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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

まんだら堂やぐら群と大切岸

2013年01月07日 05時55分58秒 | 鎌倉
まんだら堂やくら群は普段は非公開です。期間限定公開だったので、12月1日に見学にゆきました。
場所は名越切り通しの一番有名な第一切通の場所の近所です。



まんだら堂やぐら群は、一つ一つは2メートル四方程度と小規模で、構造も単純なものが多いのですが、150以上の穴の存在が確認されている有数のやぐら群です。
やぐらの中に並ぶ五輪塔は、後の時代に動かされているものが多いので、中世の姿そのままとは言えませんが、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたものです。葬られたのは、武士や僧侶が多かったと考えられていますが、経済力を蓄えた商工関係者なども含まれていたかもしれません。(逗子市教育委員会配布のちらしより抜粋)


 


辺りに現代的な建物がないので、中世の時代に思いを馳せ浸れるなかなかに楽しいポイントです。ぜひ常時公開して欲しいなあ…。まあ場所柄盗難や保存を考えると常時公開は難しいか…。もったいないなあ~。
さて。実はまんだら堂やぐら群を訪れるついでに寄りたいポイントがあったのです。でも事前に随分WEBページを徘徊したのですが、場所が特定出来なかったのです。それが大切岸
まんだら堂やぐら群で配ってたチラシには大切岸の画像が載ってました。すかさず配ってたおじさんに「ここへ行きたいのですが、場所が分からない」と訴えてました。おじさんはよく尋ねられるようでスラスラと教えてくれました。特に、間違え易い分岐点についてレクチャーしていただき感謝です!!

分岐というはこれ。
上の画像の左手が名越第一切り通し&まんだら堂やぐら群。右手上り坂方面が大切岸&法性寺。左中央下り坂方面が長勝寺です。
こういう行き先表示板を鎌倉市のハイキングコースや切り通しにもつけてくれよっ!!頼むよっ!!
実はあって当たり前のように思いますでしょうが、鎌倉市内のハイキングコースに案内板はまず存在しません。時折親切なハイカーが手作りで案内表示を書いてくれたりしてる場所もあるんですが、たまにその案内板が間違ってる事がありますっ!!鎌倉のハイキングコースはその昔は鎌倉への陸路の尾根道として利用されてた場所も多く、歴史的には1000年近くある歴史道だったりするんですが、歴史と反比例の単なる自然の山道の箇所も多く、雨が降るとぬかるむし、木が落葉すると無茶苦茶滑るし。歴史道だからか分岐点が多いんだよっ。その分岐を進むと大概どっかの寺に行けるんだけど、分岐点に案内がないから迷う迷う。ええそうなんですよ~、迷った事あります。一旦尾根道から降りてしまうと、間違ったからといってもっぺん尾根に上がる気力はオバさんにはないんだよ~~。と。声を大にして叫んでみる!その点逗子市の行政区の名越切り通しは整備されてるよな。ありがたい。
さて。案内板に従い、右手の上り坂を上がります。と。前方より旅行会社のツアーがやって来ました!
マジかっ!!こんな場所を老人が大量にっ!!
昨今元気な年配者は多いからてっきりそういう団体だろうと思ったのですが…。
「ある程度覚悟してたけど…」「こんな道を歩かせられるなんて…」
あ。愚痴が一杯聞こえてきた!鎌倉の観光はね~、コースによったら厳しいよ~。んでもって、階段と坂も多いよ~。お気をつけ下さい。
さて次成る分岐点。

左上の道は名越切り通しの本道。右下の道は大切岸が観賞出来るポイントの法性寺の墓地への道。
名越切り通しは大切り岸の上を歩くことになるので、名越切り通しを歩くと切岸は見えないんですよ。まんだら堂でおじさんが力説した分岐ポイントがここです。事前に知らなかったら直進してた分岐でした。

坂を下ると、すぐに左手にかつて石を切り出した跡が見えて来ます。
 
それを横目に進むと…。急な階段が現れます。

石の階段つーか、岩を切り出して階段を作ってます。階段の幅が狭く、こう後ろ向きにはしごの要領で降りるのがよろしいかと。
やがて目的の大切岸が見えて…。
あれ?

こ、工事中~~~っ!!

切岸保存工事中でしたっ!!が~~~んっ!!

で・でも大切岸は大規模だからね。全部工事は出来まいっ!!

遠く切岸を望みます。
ところで切岸って何だ?
いただいたチラシによりますと。「大切岸は長さ800メートル以上にわたって高さ3-10メートルにもなる切り立った崖が尾根に沿って連続する遺構で、従来から、鎌倉幕府が三浦一族からの攻撃に備えるために、切り通しの整備と一体のものとして築いた、鎌倉時代前期の防衛遺構だといわれてきました。
しかし、平成14年度に発掘調査したところ、大切岸は板状の石を切り出す作業(=石切り)の結果、最終的に城壁のような形で掘り残されたもの、つまり石切り場の跡だという事が確認されました。
石切が行われた時期ははっきりわかりませんが、堆積している土砂の上層に、江戸時代、宝永4年(1707)の富士山噴火による火山灰が含まれていますので、それより古い時代であることは確実です。
14-15世紀の鎌倉では、建物の基礎や溝の護岸、井戸枠などに切石がさかんに用いられてますので、名越の山中で大規模な石切が行われたのも、この頃が中心ではないかと考えます。」ちらしには、一概に防御の目的は一切なかったと即断は出来ない。とも続けられてます。
距離的にいって、最古の港、和賀江島を作る材料もこっから大量に切り出さしたのかも?とか思いますね。歴史ロマンに思いをはせれるポイントです。ここも観光地じゃないから(だから場所がわからなかったんだが)ゆっくり妄想に浸れるポイントで歴史好きにはおススメです。
さて…。
一旦降りた道を引き返し、名越切り通しの本道に合流。名越の道を通って長勝寺に向かいます。…これが…もう…。すんごい道であった!!

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え~。きのうぼやいてたMacのアダプタですが、結局電源が入らないまま。
さっきダンナが町田のソプマップでアダプタを買って来てくれました。45WMagSafe Power Adapterは6800円だった…。高かった…。
んでもいいの。ようやく電源が入ったので現在絶賛充電中です。つーか、充電しながらこれ書いてます。
いや~、たった1日なのにパソコンないと困る困る。
例えば、今日スーパーでチリ産のムール貝のむき身を購入したんですよ。んでいつもならば、ネット接続してムール貝のレシピを検索します。これが出来なかった!
例えば。スーパーのWEBチラシで検索かけてから近所の三和スーパーへ行くんだけど。調べられなかったので午後にスーパーに行ったら、今日はあれこれ売り出しがあった!んでも「ご好評につき本日の大根98円は売り切れました」のような札があちこちに下がってた。敗北した。
例えば、上野へ散歩に行きたいなあ~。し・調べられない~~。
例えば、WEBメールが見られない。アドレスもwebメールに登録してるから、友人にメール問い合わせ出来ない~。
も。散々でした。普段どれだけMacのお世話になってるかしみじみ実感した。Macがなかった頃、何をどうしてたんだろう…。あ~、不便だった!!
にしても…。
購入の初動からアダプタの調子が悪かったんだから、とっととMacのショップに持ち込んで交換してもらっておくべきでしたね。や。昨日までは接続部を何度かパチパチと繋ぎ直せば電源はかろうじて復活してたのでショップまで行くの面倒くさくって放置しちゃったのがそもそもの間違い。保証期間調べようにも、電源が入らないから充電出来なくて調べられなかった~~。もう踏んだり蹴ったり!!
まあせっかくなのでMacを使わなくて出来ることをしようと、年末に出せなかった粗大ごみを市の南処分場へ持ち込みしました。が。これもまた。受付時間の検索が出来なかったのね。んでおそらく出せるのが可能な時間帯を推測して午後13時42分受付となりました。や。12時から13時までは休憩で受付休止だったので危なかったです。自転車の前かごに空気清浄機を押し込んで持ってったので、持ち帰りになったら目も当てられませんでしたよ。
あ。そうだった。インターネットだけでなく、携帯電話で撮影した画像もMacに入ってて、iPhotoで管理してるのでこれもまた調べられなかった!!も~~~~ッ!!
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名越切通しとまんだら堂やぐら群

