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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

長谷のレトロな洋館

2011年07月25日 04時26分32秒 | 鎌倉
鎌倉文学館を西へ。
と。洋館が見えてくる。
鎌倉市景観重要建築物等指定第12号。平成7年1月1日
国登録有形文化財。平成18年10月18日
「鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)
この建物は、関東大震災により壊滅的な被害を受けた鎌倉に残る明治期の建造物として非常に貴重な存在です。明治期の建物は、それ以降の建物と比較して外観の造形意匠が華やかなのが特徴ですが、この建物はその中でも秀逸なものと高く評価されています。
創建当時は現存の建物の北側、南側に和館があり、現在。住宅地となっている建物周辺の一帯は庭園であったと言われています。建物と背景の丘陵が調和した風景は、この地域が近代に別荘地として栄えた文化・記憶を今に伝える貴重な存在です。
設計年 明治41年(1908)
設計者 不詳
施工者 不詳
*一般公開はしていません」って説明文に書いてありました!
中は見れないのか~。

レリーフが素敵。中を覗いたら、階段も素敵でした。

さて、次は甘縄神明社です。
って、あれ??
なんか素敵な洋館があるう~。

鎌倉市景観重要建築物等指定第31号。平成21年3月2日指定。
「加賀谷邸
加賀谷邸は、端正なつくりの和風建築物に、一間の洋館部を備えた近代に流行した住宅建築物です。この洋館部は、天井の他界平屋建てで、屋根上部に付けられた宝珠の棟飾りや上げ下げ窓を用いるなど細部のデザインが鎌倉市子ども会館(旧諸戸邸)とよく似ていることから、設計の際に参考にしたものと考えられます。
緑に囲まれた谷戸の閑静な住宅地の中で、ひときわ目を引く背の高い洋館部は周辺のランドマークになっています。
施工者 不詳
設計者 不詳
*一般公開はしていません。」
こちらも公開してない~。残念です。


ついでにレトロ建物つながりで長谷通りにある建物をもう1つ。

先日由比ケ浜通りで見かけたレトロ建物の鎌倉彫のお店「寸松堂」を紹介しました。そこで出て来た白日堂さんです。こちらも鎌倉彫のお店です。
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鎌倉文学館

2011年07月23日 04時53分16秒 | 鎌倉
14時過ぎ、バラの季節に訪れてみたかった鎌倉文学館到着。
『文学館は、鎌倉ゆかりの文学者の直筆原稿・手紙・愛用品などの文学資料を収集保存し、展示することを目的として、昭和60年(1985)に開館しました。
鎌倉文学館の本館と敷地は、以前、加賀百万石藩主前田利家の系譜である旧前田侯爵家の鎌倉別邸でした。
鎌倉別邸は、明治23年(1890)頃、第15代当主前田利嗣が土地を手に入れ、和風建築の館を建てたことにはじまります。明治43年(1910)、館は類焼により焼失、後に、洋風に再建されます。さらに、第16代当主前田利為氏が全面改築を行い、昭和11年(1936)、今に残る洋館が完成します。
第二次世界大戦後、デンマーク公使や佐藤栄作首相が別邸を借り、別荘として使用していたこともあります。
また、三島由紀夫は、小説「春の雪」に登場する別荘を鎌倉別邸をモデルに描いています。
昭和58年(1983)、第17代当主前田利建氏より鎌倉別邸の建物が鎌倉市に寄贈されます。そして、建物の外観を残しながら補修と増改築を施し、新たに収蔵庫棟を建て、鎌倉文学館は開館しました。
本館の外観は、ハーフティンバーを基調とする洋風と切妻屋根と深い軒出などの和風が混在する独特なデザインです。内部も全体は洋風でアールデコの様式も見られますが、随所に和風様式が取り入れられています。』
文学館パンフレットより。
ちなみに、旧前田侯爵邸本館はこちらです。旧前田侯爵邸洋館外観(2011年1月14日)の記事こちらは小田急線東北沢駅からすぐの場所にあります。無料公開されてます。ちなみに、内部も観覧出来ます。旧前田侯爵邸洋館1階(2011年1月15日)の記事


/文学館所在地はここ。
/入館料は400円。
訪れた5月19日には鎌倉の佐助に住んでいた作家米原万里さんの特別展が展示中でした。
入館すると靴を入口で預けて回ります。素敵な応接間など内観を撮影したい所ですが、内部は撮影禁止です。

ステンドグラスが綺麗~。確か2種類ありました。
あ。入館するとそこは建物の2階部分。展示は1階にも。でも3階部分は非公開です。耐震補強してないから、出来ないんだって!惜しいなあ。文学館から鎌倉の海がよく見えると思うですよ。3階のバルコニー、いや、窓からでもいい。海が見たかったなあ。

鎌倉は明治以降、多くの文学者が居住・滞在し、著作活動をしてました。
文学館には鎌倉ゆかりの文学者の原稿や初版本などが展示されていて、日本近代文学が好きな人は時間を忘れて見入ってしまう程です。

