ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

自己中

2014年09月18日 | ノンジャンル
以前に、アル中は自己中と述べたが、行動面で言うと、
要するに自身のまいた種を人に刈らせておいて、
それを何とも思わない状態と言える。

もちろんこの病気は、肉体的依存が始まれば、
いわゆる内科的に悪い方向に行き、まともに歩けない、
動けない状況にまで陥ることはよくある。


それでも、他の病気と違うのは、こと、お酒を手に入れ、
飲むということについては、火事場のくそ力的な
力を発揮し、動くことができるということである。

本来、自分のことは自分でするのが自立であり、
それを自分ができない時に人にしてもらえたなら
感謝なのである。

ところがアル中は、感謝どころか、反省もない。
自己中というのは、何も病気の最中だけではない。
回復の過程にあってもそれは引きずられる。

先にも述べたが、回復とはこの自己中の状態から
どれだけ反省と感謝という、人としての根本を
取り戻していけるかなのである。

要するに、その人が回復していってるかどうかを
判断する手っ取り早い方法は、その人の口から
「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉が
どれだけ出るようになったかを観れば良い。

そして、その言葉の本意を裏付ける行動が
伴っているかどうかなのである。

一言でいえば、回復度とは、自己憐憫からの
脱却度ということになるであろう。