2013年01月06日 05時35分10秒 | 鎌倉
京急新逗子駅到着。近くのJR横須賀線逗子駅からバスが出てるのですが…。
あはは~。今、出たとこ~。どうする?次まで25分、いや30分近くあるよ?
やっちまいました…。天候が一時的に悪くなったからって、金沢八景巡りなんかしなければ…。
後悔先に立たずですね。
でも本当はこの時駅前ショートカットで311号線へ徒歩で向かうべきでした!やってきたバスに乗車してわかったんだけどね。JR逗子駅を出発したバスは京急新逗子駅を経由して、なおかつ駅前の渋滞に巻き込まれ…。JRのバス乗り場に到着した時すぐに歩き出したら余裕で最短コース200メートル先のバス停で追いついていたのです。
なぜにこないにバスに乗り遅れたのを嘆いてるかと言いますと、12月の日没は早いのだ!名越切り通し(まんだら堂やぐら群ー大切岸)ー紅葉の長勝寺&安国論寺の散策予定時間がどんどん減ってくのですよ。
そんなこんなで金沢八景駅を出発したのが13時50分過ぎ。名越切り通しに到着したのがなんと!15時でしたっ!!
イカ~~ンっ!!
ええいかんかったんです。名越切り通しの行政管轄区は鎌倉市でなく逗子市です。
逗子市の観光協会のWEBで検索かけて乗車したバスは亀ヶ丘団地循環の亀ケ丘団地北バス停で降りたら、徒歩5分で名越切り通しとあったのでそのようにしたのですが、バスは団地内をぐるぐる回るルートでここでも随分時間をロスしてしまいました。
それもこれも名越切り通しの場所が地図で特定出来なかったから!!
や。切り通しがピンポイントの地点でなく、道。ルートだというのはわかってたんだけどね…。ここは名越切り通しを歩いた事のある人にくっついて行くのがベストです。鎌倉は切り通しが複数あるのですが、自然のままの山歩きのハイキングコースに近いと思って下さい。整備した道じゃありません。出来たら足元はアウトドア用の靴をはいて下さい。んでストック(杖)があると安心です。
そんなこんなで名越切り通し。

なんかね。吉永小百合さんが鎌倉のCMで撮影してた場所って言えばわかる?

名越切り通しの中にあるまんだら堂やくら群の特別公開で逗子市教育委員会の人が配ってたチラシによりますと。
名越切り通し(国指定史跡)とは。治承4年(1180)に源頼朝が居を構えた鎌倉は、南方を海に、それ以外の3方を丘陵に囲まれた要害の地でした。そのため、陸路を鎌倉に入ろうとすると、その多くは細くて急な尾根超えの山道か、危険な波打ち際の崖下の道であったと思われます。
13世紀前半、執権北条氏の権勢が確立する頃になると、鎌倉も政治経済の拠点として発展しますが、頻繁となる物資や人びとの往来にとって、それまでの交通路は大きな妨げとなりました。その難渋を除くため、都市の基盤整備の一環として、後に「鎌倉七口」などと呼ばれる切り通し路が開削されたと考えられます。
名越切り通しは、鎌倉と三浦半島を結ぶ要路の一つです。周辺には、切り通しの防衛にも関係すると考えられる平場や切り岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布していて、中世都市の周縁の歴史的景観を良く残しています。
ちなみに、名越切り通しは鎌倉の世界遺産登録申請物件21カ所の一つです。
上の画像の図解は、一番したの色付きの部分が鎌倉時代の切り通しの地面。年月と共に切り通しは浅くなってます。
さて。いよいよ期間限定公開中のまんだら堂やぐら群に到着です。

実は私以前まだまんだら堂が公開されてた頃に訪問した事があります。あの頃はまんだら堂跡はアジサイの名所でした。中をぐるぐる回った記憶はあるのですが、やぐら群を見た記憶は全くないのですよ。んでもって、今回行ってみたら、アジサイは消えてました。
やぐらとは土地の少ない鎌倉独特のお墓です。鎌倉のお寺は裏山があることが多いのですが、大概裏山にはやぐらが掘られてることが多いのであちこちで見かけた事がありますが、まんだら堂のやぐらは「群」と呼ばれるだけあって、まるでお墓のマンションのようです。一見の価値あり!!
見たい人は逗子市の観光協会のホームページをチェックして下さい。特別公開情報はここでゲット出来ます。
少し長くなったので、やぐら群の詳細は明日の記事で。
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も~~~っ!!
MacBook Airのアダプターの調子が悪いっ!
つーか、購入時からアダプターと本体を繋ぐとこが一旦外れると電源が入らないことが8割9割だったのですが、最近は本体に繋がるコードが外れたら、電源は100%戻りません。
これ、初期不良だったんじゃないの^??
こうね。45W MagSafe Power Adapterっていう奴なんですが、四角い箱みたいな部分のコンセント側のコードを一旦抜いてもっぺん差し込んだら20回~30回くらい繰り返したら電源が戻るんだけどね。どう考えてもこんなんおかしいわっ!!
これ、旦那が私のMacBookを壊してしまい、修理に持ってったんだけど復帰せずその場で新しいMacBook Airを買って戻ったんだけど…。くそっ。そもそも購入した直後から電源は入りづらかったんだよ。もうっ!!なんとか無償交換とか出来ないのかしら?保証期間はどれくらいなんだ~~~。もうっ!!あ~~。また試してみる。そうなのね。さっきうっかりコードに足ひっかけたと思ったらコードが抜けて電源が入らなくなってしまった…。さっきからアダプターの四角い所のコードを抜いたり接続を繰り返してるんだけど、10回繰り返してもうキレちゃったよ。酷い~~~っ!
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称名寺の秋

2012年12月31日 05時57分11秒 | 鎌倉
横浜市金沢区にある称名寺は鎌倉の世界遺産登録申請のお寺の一つ。今では横浜市に属してますが、鎌倉の歴史との関わりが深いお寺なので、カテゴリーは「鎌倉」に分類しました。
さて。ガイドさんに連れられて称名寺を回ってて、一番目を奪われたのは散り始めたイチョウの木でした。イチョウが阿字が池に移る様はとても美しく…。浄土の風景です!って言われたら同意する程に綺麗でした。



でも撮影は後回しにしてここは称名寺の歴史を伺わねばっ!!だってガイドさんは無料で長々と私たちにつき合って下さってるのですから。

最初に紹介するのは、釈迦堂です。1862年、幕末に再建されました。よ~く見ると、屋根の上に北条のミツウロコが2つあるのですが…。見えますか?鎌倉の歴史物件では北条のミツウロコ。源氏のササリンドウ。足利の丸に二つ引き両、日蓮宗の井桁に橘が要チェック。なので訪問したらまず屋根をチェックするのですよ。
まあここはチェックするまでもなく北条です。なぜなら称名寺は鎌倉幕府の要人、北条実時が13世紀の中頃に持仏堂を造ったのが始まりなので。実時の子、顕時、孫の貞顕が拡充して大寺院となりました。

金堂1681年再建。寺院の中心建物。本尊として弥勒菩薩立像(国指定重要文化財 1276年作)が祀られています。壁画・須弥壇等多くの国の重要文化財が残されてます。
な~の~に~っ!!
かろうじて参拝はしたけれど、金堂の画像を撮りそびってしまった~。何やっとんじゃぁああああっ!!