ちなみに、目黒区駒場公園内にある旧前田侯爵邸洋館のフォトチャンネルを作成したので、興味のある方はご覧下さい。
旧前田侯爵邸

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鎌倉のレトロ建築散歩

2011年07月22日 04時16分11秒 | 鎌倉
佐助稲荷の周辺は、素敵なお家がある。通りに面する塀は、素材も自然の木や竹で作ってあったり、生け垣だったり。中々にバラエティにとんでいて、見てて楽しい。佐助稲荷から銭洗弁財天へ向かう道が交差。道幅は狭い。この道、西側に水の流れる側溝があり、石垣に小さな白い花が咲いてます。雑草だと思うけど、小菊のようで花を追いかけて道を下って行くと市役所通りに出た。そこを越えて更に南下。結構歩きます。佐助稲荷からだと約30分。と。由比ケ浜大通りに出ました。
きゃあっ素敵な建物が早速登場です。
由比ケ浜大通りはめぼしい歴史ポイントや寺院がないからあんまり歩いたことなかったんだけど、実はレトロな感じでいいです。この所古建築巡りを楽しんでる私は小躍りしちゃいます。
ってなことで、新緑の鎌倉からレトロ建築散歩へモードチェンジ
1つ目は鎌倉彫の寸松堂さん。説明板発見。
/鎌倉市景観重要建築物等第4号 平成4年2月1日指定
「この建物は、鎌倉彫の店舗併用住宅として建てられたもので、1階店舗部分のガラス戸、ショーウィンドーなどに近代洋風建築の技術が見られますが、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような特異な外観が印象的です。長谷にある白日堂も同一施工者の作品で、その外観も寸松堂と並び印象的です。
建築年 昭和11年(1936)
設計者 西井喜一
施工者 西井喜一、西井正二」
ショーウィンドウの中に愛らしい雀のダンス発見。

飾りもいい感じ。

建物をサイドから。

鑑賞した後は、由比ケ浜通りを西へ。今日の散歩のもう1つの目的地は鎌倉文学館なんだな~。

地図を片手に歩いてると、近所に「鎌倉市吉屋信子記念館」なるものがある。
ついついふら~っと脇道に入ったんだけど、地図ではもう近所に来てるハズが、なかなか記念館が見つからない。友人が携帯で地図を検索してくれて、現在地から数メートルの所にあるハズなんだけど…。
と。近在のご夫人がやってきた。
「すみませ~ん。吉屋信子記念館を探してるんですが…」とたずねましたらば。
「そこよ」と教えていただいたのは私の背後にあった森!でした。

こ、これ~??
ヤな予感…。
取りあえず入口を教えていただき行ってみた。

やな予感は的中し、入れませんでした…。
鎌倉市が管理してる物件は結構あって、それらの古建築物は期日限定で公開されてるのです。例えば以前記事で紹介した華頂宮邸旧華頂宮邸(2008年12月9月)の記事とか大佛次郎亭鎌倉幕府所在地(2008年4月4日)の記事とかとか。
吉屋信子記念館は、入口からでは建物さえもちらっとも見えない…。
残念ですが、次行ってみよう~!
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銭洗弁財天と新緑の佐助稲荷

2011年07月21日 04時50分38秒 | 鎌倉
源氏山公園でお昼ごはんにした後、真葛岡・裏大仏ハイキングコースへ戻る。
でも途中で一端山を降りちゃった!
行き先は銭洗弁財天です。
ええ。また…。お金が増えるありがたーい場所??(2009年10月18日)の記事
いつものごとく500円をちゃぱちゃぱ洗ってお参りして…。それで宝くじでも買おうか?と思ってたのに、財布に洗った500円を戻したのが失敗の元。
うっかり普段の買い物に使用しちゃたよ~~。
ってなことで宝くじはナシになりました!
ここで友人と相談。
「次、どこいく?
1)もっぺんさっきの坂を上ってハイキングコースに戻る。
2)佐助稲荷へ寄道して、そっからハイキングコースへ復帰する。」
と訊ねましたらば、彼女が「佐助稲荷行ってみたい」と答えるので銭洗弁財天から佐助稲荷へ行く道を、軽く迷いつつ目指す。

銭洗弁財天から佐助稲荷は、ハイキングコースの脇道にようなものがあり、道々撮影しました。去年ゴールデンウィークに鎌倉新緑散歩した時は、野生の藤をあちこちで見かけましたが、5月19日には藤はもう消えてました。あちこちで見かけたのは白い花。名前は知らない…。

新緑に赤い鳥居はよく似合う。

お稲荷さんと言えば、やはり狛犬ならぬおキツネ様です。

こんな感じで佐助稲荷にはキツネがあちこちにいらっしゃいます。
拝殿の左手に、古い稲荷の社があります。

なかなかに日本昔話の世界。おとぎ話が好きな方にはこのお稲荷さんはおすすめです。観光地鎌倉にあって観光客も少ないしね。

佐助稲荷神社の名前ですが、佐助さんに由来が?って予測しました??
おしいっ!
半分正解です。
佐助って実は源頼朝のことなのですよ。頼朝が幼少の頃「佐殿」と呼ばれていたことに由来するのです。そして頼朝が伊豆に島流しに合っていた頃、ここの稲荷神が夢枕に立ち挙兵を勧め助けたことから「佐助」稲荷の名がついたと伝えられてます。

