ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

干物女

2007年08月02日 | ノンジャンル
最近、「干物女」なるもののドラマがあって、皆が見ているので
一緒に見ていた。

「へ~。。。お前そっくりやな。」と、娘に言うと、

『ちがうわぁ~~』と不服顔。。。

「けど見てみいや。かたづけ下手やし、外ではともかく、
 家では汚い格好してるし、ゴロゴロしてるし、女っ気ないし、
 天然ボケやし、そのまんま、お前やん。」

『そこまでいうかぁ~、ひどいやん。』

「お前、干物女って言われるぞ。。。」

『え~~??? 言われへんし。。。』

いつもの、夜のひと時に交わされる、家族の会話だが、
どちらかと言えば、無口な私が、多少なりとも饒舌になるのは、
この団欒のときだけである。
もちろん、仕事では営業職と言う事もあり、取引先との会話は、
滑らかではあるが、普段、無駄話をする事は滅多に無い。

家族の中では、自然に饒舌となっていることに気が付きだした
のは何時頃からだろうか。
それにも増して、皆が私に話し掛ける事が多くなった。
カミサンも、娘も、息子も、「聞いて聞いて~」と、頻繁に
話し掛けてくるので、私も饒舌にならざるを得ない。

一人で飲んでいた私には、話し掛ける事もできなかったん
だろうと、今更ながら反省しきりである。

ところで、ドラマの話に戻る。
仕事から帰って、いわゆる裃を脱ぎ捨て、ジャージに着替えた
途端、気持ちも緩んで、ビールを缶のまま、
グビグビ、プハーーッ!

「もう~これが最高!!」と叫ぶ干物女。。。

わかる、わかる、その気持ち。その一缶が、すっごく、
うまいんだよね~。
その最高にうまいと感じる、一缶か、二缶で、幸せを感じて、
満足していれば、この病気にはならなかったのにね。

飲めば飲むほど、幸せになれるような気がして、実際は不幸へと
足を運んでいってしまった自分は、もう、あの最高の一缶を
口にする事はできない。

干物女を羨ましいとは思うが、しかし、今の飲めない自分を、
さほど不幸とは思っていない。