あられの日記

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東京の国宝は2つ。一つはこれ

2019年07月16日 05時39分27秒 | 神社・仏閣
今日はら2019.6.16の東村山市の巨木と歴史散歩を紹介します。すでに一月も過ぎてて、大分記憶が怪しくなってしまいました。
1月頃、巨木の資料を集めて東村山市の巨木散歩を作りました。けどついでならば、北山公園の花しょうぶが綺麗な時期に行きたいなあと待ってました。
9時半頃、西武線東村山駅到着。駅前で散策パンフレットを配布していたのでゲット!北山公園の花しょうぶ祭り開催中だったので、あれこれイベントもやってる模様です。
北山公園の前に、駅から近い金剛山正福寺さんを目指す。実はここには2009年に迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)が国宝指定されるまでは東京都唯一の国宝指定の物件があるのです。
説明板発見:正福寺山門 東村山市指定有形文化財(建造物)
指定:平成17年4月20日
金剛山正福寺は臨済宗の寺院で、鎌倉の建長寺の末寺です。その仏殿である地蔵堂は、応永14年(1407)建立の典型的な禅宗様建築であり、東京唯一の国宝建造物である(昭和3年・1928指定)
鎌倉幕府執権であった北条時宗か、またはその父である時頼によって開基され、勧請開山は中国南宋の石渓心月仏海であると言い伝えられていますが、確たる史料は現存していません。
正福寺山門は、昭和48年(1973)に行われた解体修理の際発見された、親柱ほぞの墨書銘「元禄十四辛巳年無神月吉祥日建◽︎(者)也、此時住寺號月山(以下略)」から、元禄14年(1701)、月山の代の建立であることが判明しました。
山門の建築形式は、四脚門で切妻、昭和48年の修理の際に、茅葺から茅葺形銅板葺に改修されました。建築様式は禅宗様で、その規模は、桁行十尺(3、03メートル)、梁行十尺で、高さも柱底部から桁下端までで十尺となっています。屋根は、かつては、化粧裏板の上に登り、梁を架けて茅葺としていたものと考えられます。また、彩色は柱、桁、冠木、束等に朱の痕跡が見られ、もともとは全体が朱で塗装されていたものとみられます。江戸時代の伽藍の遺構を示す、貴重な禅宗様建築物です。」
あれ?
増上寺の石灯籠がないっ!!
実は再訪です。2013年に、所沢の西武球場前にある西武ゆり園・狭山不動尊北山公園の花しょうぶ・正福寺の千体地蔵堂を散策しました。
その時に、お堂の前に3対6個の石灯籠があったのだ。石灯籠は、第二次世界大戦で焼失した芝増上寺の徳川将軍家に奉献されたものでした。記事を閲覧くださるとわかるのですが、6代徳川家宣(文昭院)のものだけ灯籠の胴部分に刻んである文字を読んだのですが、残り5個を放置しちゃまして、再訪したら調べようと思ってたのになぜないんだぁ〜〜???
あ!「ガイドします」の旗がある。
画像には写ってないのですが、正福寺の右手に神社があります。画像の右にU字の区切りが写ってますね。これがお寺と神社の境で、明治の神仏分離令以降敷地を分けたんだって。神社の方の境内にテントと人影があった。ガイドさんならば石灯籠がなくなった理由を知ってるハズ。突撃だっ。
「すみませ〜ん。歴史ガイドはもう始まってますか?お願いしたんですが」
年かさの男性とおばさんが、ガイドとしてテントで待機してた。訪問したのが北山公園の花しょうぶ祭りの会期中の日曜だったからイベント関連ですかね?ラッキーです。
「あの、以前境内に石灯籠がいつくかあったと思うのですが、何故になくなってるのですか?」と尋ねたら、思いもよらない回答を得た。
「石灯籠はそもそも正福寺と関係ないものですので撤去しました」
ええっ!?