こちら北条実時の像。僧像ですね。
北条実時は…北条泰時を烏帽子親に、8代執権北条時宗を補佐。文永の役の翌年政務を引退。称名寺の地に蔵書を集めて金沢文庫を創設した。ちなみに、北条実時の戒名が称名寺
さてこの像とイチョウの木々がある辺りにぽっかりと開けた場所があります。
ガイドさん「ここに少し前まで金沢文庫がありました。今はそのトンネルの向こうにあります」
私「それって本来の場所へ戻したって事ですか?」
ガイドさん「そうです」

中世のトンネル跡。今は下部が埋もれてますね。岩の感じは鎌倉の里山と同じだわ~。切岸ややぐらが彫ってある岩肌と同じです。
ちなみに、現在の金沢文庫に称名寺からも行けるのだ。

トンネルはがっつり作られてます。すんごく金沢文庫の展覧会を覗いてみたいけど、今日の予定を考えると時間が足りない。まんだら堂やぐら群の限定公開は公開時間が限られてるのだ。ここはぐぐっと我慢です。
さて。称名寺の境内から見える小高い丘に墓石が見える。
私「あれは何ですか?」
ガイドさん「北条顕時と貞顕の墓所です」
ををっ!!お墓スキーは行かねばなるまい。
んがっ!!そこまでガイドさんに突き合わせられないのね。この後、サラッとガイドしていただき仁王門で終了です。が!私は再び称名寺へ取って返します。って!!ダンナが着いて来てくれない~。いいも~ん。一人でいけるも~ん。

北条顕時と貞顕の墓は2つ並んでます。上は北条顕時のお墓はこれ。

右隣に北条貞顕の墓。

思ったより控えめの墓石なのね。んでもちゃんと五輪塔なのですね。武士にはふさわしい。
さて。この辺で次へ行かないと、1つ目の訪問地で既に1時間過ぎちゃった!

最後に浄土庭園の阿字が池を振り返り次の訪問地へ向かいます。
帰宅後、ガイドさんにいただいたコピーを眺めてて、称名寺の裏山に北条実時の墓所を見つけました。ううっ!!行きたかった~。またいつか。再訪しよう。

さて。
今年1年私のブログを訪問下さった皆さまありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。

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称名寺の庭園

2012年12月30日 05時55分28秒 | 鎌倉
世界遺産登録を目指し称名寺さん。特徴的なのは仁王門を抜けるとすぐ目の前に広がる大きな池です。
ガイドさん「浄土庭園といいます。浄土の世界をこの世に再現しようとした庭園洋式です。池には阿字が池という名前がついていて、阿の字は梵字の”あ”の字を表現しています。」
私「そういや、先年世界遺産に登録された平泉の寺も浄土庭園でしたね?」
ガイドさん「毛越寺ですね。あちらは藤原氏が造営した寺ですが、称名寺は金沢北条氏が造りました」

ガイドさん「池の真ん中に反り橋があります。手前の太鼓橋は、現世を現しており、過去から現在までの苦労を表現してます。」
私「人生楽あれば苦ありって事ですかね?」

ガイドさん「真ん中の島は中之島と呼び、ここから先の平橋は仏の教えを守れば彼岸(弥勒浄土)に向かう橋です」
わくわくして来ました。

中之島から反り橋。奥に仁王門。なんつーか、護岸を整備してない自然な感じが嬉しいのだな。

平橋を渡り浄土の金堂・梵鐘・釈迦堂側から阿字か池を撮影してみました。

上の画像右端に写ってるのが梵鐘。
ガイドさん「梵鐘は国の指定重要文化財に指定されてます。北条実時が父の7回忌に鋳造させ、子の顕時が1301年に再鋳造(物部国光、依光作)しました」
いい機会なので聞いてみた。
私「先の大戦の時、鐘って供出させられたじゃないですか?よく無事でしたね」
ガイドさん「あれは時代の新しいのが対象だったからね」
古い鐘はセーフだったようです。鐘や鋳物の噴水や飾りは結構あちこちでドラマがあって今に伝わってるので、その時の事を知ってる人に聞けるならば私はそのチャンスは逃さないようにしてます。だってそういうのって、説明板なんかに書けない話だったりするからね。歴史好きは話好きな人が多いから、ここだけの話を結構知ってるんだよね。郷土愛に溢れる人も多いから、楽しい話を期待出来るんだよね。これだから歴史巡りは自分の足で現地に行かないといけないんだよな。
さてこの梵鐘。

私「なんか、鐘の大きさと建物の比率が合ってないような…?」
ガイドさん「称名寺さんは江戸時代に荒れてまして、この梵鐘も哀れなことになってたのを気の毒に思った近在の商人が立て直したんです。ほらここに名が刻んであるでしょう?」

私「ををっ!!寛政年間ですか!」
寛政と言えば、歴史好きの頭にパッと浮かぶのは松平定信の寛政の改革と伊能忠敬の日本測量ですかね?緊縮財政&倹約奨励した時期に立派だよっ。
ガイドさんは物知りです。どんどん質問していこうっっ!!
ってな事で明日もまだ称名寺さんの記事です。
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世界遺産登録を目指す称名寺

2012年12月29日 05時17分05秒 | 鎌倉
鎌倉が世界遺産登録を目指してます。具体的には武家の古都・鎌倉でアピールしてます。
んでそれは何処??というと、11の神社・寺院と10の寺院跡・武家館跡・切り通し・港跡の考古学的遺跡です。
もっと具体的に何処なんだ??と思ってたら、江の電の車内吊りポスターに詳細が地図にして貼り出してあったんです。
すなわち神社1)鶴岡八幡宮・2)荏柄天神社
寺院3)寿福寺・4)建長寺・5)円覚寺・6)瑞泉寺・7)鎌倉大仏・8)覚園寺・9)浄光明寺・10)極楽寺(仏法寺跡を含む)・11)称名寺
寺院跡12)永福寺跡・13)法華堂跡・14)東勝寺跡
武家館跡15)北条氏常盤亭跡
切通16)朝比奈切り通し・17)名越切り通し・18)亀が谷切り通し・19)化粧坂切り通し・20)大仏切り通し
港跡21)和賀江島

です。この中で未訪問なのが11)称名寺、16)朝比奈切り通し、17)名越切り通し、20)大仏切り通しの4つです。
これはイカン。なので12月1日にまずは11)称名寺と17)名越切り通しへ行って来ました。や。当初は称名寺と朝比奈切り通しをセットで、かつての鎌倉へ塩を運んだ塩の道を踏破するつもりだったのですが、名越切り通しの途中にあるまんだら堂やぐら群が12月9日までの限定公開中だと知り、訪問先を変更しました。
では早速。一つ目の称名寺さんから行ってみよう~!!

