ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

スイッチの一杯

2008年01月10日 | ノンジャンル
何がなんだか、訳がわからない。
どんな場所であろうと、どんな場合であろうと、
手を出すどころか、決して口にしなかった一杯の酒を
ごくりと飲み干した。

不本意ながら、うまかった。確かにうまかった。
これまでの渇き切った心と身体に沁み入るような
うまさであった。

忘れてしまうところだったよ。こんなにうまいものだったんだ。
一杯を飲み干すと、もう止める事は出来ない。

2杯3杯とグラスを傾ける。うまい。どうしようもなくうまい。
何を肩肘張って、飲まないなんて突っ張っていたんだ?
うまいじゃないか。こんなにも。

待てよ、せっかくここまで飲まずにきたのにもったいない、
飲んじまったよ。
あっけないものだな。でもまあこんなものかもしれないな。
今更あとには引けない。飲んでしまったものをどうする事も
できない。

それでも、冷静な人間なら、飲んでしまった一杯でまた
止める事ができるんだろうな。
そこまでいくと、もう人間らしくもなくなるな。
ここはひとつ、また飲みたくなくなるまで飲んでみるか。

あれこれ考えないで、今飲みたい気持ちに素直になって、
とことんいってみようや。
そうしてまた後悔する事になるのはわかっていても、
それもまた人間らしい。

痛い目を見るのも自分。悔やんで苦しむのも自分。
仕事を失い、家族を失うことになって、落ちるところまで
落ちるのもまた人生。
それで命を失うことになれば、それもまたバカな生き様で、
他人にとっては決して同じ道を辿る事の無いようにとの
反面教訓となればよし。

もう、先のことなんてどうでもいいじゃないか。。。

たかが一杯のお酒だが、それがスイッチを入れると、
雪崩のように一気に奈落へと転げ落ちてしまう。
どれほど必死で積み上げてきたとしても、スイッチ一つで
全てが崩れ去る。

私達依存症者は、平等?にこの爆弾のスイッチを持っている。
苦しんで、苦しんで、長い時間を掛けて少しずつ積み上げて
きたものを、一瞬で吹き飛ばす爆弾のスイッチを持っている。
このスイッチを持っているという自覚は、決して失っては
いけないが、それにもまして、このスイッチの恐ろしさを
肝に銘じておかねばならない。

肉体的、精神的、社会的な破壊を招く致命的な爆弾を自身に
抱えながら、その爆弾の点火スイッチは、あっけないくらいに
簡単なものなのである。
たった一杯のお酒を口にするだけである。それだけで、確実に
点火されてしまう。

本来なら、頭上にいつ切れるとも知れない糸で吊り下げられた剣が
常にあるくらいの緊張感と警戒心をもつべきであろうが、
その連続の中では人は生きていけない。

ただ、その恐ろしい爆弾を抱えている事と、一杯のお酒という、
なんでもない簡単なことで点火スイッチが入ってしまうという
ことを、折々に自覚しなおし、認識を新たにすることが
必要なのである。

このブログの更新は、即ち、その自覚と認識の更新でもある。
一度スイッチが入ってしまえば、自分の辿る予想図は
上記の通りである。
だからこそ、この消す事のできないスイッチを入れることが
あってはならないのである。