あ。社務所がある。
あれ?
誰もいない。
ガラス戸が開かない…。
友人は交通安全のお守りが欲しかったらしく、残念がってますが、人が不在ではいかんともしがたい。

社務所の奥に水の湧き出る泉もある。この辺りはいつきても水気が豊富だよなあ。
あ!!
樹の枝にリスがっ!?
友人と共に盛り上がる!
「あ。もう一匹来たよっ」
盛り上がったまま撮影してみた。

失敗した。一応上の画像の中央右の鉄棒の上にいる丸いのがリスなんですよ。
リスは野生なんである。ペットじゃないから手乗りにはならない。
「階段の上に建物あるよ。上る?」
「どうしようかな?」
「あれ。本殿みたいだよ」
「それならば…」と二人して参拝する。ここから左へ延びる坂道を上がるとハイキングコースへ復帰するんである。

って!!
足元の悪い道をモノともせず降りていらっしゃったのは禰宜姿のおじさん。
「もしかして、社務所の方ですか?」
「そうですよ」
「お守りをいただきたいんですが」
「今、開けます」
禰宜さんを追いかけて階段を下る。
「いやあ、ここ開けておくとね、リスが入って悪さをするんだよ」
「へえ?」
「フンするのが困るんだ」
「リス2匹いますね」
「まだいますか?昔餌付けしてたことがあって、食べ物があるって知ってるからウロウロしてるんだよね」
「へえ~へえ~へえ~」
「社務所の隣に休憩出来るようにお茶の用意してあるんだけど、クリープが好きでね。ふただけ持って走るんだ」
「蓋ですか?」
「そうなんだよ。蓋に歯形が一杯ついててね」
おしゃべりは楽しい。
友人は希望通り交通安全のお守りを手に入れた。
「…ちょっと前にね。若い女の人が交通安全のお守りを一杯買ってったんだよ」
交通安全のお守り人気なのね。ここって交通安全のご利益があるのね。とか思ってたら、おじさんの話には続きがあった。
「震災で会社の車が全部流されたからってね」
うっ!!
………。
まさかそんな目的か!!
咄嗟に上手なコ、コメントが出来ません。
私は暢気に観光してますが…。
「それは大変でしたね」
「そうだね」
そう返すのが精一杯。
場がしんみりしてしまったーー。
「「………」」
も。無理!て、撤収じゃあ!!
「じゃ、私らはこれで」
佐助稲荷を後に次の観光先は?
「次、どこへ行く?
1)ハイクングコースに復帰して裏大仏をラストまで。鎌倉文学館へ戻る。
2)南下して由比ケ浜通りを西に鎌倉文学館。」
「南下して普通の道がいい」
「私もそれがいい」
時刻は既に13時を過ぎてて、だいぶん疲れてきた気がするし~。もっぺん土の坂道を上るのは嫌~~っ!!ヘタレなんです。体力もあんまりないんです。
ってなことで、南下コースへ決定!
ちなみに、以前に佐助稲荷を訪問した時の記事はこちら。佐助稲荷(2010年5月26日)の記事この記事を読むと、鎌倉のハイキングコースの大変さの一部がわかるかと…。
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真葛岡ハイキング!

2011年07月20日 04時56分44秒 | 鎌倉
東慶寺は年を通じて様々な花が楽しめるのですが、訪問した5月19日は花期の間に当り目ぼしい花は咲いてなかった!
ま。今日の目的は新緑散歩だから問題ないけど。
ってなことで東慶寺から移動して浄智寺へ。
実は真葛岡・裏大仏ハイキングコースは浄智寺の左隣の坂道が登り口なのだ。
の。前に浄智寺の説明板。あ。トップ画像が浄智寺です。ここ。以前に詳しく紹介した浄智寺(2008年12月20日)の記事ので今日はサラリと流す感じで。
/手前の池は甘露ノ井戸(甘露水)です。
「国指定史跡 浄智寺境内
鎌倉五山第四位、臨済宗円覚寺派、金宝山浄智寺は、弘安4年(1281)北条時頼の三男宗政が29歳で没後、間もなく、宗政夫人と幼少の師時(もろとき)を開基して、宗政の菩提を弔うため創建されました。
中国、宋の名僧、ごつ庵普寧と大休正念、及び日本僧南州宏海の三人が開山になっています。これは、当初開山に招かれた宏海が、任重しと身をひき、師の大休正念を迎えて入仏供養をおこない、すでに世を去っていた師僧のごつ庵普寧を開山としたためです。
創建当時の伽藍は、外門、山門。行堂、仏殿、方丈、庫裡等を備え、塔頭は11院に及んだということです。
長い間には、たたずまいも変化し、現在は、看門寮、山門、鐘楼門、仏殿、書院、方丈、隠寮、庫裡などの堂宇が柏槙や杉木立の中に点在しています。
境内は、周囲を緑の山々にかこまれ、昔ながらの、広大な寺域を残しており、地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保護されています。」
浄智寺からしばらくは緩やかなアスファルト貼りの道。その後石段がしばらく続きます。石段を抜けると、自然の土の道となります。
こんな感じで。
ね。山登りの靴が必要でしょ?この辺りまで写真を撮る元気もあったのですが、「どっちがハイキングコースだと思う?」と連れにたずねる道が続く。んで上ったり下ったりしつつハイキングコースを進みます。
風が木々を吹き抜ける音。まるい木陰が地面に幾何学模様を描く。時折横須賀線の電車の音や野鳥の鳴き声を楽しみながらだからあんまり辛くない。
そんなこんなで道幅が広くなるとそこに真葛岡神社がありました。