称名寺さんの最寄り駅は、京急本線、金沢文庫駅です。
そうなのです。称名寺は鎌倉市ではなく、横浜市金沢区にあるのです。だから、ここだけ未訪問で残ってたのだ。
金沢文庫駅より徒歩12分。海に向かってるハズなのに、まさかの上り坂~~。やや。緩い傾斜ではありますが、朝の降圧剤の副作用のある時間帯には辛い坂でした。
んで、ようやく見えて来たのがトップ画像。惣門(赤門)です。
1771年再建。切妻造り・四脚門。
称名寺は北条氏滅亡後荒廃してました。現存する主要な建造物の殆どは江戸時代に近在の商人等により再建されたものです。赤門をくぐると桜並木の参道が参拝者を迎えてくれます。

春ならば夢心地になるかも~。奥に見える仁王門に向かい参道を進みます。
途中にかつての称名寺の塔頭、光明院の表門がありました。

さて。ようやく仁王門に到着です。

時刻は10時過ぎ。仁王門の脇にボランティアさんがいて「無料でガイドします」と立て看板が出てました。
私、称名寺さんは今回が初訪問なので、ガイドをお願いしました。
あ。ガイドさんは、土曜日・日曜日の10:00-15:00にやってます。横浜金沢シティガイド協会のボランティアさんが、称名寺を世界遺産にすべく頑張ってます。
金沢文庫は現存する最古の武家文庫です。ここには、金沢北条氏の歴代が蓄積した文書・記録・和漢の典籍が保管されています。称名寺とはトンネルで繋がってます。鎌倉幕府滅亡後、接収をまぬがれた書物や書類は称名寺が保管してました。
称名寺はかつては大きな寺院で、僧侶の勉強の場、僧坊でした。だから歴史上も大事な場所だったのですね。
さて。まずはボランティアさんに連れられて行ったのは仁王門

でもここちょっと変なんだよね?
門の両側に仁王さんが2体いらっしゃるんですが、なんか窮屈に押し込められてるみたいな~??3畳間にアンドレ・ザ・ジャイアントがいるみたいで違和感がひしひしと??
 
ガイドさんに聞いてみた。
「そうなんですね。実は仁王門も江戸時代に再建されたのですが、本来の門より小さめに再建されたので、仁王さんが窮屈に納まってるんですよ」
あ。やっぱりか。って事は、仁王像は鎌倉時代のオリジナルなの?
「仁王像は約4メートルの高さがあり、関東一と言われてます。1323年院興作とされてます」
神奈川県の指定重要文化財でした~。ううっ。もっと近くで見たいなあ~。やや。像の前に目の細かい金網が貼ってあって、お顔もよくわからないんですよ。仏像好きとしては残念な限りです。

門の脇に、現在の称名寺の見取図がありました。ひ・広いのね。今回はさすがに裏山まで行けないなあ~。
んでもって、門をくぐった先に、かつての称名寺の見取図もあった。

さて、どれくらいの建物が現存・再建されてるんだろうか?た~の~し~み~。
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今日帰省します。記事は予約投稿なんで毎日更新されますが、チェック出来ません。田舎にWEB環境がないのだ。
今年も沢山の方にブログを見て下さりありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

昨日の朝、両足のふくらはぎのこむら返りで目が醒めました。朝から激痛って…。テンション下がる~。
やや。またまら水分不足に陥ってたようです。基本あんまり水分とらない人なので、意識して補給してないとこむら返りがおきてしまう。だいたいそのせいで脳梗塞になったのにこりてないのは問題だ。ってな事で、冬でもこまめな水分補給は大切ですぜ。
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大巧寺・本覚寺・妙本寺夏の花

2012年07月26日 05時22分22秒 | 鎌倉
若宮大路で楽しみにしていたKIBIYAさんのパン…。まだ開店してなかった~。今日は朝5時出発で観光してるので、11時の開店までまた30分もあったのだ!仕方がない~。
次なる訪問地へ移動です。
トップ画像は、JR鎌倉駅から若宮大路に出ると向かいに見える大巧寺さんです。
地元民はほとんど小町大路と若宮大路の抜け道として利用しています。
青いのはこの時期よく見かけるアガパンサスです。ピンクはアマギノクサキ。
大巧寺さん到着は、10時33分。一旦小町大路へ抜けて、本覚寺さんへ。
到着時刻は10時41分。
本覚寺さんでは蓮を目当てに行ったんですけど、咲いているのは1輪のみ。本覚寺さんでは瓶に蓮が作られています。
そして妙本寺さん。
到着時刻は10時49分。
まだアジサイが綺麗でした。鎌倉で最後までアジサイが楽しめるのは妙本寺さんじゃないかしら?なのでいくつか紹介。正真正銘、私の今年最後のアジサイ~。





でも妙本寺さんを訪れたのはこの時期オレンジのつる花ノウゼンカズラ見物だったのですが…。
あれ~~??

え~と…。上の画像の左側の植物、これがノウゼンカズラなのですが…。まだ咲いてない…。
マジでぇ~~??

本来ならば、上の画像の中央のつるの先にオレンジのノウゼンカズラが咲いてるハスでした。これ、撮影したのが7月16日ですがら、丁度10日前なのですね。今頃見頃じゃないかな~?
最後に何度も妙本寺を訪れてるのに紹介漏れしていたものを。
源頼家の長男一幡の墓
源頼家は源頼朝と北条政子の嫡男です。寿永元年(1182)8月12日に、現在は妙本寺。かつては比企能員の屋敷で生まれました。
ちなみに、若宮大路にある段葛は、源頼家が北条政子のお腹にいた時、安産祈願で頼朝が作ったものです。
頼家の乳母に選ばれたのは、比企氏の一族。これは源頼朝の乳母であった比企尼の養子が比企能員であったことから。かかわりは深い一族でした。
ところが頼朝なき後(1199年1月13日)、2代将軍となった頼家君(1201年7月22日)でしたが、治世は全くうまくいかず…。反乱が相次ぎもう大変。比企一族も建仁3年(1203)9月に滅亡しちゃいます。この時、頼家の乳母の父で長男一幡(母は比企能員の娘・若狭の局)の外祖父である比企能員も死亡。この時、頼家の長男一幡は、母若狭の局と共に焼死しました。以後、比企一族の屋敷跡は妙本寺が建ちました。画像の一幡の墓の他、比企一族の墓・若狭の局の蛇苦止堂が境内には残っています。
これらは以前記事にしてるので省略ね。
日蓮宗の妙本寺(2010年4月6日)の記事こちらの記事に蛇苦止堂の画像があります。
さて、時刻は11時8分。
「ここで選択です。
A)今から2キロ先の光明寺へ行って蓮見をする。その後材木座海岸で遠く富士山を望みつつお昼ご飯。
B)帰宅する。
さあどっち!」と言いましたらば、ダンナは「帰りたい~」と言うので「それがいい」と。
まだ11時だというのき帰宅すべくJR鎌倉駅へ戻りましたらば、すんごい人波でした!!
な・ななななな何でこんなに人がいるの~~?
体感気温は軽く30度を超えてます。君達は元気過ぎる…。ほうほうのていで改札を抜けたのですけど、今鎌倉へ到着したばかりの人並みに、ホームへ行けない~~。え・駅員さん~~。た~す~け~て~~っ!!
人波に逆行するのは大変と学びました。ってなことで鎌倉蓮見散歩は終了です。
あ。ちなみに、海蔵寺にも小さな蓮池がありました。 大巧寺は瓶の蓮。 妙本寺も瓶の蓮が置かれてました。海蔵寺さん・大巧寺さんのは7月16日訪問時に既につぼみが伸びていたので、今日7月26日には既に咲いてるかもしれません。
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海蔵寺のノウゼンカズラ

