ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

安らかに

2017年11月28日 | ノンジャンル
呼吸が止まり、心臓が止まり、代謝が停止し、
肉体を構成していたものが全て不可逆的に
滅んでいくのが死である。

脳死は脳のみが不可逆的な滅びに向かった状態で、
いわば部分死である。

しかるに、人として生きることはもうできない。
意識を取り戻すこともない。
その生体を維持することができるだけである。

ここに臓器移植を可能にするために脳死を死とする
定義づけが必要となった。

脳死は、人の死であって、生体の死ではない。

さて、死という不可逆的な崩壊に向かうとき、
いわゆる生体としての苦しみはあるはずである。

意識も感覚もなくなる以上、苦しみというのは
おかしな言い方だが、確かに崩壊の苦しみはある。

人の死に際して、「安らかに」というのは、
直後ではなく、その崩壊の苦しみから
解き放たれて、風塵となった時にこそふさわしい
言葉ではないか。

これをもってしても、生命の誕生と死というのは、
いわゆる、オン・オフではないのである。

現代では火葬が主流で、どうもこの感覚が
理解しがたいであろうが、土葬や、掘り返しの
風習が残る地では、本当の「安らかに」が
根付いているのである。