この辺りはベンチやテーブルがいくつかあるので、休憩にはもってこい。訪れた5月19日にはまだヤブ蚊もいない。
真葛岡神社も以前に紹介してる鎌倉のハイキングコース(2009年10月17日)の記事こちらに真葛岡神社、日野俊基のお墓、化粧坂切通の画像があります。  ので今回はパス。
ここ、ご祭神が日野俊基さんです。売店があって、おもしろいお守りが売られてました。ここパワースポットで売ってるみたい。以前来た時はなかったよな。
真葛岡神社からハイキングコースを少しだけ進むと。

以前、この辺りで富士山が見えるハズとうろうろして発見出来なかったんだけど、樹にある貼紙にしたがって右手を見ると!

うっすら富士山の頂上あたりが見えました。
でも訪れた時はまだ富士には残雪が多くて、画像では富士の形を判別出来なかったので、ピンクで稜線を書き込んでみた。こんな感じに見えます。
ハイキングコースに沿って日野俊基の墓と化粧坂切り通しがある、日野俊基さんはこの地で処刑されたのです。明治に入って朝廷の為に果てた彼は復権したんですね。鎌倉はそういうの結構あるのです。
化粧坂切り通しは、私は何度もぼやいてますがここ急坂なんで私は降りたくな~いっ!
も。上から坂を見下ろすだけにするつもりだったんだけど、友人は元気に坂を下ってゆきました!
げ、元気だ…。彼女「体力が最近なくて…」って言ってたけど、充分元気だよ…。

そんなこんなでいつもの源氏山公園の頼朝公の像のある広場に到着。いつものようにどこぞの小学生が遠足に来てます。が、カラス軍団VSトビもいます。カラスとトビは獲物を狙ってバトルを繰り広げてます。しばらく観察していたら、小学生のおやつをカラスがさらって行きました!
カラス…。器用な飛び方です。トンビも1羽だけでは分が悪いのか、獲物を得られないまま海の方へ飛び去りました。

いつものお昼ごはんをいただいて体力回復です。
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北鎌倉東慶寺

2011年07月19日 04時56分27秒 | 鎌倉
大船の龍宝寺から移動。
JR横須賀線で一駅。北鎌倉駅で降りる。午前10時47分。
駅のそばにあるのは円覚寺。新緑の紅葉が綺麗。でも今日はパス。円覚寺から歩いて約5分。
東慶寺に到着。
看板発見 「鎌倉幕府の第8代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。
夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、駆け込めば離縁できる女人救済の寺として、開山以来、600年近く縁切りの寺法を引き継いできました。後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられていました。明治時代になると寺法に終りを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。
境内にはウメやハナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ四季を通じて楽しめます。学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙(宗教家じゃなかったっけ?前に仙がいさんの本を探してた時に彼の著書がヒットしたような)、西田幾多郎(この人の「善の研究」ってわかりにくい本だったよな)、岩波茂雄、和辻哲郎、安能成、高見順、小林秀雄らの墓があります。」
みじかい階段を上がると拝観料100円を支払い境内へ。

鐘楼。茅葺き屋根。

本堂。本堂裏に岩がらみという山アジサイに似ている白い花が6月に咲く。その時期だけ本堂に入れます。
 


これは岩たばこ。

訪れた5月19日にはまだ咲いてません。

上の画像左下が本堂の裏に咲く岩がらみ。画像右にある紫色の花が岩たばこ。

東慶寺には日本国歌に出て来る「さざれ石」もあります。
寺の奥へ進むと坂道になっていて、墓地が点在しています。山が際まで迫っててなかなか雰囲気があって、散策もおすすめ。

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大船の龍宝寺

2011年07月18日 04時09分54秒 | 鎌倉
大学からの友人がこの春関東へ引っ越して来た。
ってな事で、一緒に鎌倉新緑散歩出かけました。え?7月も半ばで新緑??
や。もちろんおでかけしたのは7月じゃなく、5月19日です。
今年の5月は薫風の五月晴れはとても少なかったんだけど、この日は晴れました!川越散歩で日よけ帽子を忘れて後悔したので、友人には「日よけ退対策の帽子着用。んでもって、真葛岡・裏大仏ハイキングをやるから、山登りの格好で来て」と事前にお願いしてあった。彼女は「本格的な登山スタイル?持ってないよ」と言うので「私のブログの過去の鎌倉散歩見て判断してね」って言いましたらば、彼女は歩き易い靴と転んでも後悔しないジーンズでやって来た。そう。鎌倉の観光は、坂と階段と里山歩きがセットでついて来るんである。
では行ってみよう!
集合場所は大船駅の駅前交差点に9時30分!最初の目的地は「龍宝寺」です。
このお寺はかつて大船に玉縄城があった時、城主が造ったお寺です。といった歴史は既に以前のブログで紹介済み龍宝寺(2010年5月27日)の記事なので、今回はパス。
5月19日にここを最初の目的地に選んだのは、龍宝寺がしゃくやくの名所だから!
見頃のしゃくやくがみた~いっ!!
ってなことで、しゃくやくど~んっ。





しゃくやくだけでなく、フランス菊も綺麗~。

本堂の前庭にも。

前回綺麗に撮影出来なかった、新井白石の碑。



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明日鎌倉へ行くならここ!