2012年07月25日 05時46分43秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮出発が9時8分。

途中英勝寺さん前通過したのが9時31分。名残のアジサイの花が見えます。んでも、夏の太陽の下のアジサイは色がもう…つーかアジサイに夏のお日様は似合わない~~。
とかなんとか9時42分に海蔵寺さんに到着です。
画像中央奥、階段が見えますか?階段両脇に萩の花がただ今成長中です。9月になると、両側から滝のように落ちる萩の花が綺麗なんだよね。って確か画像があったハズ。検索検索。ハギの花と鎌倉の寺はよく合う(2009年10月16日)の記事この頃、まだ携帯を使ってなかったので、画像が少ないんだよね~。

海蔵寺さんは7月はオレンジのノウゼンカズラの花が見頃。でも今年はまだ少し早いかな~?今年の花は例年に比べ1週間から10日ほど遅めなのですが、7月に至っても遅れが解消してないのだね。
海蔵寺さんの裏庭
画像をよく見ると、左手前にハンゲショウ。奥の池に黄色の睡蓮の花が咲いてます。う~ん。見えるかしら~?
ついでに紫の桔梗の花も綺麗。

なごりのアジサイもまだ残ってました。

さて、次へ。
帰り道は行きと道を違え、JR横須賀線の高架をくぐり岩船地蔵堂に立ち寄りました。ここでもNHKの大河ドラマ『平清盛』関連で一言。
「この岩船地蔵堂はな、源頼朝と北条政子の長女、大姫を祀ってるのよ。実はこの大姫というお嬢さんは、小さい時にもうダンナさんが決まっててね。それが木曾義仲の長男・義高くん。この子は半分くらい人質として鎌倉にやって来たのね。
ところが木曾義仲は頼朝の父ちゃん、義朝君と同じで、京都の政事に失敗して失脚。つーか、源頼朝の命令で義経に攻められて討ち死にするんだね。これはヤバいっ!と北条政子は義高君を逃がそうとしたんだけど、所沢の向こうの川原で捕まって斬首となりました。時に義高君はわずか12歳。
それを知った大姫は病気になってしまいます。が、頼朝は大姫の婿がいなくなったからと、大姫を天皇の妻にすべく入内を画策する訳だ。が!!ここで怒ったのは北条政子さん。なんと!義高くんの首を刎ねた頼朝の家臣を攻めてなんと!晒し首にしてしまいます。かばわない頼朝はヘタレなのか?政子の勘気が酷かったのか?
でもそんな事をしても大姫の心は癒えず、結局大姫は20歳で儚くなってしまいます。そんで、この辺りはかつて野辺送りをした場所。岩船地蔵は大姫の守り地蔵を祀っているのだね。
ちなみに、木曾義高くんのお墓は大船の常楽寺にあります。そのうちに行こうね。」
って立て板に水のごとく解説出来るのは、岩船地蔵堂が、建長寺から亀が坂切り通しを抜けた下って来た場所にあるからです。ここを右手へ行くと、化粧坂切り通し&海蔵寺が。左手へ行くと寿福寺&JR鎌倉駅へ行ける要に位置するので、よく通るのだ。んでよく解説してるのだ。
さて、JR横須賀線を右手に進むと、扇川に平行して進むことに。
扇川は細い小川ですが、谷戸の奥から水が流れ下るので水が綺麗なのです。
画像では分かりにくいんだけど、水の中の藻に白い花が咲いています。これ、カナダ藻かな?アメンボとか小さな魚も泳いでます。鎌倉は小さな川が一杯あるんだよね。気づいたら覗いてみて。以前、青とオレンジの小さな鳥が遊んでいたことも。
さて、次は…。つーか、若宮大路をあえて選択。実は、おいしいパン屋があるのです。ここでパンを買って、お昼に材木座海岸で富士山みながらいただきたい~。って、あれ??し・閉まってるう~~~。
何でやっ!!
……あ。開店時間は朝11時より。え~と?まだ30分くらいあるなあ…。
待つのは嫌じゃ!次行ってみよう~。

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収玄寺

2012年06月25日 05時14分18秒 | 鎌倉
光則寺を後に。時刻はまだ13時13分。でも午後から雨脚が強くなるって言うし、もう撤収。
江の電の長谷駅へ向かっていると、道路沿いに小さなお寺がありました。これが収玄寺さん。
説明板発見:日蓮宗 収玄寺
四条金後縒頼基公(北条氏 江間光時の臣)
鎌倉時代1224年生まれ(元仁四年)ー1296年没(永仁四年)67歳没。
日蓮聖人四大法難の一つ、文永8年(1271)の龍口法難の際、宗祖日蓮とともに殉死の覚悟を決した四条金吾の屋敷跡で、金吾の滅後 捨身護法、法華色読の霊地として一寺を建設したものであえう。
文政(1818-30)年間の創立。
収玄庵と称したが、大正初期本堂を改築し、寺号も改称した。
とにかく小さくて、参拝すると、次に人が来ると避けようがない。

う~む。説明ガイドも場所の確保が大変そう~。ってーー。おや~?

でっかい石碑が建ってるのですが…。
東郷平八郎書
東郷平八郎といえば、NHKのスペシャルドラマ『坂の上の雲』で渡哲也さんが演じてた人です。つーか、日露戦争の時、日本海海戦で1日でロシアのバルチック艦隊を撃破した戦いの総合指揮官です。
なぜにこないなところに東郷平八郎の名前があるんじゃろか?
一応、収玄寺のホームページも見たんだけどね、由来は書いてなかった~。

収玄寺さんの向かいに「まめや」さん発見。
こちらは味見させてくれるので、ぜひあれこれいただいて、お気に入りの一品を見つけて下さい。
私はこの時期限定の「青うめ」をお土産に購入しました。
さて、今度こそ江の電長谷駅へ。って~~!!
なんじゃこの車両っ!!

ってな事で、どうしょうかな~?と思ったのですが、今日(6月25日)の西武ゆり園&北山公園花菖蒲散歩のおでかけ予定が、天候不順で見送り。もう行く気だったので、盛り上がった気持ちを昇華すべく、朝からせっせとアジサイ散歩のフォトチャンネルを作ってみました。よかったらご覧下さい
2012アジサイ散策

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建長寺続き

2012年05月05日 05時05分05秒 | 鎌倉
トップ画像は天下門です。北鎌倉から坂を上りますと、この門が迎えてくれます。
庭園を楽しんだ後、しばし考える。時刻はまだ15時を過ぎた所。万歩計をチェックしたら20000歩を超えた所です。
あれ?まだ2万歩ぽっきり?や。この所、鎌倉観梅散歩で26000歩超え。新宿御苑ー四ッ谷散歩で21000歩超え。小石川後楽園ー外濠公園ー靖国神社ー千鳥ヶ淵散歩で25000歩。それに比べてまだ20000歩だったとは…。ええ~~??鎌倉ってホントコンパクトな街なんですね。
ならば、体力的にまだ余裕があるハズ。
せっかくなので、建長寺を奥へ進むことにする。
 
