名前でお察しの通り、日蓮さんはここで立正安国論を書き上げました。
トップ画像は安国論寺の山門です。わかりにくいけど、門の右手前には1~2分咲きのしだれ桜がありました。
この地には初代鎌倉幕府の執権北条時政(政子の父)の屋敷があった場所。鎌倉に来た日蓮上人が始めて草庵を結んだ所の一つと言われている岩窟がある。
その岩窟のそばに、弟子の日朗上人が建てた安国論窟寺がこの寺の始まり。
日蓮さんはこの地に20年住んで布教しました。彼は度重なる法難に会い、文応元年(1260)に松葉が谷焼き討ちの際、日蓮さんが避難したと言う南窟が寺の裏山にあります。
日蓮さんが避難した南面窟です。
ちなみに、このお寺は拝観料がいります。
でも100円なので鎌倉の拝観料の必要なお寺の中では最安。
趣きのある参道。
日朗上人御荼毘所。
本堂前にあった。仏足石など。
御小庵。
南面窟は山道にあります。山道を振り返るとこんな感じ。
ちなみに、訪れた3月22日は既にしだれ桜が3部咲き程になってました。
境内はこんな感じ。
あれ?これに富士見台がある~。今、気づいた…。
さて歴史好きとしては一応「立正安国論」についてかいておかねば。
立正安国論は、日蓮が文応元年(1260)に北条時頼に提出した文章のこと。
当時、北条時頼は鎌倉幕府の事実上の最高指導者です。
中味は結構過激。今なら名誉毀損モノ。
骨子を要約すると。
『当時相次いでいた災害を、日蓮は正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じてる為と、日蓮さんに対立する宗派を非難した。更にこのまま浄土宗を放置すれば国内では内乱、外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である法華経を中心とすれば(立正)、国家も国民も安泰となる(安国)と主張した。』
………。
え~と。
そりゃあ、幕府は怒るわな…。
幕府はまじめに地震・暴風雨・飢饉・疫病の対策で四苦八苦してるのに。どこから予算をひねり出すか苦心惨憺なのに。
こんなん送りつけられたらそりゃキレるよな。
犯人を捕まえに走って当然でしょう~。天災はともかく不安のある庶民に危険な流言飛語を触れ回る人を放置出来ないものね。
ちなみに、北条時頼は信仰していたのは禅宗でして、日蓮さんが邪法として攻撃した宗教です。
今風に言うと「日蓮何サマッ!!」
なのに何故に日蓮宗は現代まで生き延びたのか??
それは元寇があったからかもしれん…。
元寇は文永5年(1268)モンゴル帝国が日本に攻めてきた事件です。
ええ。
日蓮さんが立正安国論を提出してから8年後です。
これがどういうことか?と言うと。
『モンゴルは都合2回?日本にやってきたのでして、「外国から侵略を受ける」と日蓮さんが書いた立正安国論はモンゴルが日本に攻めてくる都度一躍予言書に昇格した』のです。
もちろん幸運だったのは日蓮さん。
ほ~ら、私の言った通りでしょう~。と鼻高々に、以後も権力者への助言を続けました。そんで信徒は増えたのね。
………。
これって今みたいにテレビやラジオなんかないんだから、日蓮さんは自ら『私は幕府に進言した。立正安国論を。内容は…』と言って回ったってこと?
んで、在野の一新興宗教だった日蓮宗は、日蓮さんの死後も後継に恵まれ、遂には天皇に拝謁して講義するまでになりました。
日蓮…。
自分の名前を自分の宗派につけた男…。
誰か漫画化してくれないかな~?
つーか、ドラマ化したら面白いと思うんだよね。
だって強烈な個性の男、日蓮さん。やることなすこと波風を立てる男。ドラマチックでいいと思うんだ。
でも。
日本じゃ「宗教」ってだけでは流行らんという…。
それって、絶対切り口間違ってるから!!
宗教に燃える人ってやっちゃうからつまらん話になるんじゃ!!