「どこに撤去したんですか?」
「たぶん寺の裏手にはいくつかあると思うけどね」と誠にそっけない。
歴史ガイドなんだから、あれの由来を知ってるよね?そのうち1個は、芝増上寺にあった6代将軍徳川家宣の命日に合わせ、中納言か大納言クラスの人が奉献した石灯籠だったんだけど〜??歴史好きならスルーできないと思うんだけどなあ。
でもさ、ここは東村山。というか西武沿線です。そもそも芝増上寺は、徳川宗家の菩提寺です。徳川15代のうち6名の将軍が葬られてます。残ってれば間違いなく世界遺産です。けど昭和20年2度の空襲でほとんど焼失。跡地を西武が購入してホテルを建てました。焼け残った建築のいくつかを西武球場前の狭山不動尊(かつてのユネスコ村)へ移し、2万基はあった石灯籠は、戦後しばらく放置。やがて西武により欲しい寺に配られたと聞きますので、正福寺さんにあった6個の石灯籠もその時に得られたと思うんだ。それも歴史じゃん?と思うのは観光客の身勝手なのかなあ?
ともあれ、地元民にとっては、正福寺さんの地蔵堂は最近まで長らく東京都内唯一の国宝でした。そこに全く関係ない増上寺の石灯籠が並んであるのは許せなかったのかも?見方が違えば価値観も違うこともあるか。あ〜あ。せめて残り5個の石灯籠が誰が誰に奉献したものだったのか?知りたかったなあ。
気をとりなおし、ガイドさんのお話を聞く。けど思い出そうとしてもほとんど出て来ない。
やっちまったね。石灯籠が処分されたショックでせっかくのガイドさんの話を聞いてなかったみたい。
けど地蔵堂でない部分の説明は覚えてます。
真新しい小さな建物。中には貞和の板碑がおさまっている。ガイドさんのお話は後で紹介します。説明板を撮影してるのでそちらを優先させて。だって一月も経ってるので記憶が〜。
貞和の板碑:東村山市指定有形民族文化財
指定:昭和44年(1969)3月1日
種子は釈迦如来で、月輪、連座を配し、光明真言を刻し、銘は「貞和五丑己卯月八日、帰源逆修雨」とあり、西暦1349年のものです。卯月(4月)8日は釈迦の誕生日であり、法名が帰源という人物によって、逆修供養として生前に自分の死後の冥福を祈願し造立されたものです。
高さ300センチ(うち基部の高さ55センチ)、幅51〜58、5センチであり、完全な形をとどめるものとしては都内最大級の緑泥片岩製の板碑です。
この板碑は、昭和2年にここ正福寺境内に移建されたもので、かつて前川の橋として使われ、経文橋または念仏橋ともよばれていました。それ以前には経文橋から約100メートル南にあった自教院(野口町1丁目)の境内にあったと言われています。」
覗いてみた。
 
なるほど石に刻んだ模様が蓮で、そのうえに釈迦如来の種子(しゅじ)=梵字・真言になってるのですね。(*分かりやすさ優先で東村山市ふるさと歴史館に展示してる正福寺さんの板碑の説明画像を追加で貼り付けます 2019.7.16追加)
ガイドさん曰く「新しい覆い屋が出来たところなんです」と嬉しそう。でも裏側がどうなってるのかも知りたかったなあ。
私的には板碑また出た!です。ものが石だけに、歴史散策をするとあちこちの資料館や博物館に収まってるんだよね。wikiによりますと「板碑は、主に中世仏教の供養塔として使われる石碑の一種である。板石卒塔婆・板石塔婆とよばれ、典型的なものとしてイメージされる武蔵型板碑は、秩父産の緑泥片岩を加工して造られるため、青石塔婆ともよばれる」