いい感じの石段ですね。石のすり減り具合から、長年使用されてるようです。

石段を上ったものの、その先にあった天源院さんは非公開でした。上の画像の石畳も歩けません。また隣接する龍峰院さんも非公開。
仕方なく、降りるしなかい。
ん??
ん~ん~?
なぜにか、私を野球部員が追い抜いていく…。続いて学生服の小さな子も追い抜いていく。彼らは何?つーか、どこへ行くのか?そしてなぜに男子ばかりなのか?
実はですね。建長寺さんの境内に、なぜか学校があるんですよ。その名も鎌倉学園中・高等学校(男子校)。ええ、男子校。
にしてもなぜに建長寺の敷地内に学校があるのか?WIKIで検索かけてみた。
すると…。
鎌倉学園沿革:1253年(建長5)鎌倉幕府5代執権北条時頼が日本最初の禅の専門道場として建長寺を創建。
1886年(明治19)前身となる宗学林の設立。
1947年(昭和22)新制中学校設置認可。財団名を鎌倉学園に。
建長寺との関係:総裁・理事長・理事・事務長など重要ポストは建長寺の僧侶、または建長寺派の僧侶が就任する。
ですって!だから建長寺の敷地内に生徒が走ってるんですね。おそらく野球部員の走って行く方向にグラウンドがあるんだろうね。
ちなみに卒業生に、堺正章さんや桑田桂祐さんがいる。
生徒達はみんな途中で左折した。道は更に続いていて、宿舎だろうか?小さな家屋が数軒並んでいた。

上の画像の道を更に上がっていくと、四つ辻に出た。

上の画像の奥へ進むと回春院さんがある。回春院さんも非公開です。私が背にしてる側へ進むと、河村瑞賢遺跡がある。んでもここは直進です。

あ。久々に桜並木が登場した。

う…
階段登場。や。分かってる。この階段を数回上がって行くと半僧坊がある。でも…。今の私の体力では厳しい。
上れるよ。それは分かってる。でも帰宅する体力を残しておかないといけないんだよ。
す、すみません。また次回に繰り越しです。
や~。半僧坊さんにはマイフェイバリット鴉天狗の像が一杯あるんだよな。天狗は私の萌えを発動するんです。今までに、伊勢原市の大山寺とか南足柄市で最乗寺でお会いしました近隣では他に高尾山に天狗像があるのを存じてます。まだお会いしてないけど~。つーか、高尾山を登山しないと薬王院にたどり着けないのでなかなか訪問出来ずにいます。そのうち行くつもりですけど…。
ってな訳で、半僧坊訪問を挫折。

引き返す途中で庭園の外の石垣が、なにげに凄い事に気づく。私、石垣も結構好きであれこれ見てますけど、この積み方は何気に凄い。だって上の画像をよく見ると、石は成形してあって縦に長く積んでる石とか、斜めの石とかあんまり見ないよ。こんなの。
画像では写ってませんが、石垣には水苔がついてます。雰囲気まります。
しだれ桜と法堂。
ん?あっちにも桜がある。行ってみよう。

桜は震災慰霊塔の下にある休息所に植えてあった。上の画像は震災慰霊塔から撮影した、曙観音像と仏殿&法堂です。
建長寺さんの滞在時間は14時43分ー15時38分まで。
さて帰ろうか。
北鎌倉駅を目指し坂を下ります。
北鎌倉駅
北鎌倉駅到着は15時56分でした。
ところで、今日の鎌倉桜散歩はぎゆぎゅ~~っと詰め込み散歩でした。一体どんだけ回ったのか?
…数えてみるか。
まず本覚寺・妙本寺・安国論寺・長勝寺・五所神社・補陀落寺・光明寺・材木座海岸・九品寺・向福寺・元八幡・竹越展覧会・えんま橋・旧安保小児科医院・お土産:鎌倉小川軒・ホテルニーカマクラ・高野邸・古我邸・若宮大路段葛・源氏池・鶴岡八幡宮・建長寺うっわ~。こんなに詰め込んでたんか…。あり得んわぁ~。
ちなみに、本日の万歩計は、26178歩でした。…あの時半僧坊へ上ってたら、3万歩超えだったかも?翌日は当然ボロボロ。も。若くないんだから。   神社・お寺巡り ブログランキングへ
今日はCOMITIAです。
開催場所:東京ビッグサイト4-6ホール
サークル名:竹里館出版局
スペース配置:東5ホール すー43a です。
新刊は私あられが「脳梗塞闘病記 補完」梅原沙実が「やまいだれ」です。
共に50円で販売してます。
や~、昨日販売直前までぶめちゃんと「無料配布する?それとも50円で売る~?どうする~?」と悩んでたんですが、50円で販売することに…。共に本文6ページぽっきりだったりする。す、すみません。ヘタレなページ数で。
ともあれ、今回COMITIAは100回記念のお祭りイベント!楽しんでくるぜっ。つーか、もう7時だわ。急がないと~!

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建長寺

2012年05月03日 04時45分28秒 | 鎌倉
トップ画像は仏殿。
 
仏殿の内部。
上の画像は仏殿の奥にある法堂の内部です。法堂は(はっとう)と読みます。
説明板発見「昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂に集まって、住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。388人の修行僧がいた記録があります。現在の道場は、開山堂のある西来庵に移っています。
この建物は江戸時代・文化11年(1814)に再建されたものです。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。天井の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。」

「天井の雲龍図を描いた小泉画伯は、建長寺の縁で、京都の建仁寺の開創800年を記念した法堂天井画「双龍図」を平成15年10月に完成させました。建長寺・建仁寺の雲龍図には「五爪の龍」が採用されています。日本の龍は普通三本指ですが、本来龍の爪は5本あります。
中国では皇帝の顔を「龍顔」、皇帝の正装を「龍枹」というように、「五爪の龍」は天子の象徴とされていたため、属国であった朝鮮半島代々の王朝は「四爪の龍」そか用いる事が許されませんでした。そして、朝鮮半島から我が国へは、更に1本指が少ない「三爪の龍」として、伝えられたといわれています。」
釈迦苦行像 釈迦苦行像は、お釈迦様が極限の苦行・禁欲(断食)を行っているお姿を現したもので、顔に髭を生やした姿は、きわめて稀であるとともに、徹底的に肉体をも痛めつけるような荒行をしていたことを表しています。
この釈迦苦行像は、パキスタンの北西地方のガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されているお像をもとに製作され、2005年愛知万博に陳列された後、この度パキスタン国より建長寺に寄贈されました。」
法堂を出ると目に飛び込んで来る黄金のきらめき。

昔来た時、こんなのあったっけ?
これは徳川秀忠の妻、お江の方の唐門です。
拝観料を支払う時に、係の人に確認したら「唐門は以前からありましたが、去年綺麗になりました」とのこと。
せっかくなので、お江の方の唐門は、明日別記事で紹介しますね。
庭園(国史跡)
「きん碧池を中心とする庭園は、開山大覚禅師(蘭渓道隆)の作庭。創建当時よりあります。寺院の池は寺の前にあるのが普通ですが、建長寺は最奥に位置します。この池のまわりには当初、得月楼・大客殿・方丈などがあり、檀那や貴賓の応接に用いられました。創建750年を記念して平成15年に大改修をして現在に至っています。
右側の総二階の建物は得月楼と称し、創建750年を記念して平成14年に建設されたものです。
きん碧池とは、緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表しています。」
涼しい風が通って、庭を見てるのは気持ちいいです。   神社・お寺巡り ブログランキングへ
竹里館出版局のゴールデンウィークイベント参加
イベント名:SUPER.COMIC.CITY21
サークル名:竹里館出版局
日時:5月4日(金曜) 10:00-15:00
場所:東京ビッグサイト 
スペース配置:東3ホール ミー26b

イベント名:COMITIA100
サークル名:竹里館出版局
日時:5月5日(土曜) 11:00-16:00
場所:東京ビッグサイト東4・5・6ホール
スペース配置:東5ホール すー43a


