ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

現場主義

2015年01月19日 | ノンジャンル
これから教育者となる娘に、常に言い聞かせている
ことがある。
子供たちと接するにあたり、一人一人に対して、
おかしな先入観、色眼鏡を持たないということだ。

家庭環境、生い立ちなどは、子供とはいえ
千差万別である。
そして、その環境にどう適応してきたかも千差万別だ。

自分の目と耳と肌で一人に接し、感じてあげること。
寄り添ってあげること。そこから始めること。

世間の評判というものは、いい加減なもので、
ちょっとしたきっかけで180度変わってしまうことも
珍しくはない。

世法というものはそういうものであるから、人のうわさ、
評判などに惑わされていても仕方がない。
私自身、自分の目で見て、耳で聞いて、実感した上で
物事を進めていく現場主義の立場を貫き通してきた。

教育者というのは、決してマニュアル化のできない
仕事である。なにせ、相手は日々、急な成長の変化の
真っ只中にいる子供達である。

その成長を見守る立場なら、日々相手を見直すくらいの
徹底した現場主義が要求される。
昨日と同じ今日などあり得ないのである。

これは、その人の生き方にも通じていくのだろうが、
人にせよ、物事にせよ、自身がそれを認識せずして
判断はできない。その認識は現場主義でなければ
得られないし、噂や評判で認識したつもりとなれば、
ほとんどの場合、それは誤解となる。

仕事にせよ、日々の生活にせよ、自身の認識を世評に
預けるような楽な生き方ではなく、徹底した現場主義で
自身の認識を作り上げていくという苦闘を避けることなく
生きていってほしいと願うのである。

それは、いまだ学生である息子に対しても切に願うことだ。

そして、長年の経験を積んできた自分自身だからこそ、
それを先入観としないために、これまでにも増して
現場主義であり続けたいと思うのである。