先日から外国人の友人達と、ブラジルのジカ熱、小頭症、モンサント、ピリプロキシフェン、サリドマイド・・・と話しをしているなかで、スペインのベゴーニャさんが、
“By the way, experimenting on humans it is now on the discussion in Spain because of his letter by the Alcala de Henares Archbishop (In its 4th point he reminds some of the last century experiments on humans and their "justifications").
This letter about experimenting on human embryos is being very polemic but very interesting as well, maybe you find the way to translate it.
The letter introduces the concept of "Posthumanism", I had never heard of it, had you? I am going to read carefully the letter and this essay too.”
(彼女が紹介したリンクは削除してあります。)
と書いてきました。
ポストヒューマニズム-これに対しティムさんが、
“I was familiar with "transhumanism", but I wondered if "posthumanism" was another term for it. It is, but at least according to the English Wikipedia it can encompass even more concepts.
https://en.wikipedia.org/wiki/Posthumanism”
とだけ反応していましたが、「トランスヒューマニズム」が科学技術の発展に伴ったものに対して、「ポストヒューマニズム」とは様々な観点において使われているようですね。
「ポストヒューマニズム」、これは一言でいうなら「“ヒューマニズム”の見直し形」ということで、それは「時代の変化に合わせる進化」であったり、「人間中心主義から自然界中心主義へといった、捉え方の変化」であったりするでしょう。
しかし、「ヒューマニスト」と分類されている人達自体は、「時代の変化においても柔軟であり、「人間中心主義者」でもない人」である場合がほとんどではないかと思うので、むしろ「ポストヒューマニズム」の議論が活性化することは、本当は好ましくないのかな・・・などとも思います。
(現代使われる「ヒューマニズム」というのは、今もって「西欧(大元はカトリック)価値観基準」。その変化を、カトリックの国スペインで議論されていることは興味深いです。)
さて、ところで、「ヒューマニスト」といえば、19世紀末の世界が混沌とした時代に、イギリスや英国で立ち上がった知識人達がいました。
フェビアン協会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A
(1884年1月4日設立、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの母体)
メンバーの一部:
バーナード・ショー
イーディス・ネズビット(『砂の妖精』作者)
H.G.ウェルズ
バートランド・ラッセル
(1898年〜1921年)
メンバーの一部:
アンブローズ・ビアス(『悪魔の辞典』作者)
アンドリュー・カーネギー
マーク・トゥエイン
ヘンリー・ジェイムズ
共に、分裂(方向性の変化)、もしくは消滅してしまったグループではありますが、(初期メンバーの中の「ヒューマニズム」は、永遠であってほしいと思います。
(上記のなかのアンドリュー・カーネギー、
「1898年、カーネギーはフィリピン独立を画策した。米西戦争終結に伴い、アメリカはスペインから2000万ドルでフィリピンを購入。アメリカの帝国主義に対抗すべく、アメリカからの独立を買い取れるようにフィリピンの人々に個人的に2000万ドルを提供しようとした」
というのですから、すばらしい。)
もし今、こうした団体が作られるとしたら、それこそ、ビル・ゲイツが主導して設立しそうです。そして、これは「ヒューマニスト団体」ではなく「ポストヒューマニスト団体」となることでしょう。