当日合わせの新刊は? 私、あられは3日朝現在、ペラい脳梗塞記をまだ頑張ってます。無事、明日スペースに並んでるか微妙~。あまりにページがないんで、無料配布コピーにしようかと…。ンな事より出来るかどうか…。
コメント (2)
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桜の段葛&源氏池

2012年05月01日 03時52分06秒 | 鎌倉
古我邸からJR横須賀線の踏み切りへ戻った。次の目的地は鎌倉で一番有名な桜の名所、段葛です。
「段葛は若宮大路にあって、鎌倉の都市づくりの中心です。
源頼朝が1182年に京都の朱雀大路にならって作った、由比が浜から鶴岡八幡宮まで南北に結ぶ道が若宮大路で、長さは約1800メートルあります。
若宮大路の中央の一段高く作られた道は段葛といい、頼朝が妻政子の安産をいのってつくったと言われています。遠近法を利用し、参道を実際の距離より長く見せるため二の鳥居付近は幅約5メートルだが、三の鳥居付近は約3メートルと狭くなっている。」(鎌倉★情報館より)
そうだったのかぁー!!
や。歩いてるとですね、段葛を進むに従って混むんです。
トップ画像が二の鳥居付近。下の画像が三の鳥居付近。確かに道幅が狭くなってます。

鎌倉はレンタサイクルで回るのが一番効率いいんですが、だからと言って段葛を自転車で来た馬鹿者は誰だっ!!前日の雨で段葛の地面は一部ぬかるんでて人びとは難儀してるのに、自転車が後ろから来たんだよ~。ムッとして見れば、自転車に乗ってる彼と彼女達はどうも日本人じゃなさそう~。国際化する観光地も善し悪しだなあ…。
去年、奥州平泉が世界遺産になって観光客が押し寄せたらしい。けど、鄙びた観光地に自動車が大挙してやって来て、ゴミとかゴミとか駐車所とか、今までになかった問題も起きて大変だとかなんとか。現在鎌倉も「武士の街鎌倉」で世界遺産申請中だそうで。鎌倉は狭いんだよね。今以上に観光客が押し寄せて来たらと思うと…。
しばらく近寄れなくなりそうだ。今のうちにまだ行ってない場所を回っておくかな?
さて段葛の二の鳥居到着時刻が14時3分。三の鳥居到着時刻が14時12分。
源氏池と旗上弁天社
「ぼたん苑」が見頃のお知らせが出てました。
ぼたんと桜の競演にも心ひかれます。

旗上弁天社には、白藤があるのですが、さすがにまだ房も伸びてません。
若宮
ここまで来たら大イチョウの様子を確認しない訳にはいけません。
怖いけど。

う~ん?どうだろう…。これでは今年も無事に若葉が出るかどうかわからないなぁ~。それより、移植した幹の方じゃなく、大イチョウの根の方に枝が見えないのが心配だわ。ご神木の再生計画、順調なのかしら?

画像ではわかりにくいのですが、階段を上ると若宮大路の桜並木が見えます。桜色に見えるのはこの時期限定ですね。
さて、八幡様にお参りも終え、時刻を確認すると、14時30分。
どうすっかな~?
当初、鎌倉に到着した時の桜散歩の目的地は、長勝寺・光明寺・段葛。そして建長寺でした。でもなぁ。鶴岡八幡宮から建長寺を目指すには、あの坂を上らなきゃなりません。北鎌倉からなら緩い坂をだらだら上がるだけなんだが、逆コースだと坂の角度が急なんだよね…。
選択肢は3つ。
鶴岡八幡宮最寄りのバス停を探して建長寺さんの最寄りのバス停へ行くか?
それとも鎌倉駅へ引き返し、北鎌倉駅へ移動。緩い坂を登るか?
3つ目は諦めて急坂を上るか?です。
あ。建長寺さんを諦めて帰る!という4つ目の選択肢もある。
…私の選択は、3つ目、諦めて急坂を上るでした。
や。もうゆっくり休み休み行ってみようか~。アホだわ~…。   人気ブログランキングへ


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元八幡(由比若宮)

2012年04月27日 05時26分41秒 | 鎌倉
源頼義が前9年の役で奥州を平定した帰り鎌倉に立ち寄り康平6年(1063)源氏の守り神の岩清水八幡宮の祭神を移してまつったといわれている。
治承4年(1180)源頼朝が鎌倉に入った最初の場所で、現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移してから元八幡と呼ばれるようになった。
源義家 旗立の松
こんなふうに残される木を見たのは、伊勢原市にある太田道灌の首塚以来です。

元八幡基本情報
祭神:応神天皇 比売神 神功皇后
エピソード:
東側のバス通りから、この元八幡に来る道の北側の一画は、大正時代には小山別荘と呼ばれ、敷地内には別棟の広い家があり、横須賀の海軍学校の嘱託英語教官となった芥川龍之介がここを借りて住んだ。小説『或る阿呆の一生』の中でこの住宅が登場している。
滞在時間12:59-13:01
さて、北上してた道を逸れたので、このまま若宮大路を目指す。
ん?
古建築物発見!

いつぐらいの建物かしら?
あれ?ここってギャラリーじゃん。

見学無料なので入ってみた。
古えの鎌倉の写真が飾ってあった。今と違って、あまりに何も無い田舎だから驚きました。また思いがけず写真を撮影した方の息子さんに写真の解説をしていただきまして、楽しく過ごせました。
滞在時間13:06-13:17
えんま橋
名前が素敵!橋がかかっている川に菜の花が咲いてて思わずパチリ。
ん~と?
…サクサク先を急いでいたら、まだ時間が余ってる。体力も余ってる。ので、前からそのうちやろうと思った古建築散歩をやってみることに。
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材木座を北上

2012年04月26日 05時38分48秒 | 鎌倉
材木座海岸から富士山は見えなかった。あまつさえ江の島すら見えない。
なのでお昼は年中いるサーファーと和賀江島をながめつつ超特急でいただきました。なぜに急いで食べるのかと言えば、空にハンターがいるのです。ピーヒョロロ鳴いてる恐るべき狩人です。3月の観梅散歩に鎌倉へ訪れた時、私はお昼のアンパンを1個狩られてしまったのだ!
お昼の後、南下した道とは別の道を北上。バスも走る大きめの道です。この道もまた神社仏閣が散在してます。
ど~れ~に~入ろう~かな~。
一つ目に選んだのは、九品寺さん。立ち寄った動機は綺麗な花が見えたから!
ハイ。
今日は花見散歩ですから、歴史より花見が優先なのです。
九品寺
ところが~。
歴史散歩を期待してなかったのですが、九品寺さんはなかなかの歴史ポイントでした。なにしろ、九品寺さんは元弘3年(1333)の鎌倉幕府を倒した新田義貞の本陣跡地だったのです。
後に本陣を建てた場所は戦死者を弔うために寺となりました。それが九品寺さんです。
九品寺の名前の由来は、上品、中品、下品のそれぞれに上生、中生、下生があり、合わせて九品とされています。山号は新田義貞の自筆です。
九品寺さん基本情報
山号:内裏山霊嶽院九品寺
宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来立像(鎌倉市重文)
創建:建武3年(1336)
開基:新田義貞