2011年05月20日 11時28分07秒 | 鎌倉
先日計画を立てた鎌倉散歩へ昨日出かけて来ました!
今週末に鎌倉訪問の計画を経ててる方に、気になるお花の咲き具合を画像で確認して下さい。
まずはトップ画像。こちらは大船駅から徒歩約10分程にある『龍宝寺』さんです。
以前ゴールデンウィークに龍宝寺さんを訪問した時はまだ咲いてなかったので、見頃にぜひと思ったので、友人との待ち合わせを大船駅前に指定したのでした。



お寺に南欧風味のお花畑がある風景~素敵でしょ?
お花が好きな方にはこの近くにフラワーセンター大船植物園(入園料350円)もあります。こちらでは現在、しゃくやくの他にバラが見頃です。私達はパスしましたが、綺麗なお花を目当てにフラワーセンターを目指す大勢のお客さんとすれ違いました。

大船駅から横須賀線の北鎌倉駅へ移動。そこで東慶寺へ移動。丁度見頃の花の谷間に当ってしまった~。まもなく、しょうぶ苑や岩タバコや岩がらみが見頃を迎えます。
北鎌倉から鎌倉方面へ。

浄智寺さんの左脇にある道を登るとそこが<真葛岡&裏大仏ハイキングコース>です。
看板発見。「あと5分歩くと、アスファルトの道は終了。そこから階段。しばらく行くと、土の道を上がったり下がったりの道になります」

鎌倉は観光地です。でもおしゃれ着で気軽にハイキングコースを選択すると後悔します。友人に「山登り用の靴を履いて来て」と前持って頼んでたのです。ハイキングコースでは今流行の山ガールの彼女達とすれ違いました。山歩きに自信のあるおじさんも、画像のような足元にうっかり転けてました!ハイキングコースはよそいき着も避けたほうがいいですね。
でも新緑は期待通り素晴らしいまるい木漏れ日が地面で踊り、ウグイスなどの野鳥の声と樹々を渡って行く風の音が楽しいんですよ。
あ…。
紫外線防止の為に帽子をかぶって坂を上ってましたらば、私ってば「ガン」と枝におでこをぶつけてしまいました…。今朝もまだぶつけたでこに触ると痛いです。たんこぶにならなかったのが幸い。鎌倉のハイキングコースはなかなかですので、足元だけでなくコース内に侵入している枝にもお気をつけ下さい。
お昼を源氏山公園でいただき、銭洗い弁天でお金を洗い、寄道したのは佐助稲荷。

こちらへ足を伸ばす観光客は少ない。でも新緑は綺麗だし、リスはうろうろしてるし。日本昔話の風景を静かな中で楽しむことが出来ます。
そして昨日、5月19日にバラ苑が7分咲きだった鎌倉文学館(入園料400円)。
こちらのバラ苑は鎌倉ゆかりのバラや日本名のついてるバラがいくつもあるのです。んでもって、最近古い洋館巡りをしてる私にはバラと洋館の一挙両得でたまらんシュチュエーションでした

今週末に鎌倉へと考えてる皆様、参考になったでしょうか?
あ。
つつじのシーズンはもう完璧に終ってました。つつじの名所へでかけても、花はもう残っていません。
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若宮大路のお店

2010年12月15日 04時36分29秒 | 鎌倉
トップ画像は豊島堂の本店限定商品の数々。
以前「鳩三郎」のストラップを購入した場所です。
鳩サブレーのストラップ(2008年11月27日)の記事鳩三郎のストラップ映像を確認出来ます。
ひやかしに入ってみたら、新商品が増えてました。
「はっトランプ」って…。

鎌倉丼はえび天なのですね。

幸せの判子。兎~。

何じゃこりゃあ~~。
オーストラリア料理??
なのにバングラデッシュメニュー??あ。
カンガルーステーキ1580円だって。
クロコダイルグリルもあるや。
え~と?
そのお肉ってわざわざオーストラリアから輸入してんの??
話のネタに一辺食してみたい気も…。