「以前海老名の資料館で板碑は秩父の長瀞の青い石で出来てるって聞いたことあります。覆い屋があるので色ははっきりしないけど、この板碑もそうですか?」と聞けば「そうです」と。しかも私が板碑に興味を示したからか「板碑に興味があれば、ふるさと歴史館・徳蔵寺さんの板碑保存館もオススメです」とニュー情報ゲット!それは行かねばならんね。
「私この後北山公園の花しょうぶ見物の後、梅岩寺さんの巨木と野火止用水の万年橋のけやき見物に行くんです」と言ったら、ガイドさんが「梅岩寺さんに行ったら4つの紋を見てください」とチェックポイントを教えてもらった。「万年橋のけやきは大枝が落ちたことがあって、その枝を使って稲荷神社の賽銭箱を作ったんですよ」と。小ネタもゲット!それは必ず寄らないと!情報補完的にはぜひともに。と、思いがけずに素敵な情報を教えてもらい大満足。
「私が小さい頃は、野火止用水に水がなくて、中を歩いてましたよ」と。郷土の歴史も教えてもらった。ガイドさんが「説明します」といる場所では、こういう本やwebに出てない情報を得られることがあるので、歴史好きな人は利用するのが吉ですよ。
ということで、いよいよ国宝の千体地蔵堂へ。
なんといっても鶴が腕を広げるようにスッと空に向かう屋根が特徴的。
「私、北鎌倉の円覚寺さんの舎利殿が11月3日だったかな?限定で公開されるに合わせ見に行ったんですよね。天井をどういうふうに組んでるのか知りたくて。でも手前に柵があってお堂に入れなくてがっかりしたんですよ。模型なら横浜の県立歴史博物館にあるからって聞いて見に行ったけど、天井は見えなかったんだよね」とぼやいたら、「残念ながら私の資料にも天井の写真はないなあ」と慰めてくれた。けど、ガイドさんが「正福寺さんの地蔵堂も普段は非公開ですが、年一度の地蔵祭りには公開してます」と教えてくださった。
「え!?入れるの?それっていつですか?」と尋ねたら「11月3日です。その時は境内から外の道路まで店が並んで賑やかですよ」と嬉しい情報をゲットです。ちなみに記事を書くにあたり調べたら、地蔵まつりの11月3日が一番賑やかですが、千体地蔵堂の公開日は8月8日・9月24日・11月3日の年3回あるみたいです。
ガイドさんが手持ちの資料を開き、全国に現存する禅宗様仏殿の地図と画像を見せてくれた。似たような形の建物ですが、「正福寺さんのお堂の屋根が一番反ってますねえ」と言えば「美しいでしょう」とガイドさん。
「屋根は何度も葺き替えられていて、かつては茅葺や藁葺だったこともありましたが、現在はさわら葺きです」
へえ〜。さわら葺きか。珍しいねえ。桧皮葺の建物がままあるけどさ。まあ同じこけら葺きだけどさ。
「千体地蔵堂は、小さなお地蔵さんを願いを込めて1体お借りする。願いが叶うと2つにして戻すところから。かつては地蔵堂の梁にたくさんの地蔵が並んでました。今は下に降ろしてあります。地蔵祭りの時に中に入るとみえますよ?」と。うわ〜〜、見てえ〜!!「11月3日に来ます」とガイドさんに宣言した。ガイドのお礼を言ってお別れ。
あ!説明板に地蔵堂の天井の画像がある。けど、これ。平成6年度設置の説明板は古ぼけて、画像もボケボケ。あ〜〜!!どうなってるんだぁ〜〜!!