更に北上してていると、石碑があった。乱橋だそうで。光明寺さんへ向かう途中立ち寄った五所神社さん。こちらは辺りの5つの神社や祠を明治時代にまとめて出来た神社でした。そのうちの一つは乱橋の近くにありました。
更に北上。綺麗な桜と赤い屋根のコントラストが素敵です。
向福寺
時代劇『丹下左膳』の作者は新婚時代に向福寺さんの一室で暮らしていたそうです。
向福寺(こうふくじ)
宗派:時宗
山号寺号:円龍山向福寺
創建:弘安5年(1282)
本尊:阿弥陀三尊
鎌倉33観音霊場めぐり第15番札所。画像奥にいる人びとは、霊場めぐりの方のようで、御朱印をいただいてました。邪魔しちゃ悪いので、画像1枚撮影して、退散です。
さて、実は一つ立ち寄って見たい場所がありました。
北上していた道を外れて…。え~と?入り口は…。
道案内の碑があった!
つーか、これ、民家の生活路じゃん。本当にこの先にあるの??
疑いつつ進みますと…。
本当にあった。
元八幡(由比若宮)
元八幡は源氏と鎌倉の起源の場所です。

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桜の光明寺

2012年04月25日 05時21分29秒 | 鎌倉
光明寺には12時に到着。
境内には桜が植えられており、桜の季節にはいい撮影ポイントです。






 


私の目的は桜!
たくさん花見に来てる人がいるんだろうなぁと思ったのに、花見客は殆どいません。
なんでやーーーっ
だってこんなに綺麗なんだよ?鎌倉駅に降りた時、一杯人がいたじゃんっ!!なのに~~。
やっぱ、鎌倉の桜の花見といえば、若宮大路の段葛です。光明寺さんとは方向が違うからでしょうか?それにしたって…。
ここを訪問ポイントに選んだ私、えらいっ!!ここは自画自賛しちゃいます。
でも桜のポイントは鎌倉★情報館さんのサイトで予め確認してから出かけたんですけど。まあ、普通は自動車かバスで訪れるんでしょうね。私みたいに歩いて訪れる人は少ないのかも?タイミングが良かったのよ~。だって、こんなに綺麗なのに、花見客が少な過ぎるでしょう~~。

光明寺さん基本情報
山号:天照山蓮華院光明寺
創建:寛元元年(1243)
開基:北条経時
エピソード:材木座に所在する光明寺は、江戸時代には浄土宗関東十八檀林の第一位として格付けされた格式の高い寺院です。開山は記主禅師然阿良忠、開基は鎌倉幕府の第4代執権北条経時で、仁治元年(1240)鎌倉に入った良忠のために、経時が佐助ガ谷に寺を建てて蓮華寺と名付け、それが寛元元年(1243)に現在地に移り光明寺と改められたと伝えます。
元禄11年(1698)建立の本堂は、国指定の重要文化財。また、弘化4年(1847)建立の山門は、県指定の重要文化財。ことに本堂は、鎌倉で現存する近世仏堂のうちでも最大規模を誇ります。当寺は今なお、建長寺、円覚寺と並ぶ壮大な伽藍を構成しています。
 
本堂の脇には、三尊五祖の石庭があります。
実はここに内藤家の墓地もあるハズなんだよね~。目星もつけてあるんだよ。
と、いそいそと行ってみたらそこにあったのは幼稚園だった。
む~ん。ならば、北条経時のお墓は?と、本堂の裏手の道を行きましたらば、なんと、あったのは上り坂!
もしや~??北条経時のお墓は裏山の上にあるのかっ!?
パスっ!!
今日は桜散歩なのだ。先へ進むのが宜しかろう~。
どっかから、諭す声が聞こえてきた。
ってな訳で、光明寺さんを後に。
光明寺さんの滞在時間は、12:01-12:23まで
丁度良い時間となったので、本日のお昼は材木座海岸で。

う~ん。やっぱり今日は富士山が見えないな。つーか、江の島さえ見えない。
春霞ってやつですかね?
あ!!
海の中に石組みが見える。
上の画像で言いますと、左の方に横長く頭を出してる部分がそう。これ、実は和賀江島です。
和賀江島は、貞永元年(1232)に築造の日本に現存する最古の築港遺跡です。引き潮になると見えるんだよ。
ここでいつもならパン越しの画像を撮影するんですが、頭の上でビィ~~ビョロロロ!!と私のお昼を狙っている奴がいますので、パンをカバンから出すことさえせずに、超特急でいただきました!!
ピィーヒョロロ…というのがなぜにヤバいかと言いますと。トビに襲われた…(2012年3月28日)の記事この記事に顛末が書いてあります。江の島・鎌倉の観光地には『トビに注意』の看板があちこちに設置してありますが、アレ、ダテに置いてあるんじゃないんですよ。マジ、奴らは襲撃して来るんで、小さな子に食べ物持たして歩かせないようにしてね。下手したら一生のトラウマになるよ。
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補陀落寺

2012年04月24日 05時11分29秒 | 鎌倉
五所神社から更に南下。この道は狭いんだけど、寺社が点在してる。鎌倉の路地って面白いなあ…。
道を南下したら行き止まりだった。そこにも小さな祠が鎮座してる。さすが鎌倉といった所か?
さて、左か右か?地図を広げると、近くに「補陀落寺」というのがある。
補陀落…。なにげに浪漫を感じる字面です。
行くべし。立ち寄るべし。
でも期待は裏切られ、小さなお寺さんでした。つーか、一見民家と見紛ったぜ~。
民家と違うのはこれらがあったから。
   
補陀落寺の基本情報
山号:南向山帰命院
宗派:真言宗大覚寺派
創建:養和元年(1181)あ。鎌倉時代より前だ。
本尊:十一面観世音菩薩
寺宝:平家の赤旗(平家滅亡の大将平宗盛が最後まで持っていたと言われている)
日光・月光菩薩像(運慶作)、釈迦如来像(行基作)、頼朝像(42歳の自作)。頼朝の位牌

寺宝がすげえっ!!
な、なななな、なんでこんなちっこい寺にお宝の数々があるんじゃあ~~~~。
調べました!
補陀落寺は頼朝の祈願所として建立されたお寺です。
頼朝は観音信仰が強い人で、1180年に鎌倉に入府の時に南に位置するこの地に観世音菩薩を祀ったらしい。かつては七堂伽藍をもつ大きな寺院でした。
寺名の「補陀落」はサンスクリット語でポータラカ(観音の浄土を意味する言葉で、日本語に翻訳されたとき「補陀洛迦」の字をあてた。
やっぱダテに「補陀落」の名前がつけてないんだね。ぶったまげました!いや。鎌倉も奥が深いわ。
補陀落寺滞在時間11:54-11:55。
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なんだろうなぁ~?今日はやたらと戦闘機が飛んでいる。戦闘機というのは、米軍厚木基地の戦闘機です。
昨今、あんまり夜間訓練はしなくなったんですけど…。大概横須賀の空母が出港する前だけ盛んに飛んでるんですけど。
でも、GWは3月に出港済みのハズなんですが…。なんか、ヤバい事があったんだろうか??
米軍は日本の法律に従ってないので、夜間でも飛びます。んでもって、うちの空は米軍の管制なんで、アメリカの戦闘機は普通に飛びます。出来れば、もう少し高度を上げて欲しいんだが…。低空飛行だと音が響くんだよねえ~。

ちっ。
空が時折光ってた間だけ戦闘機が飛んでなかったのにっ。(天気予報がハズれて雨です!しかも雷つき)
戦闘機は落雷が嫌みたいで、以前航空ショーを見に行った時、雷雲発生で戦闘機のショーが途中で中止になったから間違いない。
戦闘機の音、嫌いじゃないんだけどね。でも夜はイカン。音が拡声してるもの。
コメント
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