ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

夜長月

2011年09月05日 | ノンジャンル
9月に入り、初秋を少しは穏やかに過ごせるかと思いきや、
バタバタと予定が手帳を埋め、どうやら秋の夜長を
楽しむ暇はなく、快適な睡眠を望むばかりのようである。

さて、日本は残念なことに自殺大国と称されている。
ここ10年以上、毎年3万人以上の自殺者がいる。

交通事故死者数が、年間1万人を割って久しいというのに、
この自殺者数だけはどうにも減少しない。

主な原因は、心の病気、身体的病気などの健康上の問題、
経済的な問題、家庭不和などである。

物質的な充足が決して幸せに直結していないことは
事実として明らかである。

心と身体の問題は、切り離して考えられないが、家庭の不和、
経済的な問題、身体的な健康の問題などが、心の問題に
直結して、最終的に自殺へと進んでしまうようである。

アルコール依存症という病気も、メンタルな部類である以上、
断酒していたとしても睡眠障害、自殺衝動に悩まされ続けて
いる人も少なくない。

特に高齢化が進み、単身者が増える中では、その問題は
深刻化している。

いずれにせよ、最も大切なのは、心の問題であることは
明らかである。

それは、世相にも、批判、中傷、喧噪、愚痴、嫉妬という
負の側面に如実に表れている。

病気をしたなら、健康のありがたみがわかるはずである。
回復に向かえば、快気祝いをするだろう。
だが、健康祝いをする人は少ない。

愚痴の中に生きれば、愚痴を呼ぶ。
他人がどれほど悪かろうが、自分が良くなるわけではない。

感謝の中で、今の自分にできることを、できる範囲で
やっていけばよい。

どうもこの中傷合戦のような負のスパイラルが、
自殺者数の減らない、根深い原因のような気がする。

単身で、孤独な寂しさの中に生きている人達には、
当たり前のことなのだが思い出して欲しい事がある。

ひとりでは生まれてはこれなかったということだ。
今、自分自身が存在しているということは、少なくとも
二人の人間が直接的に関わっている。

父と母である。 どれほど今が孤独でも、この3つの
関わりは事実であり、変わることはない。

今更ながら、母親の墓前に手を合わせていると、
そういうことがなんとなく実感される。

なんでもない、当たり前のようなことが、本当は特別な
ことなのだと、感謝できる人が、幸せを感じられる。

愚痴の中で生きるのか、感謝の中で生きるのか。

苦労多く、短い生涯ではあったが、母親は幸せで
あったと思う。

いくら思い返しても、愚痴や人の悪口を母親が口にする姿を
憶えていない。 
その母親の息子であることに誇りを感じる。

自身の生きる心を支えるのは、やはり人なのである。
人との関わりを否定してはいけない。
むしろ、その関りにこそ、感謝していくべきなのであろう。

そして、生きる心の力を蓄えていくのである。