さて、14時頃鎌倉駅に到着。
朝の人身事故と信号トラブルのダブルコンボの影響がまだ残ってるのかな~?
などど。
ホームで電車を待ってたら「エクスキューズ・ミー」という声が後ろからかかりました。
鎌倉は有名な観光地です。
あちこちで道を聞かれることがままあるのですが、尋ねた相手も観光客というのはありがちで、私も最近になってようやく過不足なく道案内出来るレベルになりました。ま。食事制限あるんで、飲食店の案内は出来ないですが、寺院仏閣・観光地ならまかせてちょうだい。
でも英語~~??
わかるんか?わしにっ!
「イ、イエス?」
と。なんとかヒアリングは出来た。どうも「品川…渋谷へ行きたい。次の電車は渋谷へ行くか?」と尋ねられてる様子。
ヤ・ヤバイ~~。
よりによってダイヤが乱れてる時にっ!湘南新宿ラインは朝確か運休してたよな?もう復旧したんか??
と。
電光掲示板を見ると「君津」行きの文字がっ!
君津~~??
それってどこやねんっ!
わから~んっ。
取りあえず「今日は事故があって、大船駅で乗換えて下さい」と答える。
と。彼女の顔に不安が走る。
「どの電車に乗り換えればいいですか?」
ああ。湘南新宿ラインと答えられれば。
取りあえず「君津」行きの線が何だかわからないので、周りに知ってそうな人を掴まえて尋ねる。
「すみません。今日湘南新宿ライン走ってますか?」
「いつもは次の次に来るのが直通なんだけど…。」
「復旧してるかわかりませんよね?」
「ええ」
「なら東海道線で品川ですか?」
「ええ」
ってなやり取りの後、英語で彼女に伝える。
私の英語はもうブロークンなんです。詳しい説明なんか出来ない~~。
ってなことで、結局大船駅で一緒に降りて、駅員さんを掴まえて渋谷行きに彼女を無事乗せることが出来ました。宇都宮行きの湘南新宿ラインがあったんです。大船駅発に変更になってました。横須賀線に乗り入れは事故の関係で本日されてないようでした。
あ。
うっかり、東海道線の上りホームへ降りちゃった。下りはホームが別なんだった。大船駅は。
自分の電車を一本乗り遅れた~。何やってんだか。
そんなお散歩は約15000歩。10時過ぎに北鎌倉駅。14時に鎌倉駅。余裕を持っての散策だったけど、結構歩いてますね。
何度も言ってますが、鎌倉観光のポイントは、あんまり観光を詰め込まないことですよ~。
おそらく12月半ばの今日は鎌倉はまだ紅葉シーズン中です。現在のお薦めは妙本寺さんから鎌倉宮へ向かい、瑞泉寺さんとかいかがでしょうか?毎年12月下旬まで紅葉が楽しめるコースです。

さて、今日で鎌倉紅葉散歩はおしまいです。おつきあい下さった皆様ありがとうございます。
数日、相模原の菊見の記事の後、根津・上野・お茶の水・湯島の東京都文化財ウィークの特別公開巡りの記事をお届けします。

ところで本日からもう来年の年賀状の受付開始なのですね。
皆様、年賀状の準備は終りましたか?私は裏面を作成したままうっかり放置しちゃいました。そんで、昨日思い出して宛名書き等を終えて完成させました。もう忘れないうちにさっさと投函してこようっと。
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岡田信一郎設計の国宝館

2010年12月14日 04時21分39秒 | 鎌倉
上野を散歩した時、岡田信一郎作品があちこちにありました。で、調べてみたら丸の内の日本生命館やニコライ堂の修理など日本近代建築の有名な作品も彼の設計でした。そして鶴岡八幡宮の境内にある国宝館も彼の設計だったのです。
岡田さんの設計は自在なモチーフが特徴かな?
で。
こちらの国宝館はズバリ、奈良の正倉院かな?
だって校倉造りなんだもん。
が。

運悪く、休館中でした。

使用不可な謎の入口。
搬入口じゃないですよ。だぅって、建物のすぐ隣に小川が流れてて、そのふちは雑木があってトラックを横付け出来ません。飾りの入口ですね。

使用不可の入口はこちらにも。裏手に回ってみたら、隣は武道場でした。しかもっ!!どっか外国のテレビ局が取材中。美人アナがカメラに向かってしゃべってました。どこの国の取材だろう~?

今度国宝館の内部も見て見たい~。
さてそろそろ撤収です。最後に若宮大路をひやかして鎌倉駅へ向かいます。小町通りが有名だけど、観光客が多いからもっぱら若宮大路が私のお気に入り。
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寿福寺さんで道案内

2010年12月12日 04時26分03秒 | 鎌倉
寿福寺さんは非公開のお寺です。だから、墓地にある高浜虚子のお墓も北条政子・源実朝親子のお墓も知ってる人の案内がないとまずたどり着けないんだよね~。
ってなことで、迷ってるおばさんに声かけました。
私「お墓参りしたいのなら、案内しますけど~。どうされます?」
おばさん「お願いします」
私「だいぶ登った所にありますけど?かまいませんか?」
おばさん「もちろんですっ!(きっぱり)」
とおばさんは意気揚々と坂を上り始めたんですが、すぐに後悔したようです。
やっぱりな。
ここ、マジにだいぶ坂を登った所に墓地があるんだよ。しかも虚子のお墓も政子親子のお墓も墓地の一番奥にあるやぐらにあるしな。
息も絶え絶えについて来るおばさんを先導しつつ、地図を取り出す。
え~と。
政子のお墓って近道あったような…。
そんなこんなで最初に到着したのは「虚子のお墓」でした。
おばさんはすかざすお墓参り開始しちゃいました!
ええっ!?
こっちは単に道案内して来たんだから、お参りはどうでもいいんだけどな。取りあえず場所を確認して墓参りは後回しにしてよぉ~~!!
が。
おばさんというものは自己中心的な生き物なんである。それはどんなおばさんでも基本なんである。
なので、愚痴るだけ無駄なのだ。だから私は虚子のお墓を右折して、政子親子のお墓を探す。するととってもわかりやすい場所にあったので、引き返しお参りが終ったおばさんに「道なりにゆくと、左手のやぐらに北条政子親子のお墓がありますから」