ついでなので知識補完で説明板も紹介します。
正福寺千体地蔵堂と堂内:この正福寺千体地蔵堂は、都内唯一の国宝建築物です。地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっています。
千体地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物です。波形欄間、花頭窓、屋根の反りなどに特徴があります。昭和8年〜9年に屋根の茅葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407)の建立とわかりました。寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといわれています。
地蔵堂本尊は、昭和48年の修理のとき文化8年(1811)m江戸神田須田町万屋市兵衛弟子善兵衛と書かれた墨書銘が発見されました。
また小地蔵尊像については、江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、多くの小さな地蔵尊の木造が奉納され、堂内の天井に近い長押(なげし)に置かれ、千体地蔵堂の名もここに由来します。祈願する人は、小地蔵尊像を1体借りて、家に持ち帰り、願いが成就すれば別に1体添えて奉納するというもので、像の裏側には祈願者の名前や年号が入っており、大きさは10センチから30センチほどのもので正徳4年(1714)から享保14年(1729)のものが多く、奉納者は、地元はもちろん、所沢・国分寺・小金井などに及んでいます」とある。
花頭窓。右下とその隣の窓の上部が優雅なデザインでしょ?これが花頭窓です。
波形欄間。扁額と入り口に挟まれた部分が波形になってますね。ここです。
あれ?扁額に「国宝千体地蔵堂 巨福山建長寺」とあるね。正福寺さんが臨済宗建長寺派だからでしょうか?
斜めから撮影。地蔵堂がほぼ正方形なのが分かりますか?
こちらは現在の小地蔵尊像。形の違うのもあるね。お願いが叶って2体に増やして奉納したものかも?もっと近くで見たかったのだけど、奥でカップルがあじさいの横で撮影会やってたので遠慮した。
さてと?参拝して次へ行こうとしてたら、暇してたのだろうか?もう一人のガイドさんのおばさんが近づいてきた。「ガイドしましょうか?」と。「先ほど年配の方にガイドしてもらいました」「あらそう?」と。そこへ女性2人の観光客もやってきて、ならばと案内されたのは千体地蔵堂の横の木です。
「今満開なんですが、何の木かわかりますか?」とガイドさん。これはもしや「リンデンバウムですか?」と私。「そうですが、一般的には菩提樹ですね」あ!なんかハーブ繋がりでドイツの方を思い出しちゃった。森鴎外の作品に出てきたのもドイツのリンデンバウムですね。
でも「お釈迦様が悟りを開いたのはインド菩提樹なのでまた別の種類ですが」とガイドさん。日本では臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったので、仏教寺院によく植えてあるんだって。「満開の花をよく観察してください」とガイドさんに勧められ観察。
ん?あれ??変だ!
ピンボケしてはならん画像をピンボケ撮影しちゃったのですが、花房がどこから出てるかみえますか?葉っぱの裏の葉脈から伸びてるんですよ。こんなの日本にはないよ!びっくり〜。咲いてるときだけ観察光景です。私らラッキーかも?
これはタラヨウです。あきる野市の広徳寺さんの巨木、タラヨウ(多羅葉)を5月21日の記事で紹介しましたが、あれは4月13日に訪問したもの。実はまだついてませんでした。熟するとどんな色になるのかな?
本堂は真新しい。とりあえず参拝しておしまい。ガイドのおばさんに北山公園への近道を教えてもらう。お礼を言ってお別れ。まさかの時刻は既に10時14分です。ここで40分近く過ごしちゃったよ。時間が過ぎるのはなんて早いんだろか?
 
足元のマンホールを撮影。東村山市のマンホールは、多摩湖がデザインなのか?
10時26分、北山公園に到着。今年は花しょうぶが花畑にならないと事前のweb開花情報で仕入れ済みだったので、がっかりはない。絨毯になってないなら写し方を工夫して撮影してみよう!
せっかくなので、北鎌倉の円覚寺さんの国宝、舎利殿の記事を貼り付けました。正福寺さんの千体地蔵堂の建物と見比べてください。似てます。

せっかくなので、東京都のもう一つの国宝赤坂迎賓館の記事もリンク貼りました。ちなみに、貼り付けたのは赤坂迎賓館参観まんがの一部です。全文を読みたい!と思われた方は、ブログの左にあるカテゴリー【漫画 赤坂迎賓館界隈楽々散歩】を閲覧ください。

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