でも宗教からんだら色々バッシングする人も出てくるから、やっぱり人間日蓮でやるのも無理か…。
宗教者って歴史上の有名な武将よりドラマチックな人が多いと常々思ってます。
以前書いた夢想疎石って人もなかなか…。
トップ画像は安国論寺の山門です。わかりにくいけど、門の右手前には1~2分咲きのしだれ桜がありました。
この地には初代鎌倉幕府の執権北条時政(政子の父)の屋敷があった場所。鎌倉に来た日蓮上人が始めて草庵を結んだ所の一つと言われている岩窟がある。
その岩窟のそばに、弟子の日朗上人が建てた安国論窟寺がこの寺の始まり。
日蓮さんはこの地に20年住んで布教しました。彼は度重なる法難に会い、文応元年(1260)に松葉が谷焼き討ちの際、日蓮さんが避難したと言う南窟が寺の裏山にあります。
日蓮さんが避難した南面窟です。
ちなみに、このお寺は拝観料がいります。
でも100円なので鎌倉の拝観料の必要なお寺の中では最安。
趣きのある参道。
日朗上人御荼毘所。
本堂前にあった。仏足石など。
御小庵。
南面窟は山道にあります。山道を振り返るとこんな感じ。
ちなみに、訪れた3月22日は既にしだれ桜が3部咲き程になってました。
境内はこんな感じ。
あれ?これに富士見台がある~。今、気づいた…。
さて歴史好きとしては一応「立正安国論」についてかいておかねば。
立正安国論は、日蓮が文応元年(1260)に北条時頼に提出した文章のこと。
当時、北条時頼は鎌倉幕府の事実上の最高指導者です。
中味は結構過激。今なら名誉毀損モノ。
骨子を要約すると。
『当時相次いでいた災害を、日蓮は正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じてる為と、日蓮さんに対立する宗派を非難した。更にこのまま浄土宗を放置すれば国内では内乱、外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である法華経を中心とすれば(立正)、国家も国民も安泰となる(安国)と主張した。』
………。
え~と。
そりゃあ、幕府は怒るわな…。
幕府はまじめに地震・暴風雨・飢饉・疫病の対策で四苦八苦してるのに。どこから予算をひねり出すか苦心惨憺なのに。
こんなん送りつけられたらそりゃキレるよな。
犯人を捕まえに走って当然でしょう~。天災はともかく不安のある庶民に危険な流言飛語を触れ回る人を放置出来ないものね。
ちなみに、北条時頼は信仰していたのは禅宗でして、日蓮さんが邪法として攻撃した宗教です。
今風に言うと「日蓮何サマッ!!」
なのに何故に日蓮宗は現代まで生き延びたのか??
それは元寇があったからかもしれん…。
元寇は文永5年(1268)モンゴル帝国が日本に攻めてきた事件です。
ええ。
日蓮さんが立正安国論を提出してから8年後です。
これがどういうことか?と言うと。
『モンゴルは都合2回?日本にやってきたのでして、「外国から侵略を受ける」と日蓮さんが書いた立正安国論はモンゴルが日本に攻めてくる都度一躍予言書に昇格した』のです。
もちろん幸運だったのは日蓮さん。
ほ~ら、私の言った通りでしょう~。と鼻高々に、以後も権力者への助言を続けました。そんで信徒は増えたのね。
………。
これって今みたいにテレビやラジオなんかないんだから、日蓮さんは自ら『私は幕府に進言した。立正安国論を。内容は…』と言って回ったってこと?
んで、在野の一新興宗教だった日蓮宗は、日蓮さんの死後も後継に恵まれ、遂には天皇に拝謁して講義するまでになりました。
日蓮…。
自分の名前を自分の宗派につけた男…。
誰か漫画化してくれないかな~?
つーか、ドラマ化したら面白いと思うんだよね。
だって強烈な個性の男、日蓮さん。やることなすこと波風を立てる男。ドラマチックでいいと思うんだ。
でも。
日本じゃ「宗教」ってだけでは流行らんという…。
それって、絶対切り口間違ってるから!!
宗教に燃える人ってやっちゃうからつまらん話になるんじゃ!!
でも宗教からんだら色々バッシングする人も出てくるから、やっぱり人間日蓮でやるのも無理か…。
宗教者って歴史上の有名な武将よりドラマチックな人が多いと常々思ってます。
以前書いた夢想疎石って人もなかなか…。
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