「じゃ、私はこれで~」
一声かけておばさんとわかれる。
さて。
寿福寺さんは参道か綺麗なのだ。

どんな季節に参道を見ても感動する。
ふと。山門を振り返ると、紅葉が綺麗でした。

ぼちぼち鎌倉紅葉散歩も終りが近づいて来ました。
鎌倉の散策はよくばらないのが基本です。上り下りが結構あるから疲れが足にくるんだよね~。
さて、最後に確認したい場所が一つ。
それは今年の春先に倒れてしまった鶴岡八幡宮の御神木の大銀杏。そろそろ紅葉してるかな~?

趣きのある散策道。こちらは鎌倉市川喜多映画記念館。

画像奥に見えるのは旧川喜多邸。かつて洋画を日本に公開していた夫妻。旧宅を鎌倉市に寄贈され、現在は手前の建物で記念館で懐かしい映画の上映などが行われています。現在は「小津安二郎監督作品」の企画展示中。

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謎のハイキングコース発見!?

2010年12月11日 04時04分02秒 | 鎌倉
源氏山公園の大混雑が嘘のように、ハイキングコースは人影がない。つーか、ここって本当にハイキングコースなのかっ??
トップ画像じゃ狭さがわからないかもしれませんが、ここ普通に歩けない程狭いです。途中で深く切れ込んだ石の溝に靴を入れて、こう平均台を進むように前進すればいいんだって気づきました!
マジか~~。
実は今年のゴールデンウィークに佐助稲荷から葛原岡・大仏ハイキングコースに登り道に迷ってうろうろしてたら膝をくじきまして、整形外科送りになってしまいました。あ~。ヤなこと思い出した!
鎌倉は有名な観光地ではありますが、南の湘南の海方面を除くと三方は山に囲まれていて、実はハイキングコースが何本かあります。でもね。それが結構急坂満載のコースなので危険なんだよね。街中を観光する服装でハイキングコースへ行くととっても後悔しますよ。
こんな感じの道ですから。
わかります?左手の黒い扇型。これがハイキングコースの道なんですよ。
謎のハイキングコースなのだけあって、観光マップには載ってません。載ってるのは、天園・大仏&葛原岡・祇園山。天園には獅子舞&覚園寺の脇道があるから、強いて言うならば、発見したコースも大仏&葛原岡の脇道ですね。鎌倉って、本当に面白いです。

あれ?何だろう??やぐらが見える。

地図と照らし合わせると、おそらく寿福寺さんのやぐらかな~?
あ。
またまた何か発見!
/太田道灌の首塚。
え??
何でこんな所に道灌の首塚があるの??確か道灌が主人にだまし討ちされて暗殺されたのって伊勢原だよね??
確かに主筋の扇谷上杉家の屋敷はここを下った所にあったけど~??
妙伝寺のシャガ(2010年5月23日の記事)扇谷上杉管領屋敷跡、太田道灌邸旧跡の石碑の画像はこちらで確認出来ます。
ここに何故あるのはわからない首塚がハイキングコースの脇にあったので、とりあえず手を合わせて先へ。
と。
何故かお墓が立ち並ぶ場所に出てしまいました~。
え~と??
道は一本道だったけど??

ハイキングコースの出口は、なんと寿福寺さんの墓地の一角にありました。つーか、こっちから来たらハイキングコースの登り口なんか絶対わからないよ~~。
と。
あれ??
迷ってる人発見!
どうやら高浜虚子のお墓を探してるようです。
…知ってるけど…。どうしょっかな~。今降りて来た道をまた登らなきゃなんだよね~。
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化粧坂から源氏山公園へ

2010年12月10日 04時42分59秒 | 鎌倉
海蔵寺さんの訪問を終えたら既に12時でした。
どこかで昼ごはんをせねば…。でも海蔵寺さんは谷戸の奥にあり、近くに飲食店はない。一番近いのは源氏山公園。ってなことで、もう二度と登るまいと誓った化粧坂にまたまた挑戦です。
源氏山公園は標高93メートルの里山のてっぺんにあって、公園に行くには坂を登るしかないっ!しかも選択した「化粧坂」はとっても急なんです。毎回ぼやいてるけど。

実はここは鎌倉切り通しの一つ。歴史上も重要な合戦のあった場所でもあります。
新田義貞の鎌倉攻めはここであったのね。画像のような場所でどうやって戦ったのか。見てもわかりますが、足元は手作業で造った石の道。かつ大概濡れてます。お年寄りにはもれなく危険がついてくるので回避すべき道でもあります。ど~しても!というなら充分注意して行かれて下さい。
あ。
画像からわかる通り、北鎌倉方面から銭洗弁天や鎌倉大仏や長谷寺へ向かう近道ですので、人通りは結構ありますよ。譲り合い精神で時間を充分にかけて登りましょうね。ちなみに、登る方が降りるより楽ですよ~。ここを降りる場合、怪我には気をつけてね。なにしろ足元は「石」ですから。
さて。
源氏山公園到着。

