Various Topics 2

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バレエ・リュス人脈-7(無垢な人たち、利用された人たち)

2023年08月31日 | 人物

バレエ・リュス。

創業者や後継者、踊り子や音楽家、芸術家のほとんどが政治、陰謀とは無縁であったと思うのですが、悲しいかな、出資者側や、それでも儲けた人たちの一部はそうでなかった、と思います。

バレエ・リュスの実質後継者だった、ルネ・ブルム。

バレエ・リュス人脈-2(バレエ・リュスの歴史・ルネ・ブルム) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

彼は、フランス警察がナチスのためにユダヤ人狩り第一号の被害者だった、と言われてます。

René Blum (impresario) - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

1940年の夏、ドイツによるパリ占領後、ブルムは家族と一緒にフランスに戻った[2]。 彼は1941年12月12日にパリの自宅で逮捕され、フランス警察によってパリで逮捕された最初のユダヤ人の一人となった。 彼はボーヌ・ラ・ロランド強制収容所に収容され、その後ドランシー収容所に収容された。 1942年9月23日、彼はアウシュヴィッツ強制収容所に送られた[5][6]。 彼は1942年9月下旬、64歳でナチスによって殺害された[2]。

彼が捕まったのはパリでしたが、彼がモンテカルロにいれば助かったのでしょうか。

ルイ2世 (モナコ公) - Wikipedia

抜粋:

ルイ2世自身はフランス軍に長く籍を置いたためフランス寄りであったが、大戦中の公国は中立を宣言していた。陸軍時代からの仲間ペタン元帥のヴィシー政府が誕生しても、それは続いた。ルイ2世の優柔不断ゆえの中立であり、国内では対立が絶えなかった。国民の大多数がイタリア系であるため、イタリアのファシスト政権を支援する声が多かったのである。1943年、イタリア軍が侵攻し、モナコにファシスト政権が誕生した。ムッソリーニの影響下におかれるや、ドイツ軍も駐留し、ユダヤ系住民の追放を始めた。モンテカルロ・オペラ劇場を設立したルネ・ブルム(フランス語版)も、ナチスによりアウシュヴィッツに送られて死んでいる。モナコ警察はルイ2世の秘密の指令により、ゲシュタポの捜索より前に、ユダヤ系住民に出国を警告する役割を、危険を冒しておこなっていた。

History of the Jews in Monaco - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

第二次世界大戦前、モナコにユダヤ人の存在は非常に小さく、その数は約300人であった[1]。 戦時中、公国政府はユダヤ人住民をナチスの追放から守るために虚偽の身分証明書を発行した[2]。 ルイ2世王子はユダヤ人公務員の解雇を拒否し、エドゥアール・ド・ロスチャイルドを国外追放から守った[3]。 しかし、モナコ警察は中央ヨーロッパのユダヤ人難民42人を逮捕し、ナチスに引き渡した[1]。 アルゲマイナー紙によれば、1942年8月27日から28日にかけて60人のユダヤ人が逮捕され、合計90人が逮捕されたという[4]。

ルネ・ブルムは、「邪魔になったから、早々に捕まり、殺された」というのが正しそうな気もします。

彼の場合は、兄がレオン・ブルムである故、彼自身も政治的なかかわりは0ではなかったと思うし、バレエ・リュスの後継を巡る対立もあったので、彼が「無垢」であったかはわかりません。

しかし、戦争中、ドイツやフランスには「名誉ユダヤ人」として特例を受けるユダヤ人(ただし、ほとんどが本人の代でカトリックに改宗)がいたようですし、捕まっても、特別待遇を受けたユダヤ人は陰ながらいました。

なので、1941年12月の彼の逮捕は、違和感があります。

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