じゃ伝わりませんが、生シラス丼の入ってる器は巨大なんです。女性ならば頑張って食べないと完食出来ません。
生シラス丼。右手前の白い器には、温泉卵が入ってます。温泉卵を丼専用のお店特製の醤油を掛けていただきます。みそ汁は海の囲まれている江ノ島にはぴったりの青のり入り。
なぜか初詣の時期にはメニューから外れていたんだよね。これ、漁期が限定なのかな?
なので、お店を出る時に店員さんに聞いてみた。
「生シラスっていつも食べれるんですか?」「いえ、クリスマス頃から3月までは食べられないんですよ」「だから初詣に来た時になかったんや~」「禁漁…ってゆうか、シラスは魚の稚魚なんで、稚魚がいないと漁は出来ないんですよ」あ。納得!にしても、ここのメニューはどれも旨そうでしょう?これに引かれて数多いお店からここに足を止める客は多いと見た!

さて、江ノ島です。
まずは江ノ島マップのその1。青銅の鳥居。
参道の入り口に立ってます。市指定文化財。「文政4年(1821)に再建されたものですが、両柱には数多くの寄進者が彫られ江戸時代の信仰の広さを今に伝えています。掛けられた額に記されているのは江ノ島大明神。鳥居をくぐると土産物屋さんが立ち並ぶ賑やかな参道が続きます。道幅は今も昔も変わっていません」だそうで。
んでもって郵便局。
明治時代の郵便差出箱(ポスト)です。説明板発見「明治4年3月に郵便事業が創業し、明治5年、東京府下に郵便取扱所を開設するにあたち書状箱を設置したのが始まりです。
この郵便差出箱は、明治20年頃に使用していたものを復元したものです皆様から愛され、ご利用していただくことにより「あなたの街の湯便局」のポストとして、江ノ島のふるさとづくりに役立ちたいと思います。」だそうで。このポストにハガキを投函すると、江ノ島の特別な判子付きのが届くかも~?   人気ブログランキングへ 
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江ノ島散歩開始です

2012年01月07日 04時57分32秒 | 鎌倉
お出かけは11月7日。
朝起きたらお出かけ日和の空だったので、友人を誘って江ノ島へ。さすがに当日誘って出かけるには、遠くへは行けない。待ちあわせは江の電藤沢駅の改札前。
ってなことで10時35分、到着しました!江の電の江ノ島駅に。
トップ画像は江ノ島駅にあった柵です。最近この手の柵をちょいちょい見かけますが、ここのスズメは服を着てます。しかも江の電カラ~笑える~

さて向かったのは龍口寺。以前にも何度か紹介してる場所ですが、日蓮さんの龍の口刑場(2010年3月17日)の記事日蓮宗の霊跡の画像を確認出来ます。
今日の目的はお寺の裏山へ上ること。
で。まずは私のフェイバリットな山門!

何度見てもよく出来てます。細工が隅々まで細かいんだよね~。

これは門の柱の下部にあった金具。門に飾ってある木彫りの絵の額などは、裏表で絵柄が違う程。訪れた際はぜひに門でクルクルしてみて下さい。
本堂でお参りした後は、さっそく裏山へ。
をを??…なにやら枝しかない木がある…。
あれって、もしや…イチョウ?なぜかしら~??
この時私はまだ気づいてなかったんですけど、訳は去年の紅葉がダメダメだった理由と同じ。9月の台風でイチョウの葉っぱは落ちてしまったのだ~…。

さて五重塔です。説明板発見「仏教の開祖であるお釈迦様が亡くなられた時、そのご遺体は荼毘に付され、その遺骨(御仏舎利という)は八つに分骨されて、その当時、インドで主流の八分族に渡された。そして八つの部族は塔を建立し、それぞれに頂いた御仏舎利を、その中に安置してお祀りした。
この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で「ストゥーバ」という。このストゥーバが五重塔の起源であり、法要で供養する卒塔婆の起源である。
五重塔は、この世と、また、私たち人間を形づくっている5つの要素である「地」「水」「火」「風」「空」の五大を意味する。龍口寺の五重塔は明治43年(1910)竣工、欅造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。初層の上部には彫刻師、永田伊助の手になる日蓮大聖人御一代記が奉納されている。
「神奈川建築物百選」にも選定されている剛健優美な五重塔である」だそうで。
…ここの説明板の文章の出来はいいなあ~。説明板をあちこちで読んでると、出来の善し悪しってあるんだと気づくんだよね。
裏山を更に上る。
こんなんありました!日本のお寺にはなかなかありませんよコレ。
説明板発見「御仏舎利塔…仏教の開祖であるお釈迦様が亡くなられた時、そのご遺体は荼毘に付され、その遺骨は八つに分骨されて、その当時、インドで主流の八分族に渡された。
そして八つの部族は塔を建立し、それぞれに頂いた御仏舎利を、その中に安置してお祀りした。
この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストゥーバ」という」ってここまで五重塔の説明文と全く同じじゃん!?
「龍口寺の御仏舎利塔は昭和45年(1970)、日本山妙法寺大僧伽山主、藤井日遠猊下の発願により、この地に通現した。
仏塔内部にはインド•ネルー首相より拝受した御仏舎利が奉安されている。
海外ではシャンティ•ストゥーバ(平和の仏塔)と尊まれる、白亜に輝く美しい御仏舎利塔である。」
だって。つまり、日本の五重塔と、このストゥーバは同じ目的で作られた建物なのですね。
これが江ノ島にあるの、もっと広まってもいいのに~。
ちなみに、このストゥーパは高台にあって、見晴し台もあります。空が澄み渡ってれば、見晴し台から富士山が見えると思う。この日は生憎見えなかったんだけどね。
さて、次は~。   人気ブログランキングへ
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鎌倉新緑散歩ゴール

2011年07月26日 05時01分53秒 | 鎌倉
長谷のレトロ洋館加賀屋邸の隣にあるのが甘縄神明社です。

こちらは鎌倉で一番古い神社です。

おや?北条時宗公産湯の井戸がこんな所に。

いつものように狛犬をチェック。ここの狛犬は最近造り直したようですね。

拝殿です。本殿は拝殿の背後にあります。
右手に階段発見!登ると秋葉様がありました。
さて帰宅です。お土産は長谷通りか力餅屋さんで。

友人のチョイスはまめ屋さんでした。こちら店内のほとんどの豆を試食出来るんですよ
早速試食~。きなこ豆美味しかったです。うめ豆はいまいち。値段もお手頃。1種類200円ほどです。大人にはいいかも~。
さて到着したのは江の電の長谷駅。ここから帰るには、
1)江の電の終着駅の鎌倉駅へ。JR横須賀線に乗換えて大船駅乗換えでそこで友人とさよなら。
2)江の電の始発駅の藤沢駅へ。途中、車窓から太平洋と江ノ島の遠望を楽しみます。あ。「スラムダンク」の陵南高校のモデルつーか、オープニングに出てきた踏切とか桜木軍団が電車待ちしてた鎌倉高校前駅も通るよ~」って誘ったら、同じくスラムダンクが好きだった友人は大喜びで藤沢駅コースの2)を選択しました。

運良く海側の車窓の席をゲット出来てラッキーです。
藤沢駅でお別れ。時刻は16時半。約20000歩のお散歩になりました。お疲れさまでした~。

翌日、太ももが痛い…。散歩途中で二人してぼやいてた「足のアキレス腱」も痛い~。
鎌倉観光には坂道&階段がセットでついて来るのです。
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