お弁当をいただくには大人気の場所です。
相席をお願いしてなんとかベンチを確保。
ここでお茶とクリームパンでお昼~。

この辺りは日当りがいいのか既にモミジの最盛期は過ぎてるようですね。

源氏山は源頼家が奥州征伐の際、山に白旗を立てて勝利を祈願したことからその名前がつきました。広場には源頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられた像があります。
鎌倉のブログで見た源氏山公園の紅葉の画像が素晴らしかったのでぜひ見てみたかったのですが、撮影ポイントを探し切れませんでした。
うろうろしているうちに、まだ歩いたことのないハイキングコースを発見!
これ、どこへ繋がるんだろな~?
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海蔵寺の紅葉

2010年12月09日 04時59分09秒 | 鎌倉
海蔵寺さんは正直私のお気に入りで今年は春にも訪問して記事にもしてる。
海蔵寺(2010年5月24日)の記事。
海蔵寺の新緑(2010年5月24日)の記事
ハギの花と鎌倉の寺はよく合う(2009年10月16日)の記事。など。
だから説明文は軽い感じで。

深い谷戸の最奥にあるお寺で、建長5年(1253)に心昭空外を開山として開かれたが、元弘3年(1333)鎌倉滅亡の際全焼。
その後1394年関東管領足利氏満の命を受けた上杉憲定が再建。

上の画像は底脱の井。春来た時は水が溢れてましたが、11月末はこんな感じ。鎌倉十井の一つ。他に十六ノ井もこちらにあります。が、そっちは見たことありません。なぜなら十六ノ井は有料だから。井戸の拝観は別途100円。
/
画像左の庫裡は天明5年(1785)建立。

/
画像奥は安永5年(1776)浄智寺から移築の仏殿。
/画像奥はたぶん薬師堂。


赤い傘がフォトジェニックでいつも人気。人がいなくなるのを待ってましたが無理!ってなことで画像は庫裡の軒先に吊るされてました。

海蔵寺さんは道沿いの紅葉も綺麗です。写真を選び切れなかったので、フォトチャンネルを作成しました。左のバーの「鎌倉海蔵寺の紅葉」からお入り下さい。はっきり言っておすすめです。
鎌倉海蔵寺の紅葉こちらからも入れます。
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入れない長寿寺さん

2010年12月08日 04時45分23秒 | 鎌倉
明月院さんを出たのが11時過ぎ。そんで長寿寺に到着したのが11時20分。
でも長寿寺さんは基本非公開なんですよ。
ただし、期間限定で公開してくれるんです。
そして、11月は毎週金土日、祝日に公開ですっ!
でもね~。私が鎌倉へ紅葉を見に出かけたのは木曜日だったんですっ!
だから入れません。

だから入口から見える範囲を覗いてみた。

鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔い建立したと伝える。茅葺きの山門の奥には足利尊氏の座像を祀る観音堂がある。また背後にある五輪塔には尊氏の墓と伝える。
足利尊氏って室町幕府を開いた人ですよね?こんな所にお墓があるのか~。
中国でよく見る石碑を背負った亀!。
ってアレ?これ、亀??ち…、違うかも???
ちなみに、春期は(4・5・6月)の金土日および祝日の10ー15時公開されます。

さて、長寿寺さんは実は目印なのです。
こちらを右折して坂をゆく。と。切り通しがあるのです。
切り通しは有名なので7つありまして、現在はどこも観光の抜け道として調法します。何しろ鎌倉は東西北の3方に山があるのです。そんな所に幕府を置いから。人、集まって来ますよね。物資も運ばにゃ~イカンのです。無理にでも道を造る必要があったのです。無理から造ったのが切り通しな訳。
11時24分撮影。
上の画像は亀ケ谷坂切り通し(かめがやつざかきりどおし)のほぼ頂上。ここを過ぎると今度は下り坂。下り坂は結構急で長いです。
鎌倉七切り通しのひとつ。
仁治元年(1240)三代執権北条泰時が整備。
国指定史跡扇ケ谷と山ノ内を結ぶ武蔵方面への交通の要で、坂を登っていく亀が途中でひっくり返るほど急坂だった為別名「亀返し坂」とも呼ばれている。
北鎌倉方面から来ると坂は短くて緩やかです。それは北鎌倉から緩~い坂をだらだらと登って来たから。でも反対側から来ると坂を一気に登ることになるので、すれ違う観光客は一様に疲れてます。
よかった~。先に明月院さんへ行ってて。ここ、北鎌倉から鎌倉へ抜けるには便利なんだよね~。
坂を下り切った所に岩船地蔵堂がある。
そこから数十メートル先で横須賀線と交わる。道は横須賀線の下をくぐって向こう側へ渡る。
岩船地蔵堂は木曾義仲の長男喜高に嫁いだ大姫は、父・源頼朝に夫を殺され自らも命を絶つ。その悲恋は「吾妻鏡」にも記述されている。地蔵堂には大姫の守り本尊だったお地蔵さんがあるそうだ。
地蔵堂の前に女子大生の姿。もしや日本文学専攻かな??
11時34分撮影。
道なりに進んで海蔵寺が見えてきた。
海蔵寺は本日のメイン観光地だ。
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