ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

資格と免許

2017年11月12日 | ノンジャンル
資格と免許はその意味においてまるで異なる。

免許は文字通り、許され、免れることである。

人のけがや疾患を診断し、医療処置を行えるのが
医師免許。

人の生涯に関わる教育というものを授ける教員免許。

人の権利を守る弁護士免許。

最も一般的な自動車運転免許は、事故により人の命を
簡単に奪ってしまう、あるいは失う可能性のある
「危険」な車両を運行するのに、一定の知識と
技量、経験を得て、安全運行ができると判断された
者に発行される。

家内は美容師だが、人の髪を凶器ともなる鋏で
カットする以上、当然美容師免許が必要である。

つまり、様々な危険や、取り返しのつかない
事故などのリスクがあることを、行うだけの
最低要件を満たしている者に対し、それを行う
ことを認可するという事だ。

こうした免許を有する者は、運転免許を除いて、
一般に先生と呼ばれることが多い。

これに対し、地域や社会、国家のかじ取りという、
個人というより多くの人々の生活や安全、保障を
担う議員、政治家には免許は要らない。

おかしな話だが、その議員や政治家は、どこに
行っても、先生、先生と呼ばれ、もてはやされる。

馬鹿げた話である。

それが、その議員や政治家を勘違いさせ、馬鹿に
させることに、いい加減気付くべきである。

免許もない者が、公僕として政治に関わる資格は、
選挙の時に一人一人に声をかけ、話を聞く態度を、
議員となった後、政治家として貫き通す
ことである。

そうしてみれば、その資格のあるものは
少なすぎるだろう。

我々もその責を負うべきであることは
自明である。

いい加減、先生、先生などと呼ぶのはやめよう
ではないか。
○○さんで、十分なのである。

そして、自らが選んだ人ならば、自らその人の
資格を監視すべきなのである。