ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

立ち位置

2015年01月29日 | ノンジャンル
日本語には敬語というものがあって、
これが日本語を学ぶ外国人にとっては
非常に厄介である。

それは、尊敬語、丁寧語、謙譲語と大分され、
自身と相手との立ち位置や、場面によって
使い分けられる。

日本人といえど、誤った敬語を使っている例は
枚挙にいとまがない。

さて、立ち位置という話なのだが、尊敬は無論、
相手を上に置く。謙譲は自身を下に置く。
丁寧は立ち位置に関係なく、いわばマナーとも
いうべきものとなる。

相手を下に見れば上から目線、自分を上に置けば傲慢、
対等という名のぞんざいさ。

人としての自身の成長を期するのであれば、相手を
上に置くか、自身を下に置いて、自らの努力を促して
いくしかない。

対等であれば仲間として、あるいは友人として相手を
尊重するのが丁寧ということである。

相手を下げて自身を上に見せても、そこに自身の成長は
一歩たりともない事を知るべきか。

「あの人よりはまし」、「あの人はすごい」も、
感想や論評だけで終われば同じことである。

要するに核心は、自身が一歩でも成長しているのか
どうかである。

例え一歩でも成長していこうとするなら、そしてその
気概を持ち続けるなら、現在の自身の立ち位置など
もはや何の問題にもならないのである。

年齢に関係なく、常に今から、ここから、自分からと
行動していく人を、私は最も尊敬するのである。
そして、自身もそうありたいと願うものである。