Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

Copilotという機能-11(科学と情緒と「生存を守る本能」)

2024年05月03日 | 

前回の記事を書いてから、Bingで「Various Topics 2 goo World Government」で検索すると、Copilotは私の昔の記事から短い文章を打ち出しするだけでした。

「Various Topics 2 goo Governmet」でやってみると、以下の文章となりました。

 

Certainly! Let’s delve into the topic of “Emotion and Rationality in Decision-Making” based on the information you provided.

In a fascinating article from Tokyo Shimbun, there’s a thought-provoking discussion about the interplay between emotion and science. The article recounts an incident from 1952 when physicist Yasuharu Fushimi proposed that Japan should prepare for nuclear research. This proposal led to discussions within the academic community, with some scholars opposing nuclear power due to fears that it could instantly transform into atomic bombs. Ultimately, the proposal was withdrawn1.

Fushimi later remarked, “That wasn’t a scientific attitude. It was emotion.” His perspective, shared by many Japanese politicians and elites (even today), prioritized “science” over “emotion.” However, is emotion truly inferior to science? I believe not.

Emotion isn’t merely about being “emotional” or “sentimental.” It’s a fundamental survival instinct. Consider topics like nuclear power, radiation, and pollution. These issues trigger emotional responses because they directly impact our well-being. Our instincts activate our emotions to protect us.

For instance, when discussing Japan’s security and nuclear deterrence, some argue that relying solely on the U.S. nuclear umbrella is insufficient. They question how Japan would defend itself if it were to leave the U.S. nuclear umbrella. While dismissing “emotional opinions” is a mistake, it’s also true that some emotional stances become mere “anti-this” sentiments or even unrealistic dreams.

Yet, when it comes to matters like nuclear power and radiation, our survival instincts kick in, activating our emotions. Last year, a knowledgeable foreign acquaintance told me that genetically modified organisms (GMOs) and radiation are part of Darwinian evolution. His point was that humans might eventually develop resistance. While that’s possible, true evolution occurs naturally, not through forced actions.

Remember the film “The Cruel Sea” where sea turtles, which usually return to the ocean after laying eggs, lose their sense of direction due to nuclear testing in the Bikini Atoll. Whether this scene was staged or not, it highlights the power of instincts. We shouldn’t underestimate those who prioritize emotions in discussions about survival.

In summary, emotion isn’t merely a hindrance; it’s a vital aspect of our existence. It’s not about being a “knowledgeable robot” but recognizing that our instincts play a crucial role. Let’s continue to explore the balance between science and emotion, always considering our survival instincts1. 

Google翻訳+若干の手直し:

確かに! 提供していただいた情報をもとに、「意思決定における感情と合理性」というテーマを掘り下げてみましょう。

東京新聞の興味深い記事には、感情と科学の相互作用についての示唆に富んだ議論が掲載されています。 この記事は、物理学者の伏見康晴が日本に核研究の準備をすべきだと提案した1952年の出来事を詳述している。 この提案は学会内で議論を呼び、一部の学者は原子力が即座に原子爆弾に変わる恐れがあるとして原子力に反対した。 最終的に、この提案は撤回されました1。 伏見氏は後に「あれは科学的な態度ではなかった。それは感情だった。」

彼の視点は、(現在でも)多くの日本の政治家やエリートに共有されており、「情緒」よりも「科学」を優先するものでした。 しかし、感情は本当に科学に劣るものなのでしょうか? 私はそうではないと信じています。 情緒とは、単に「感情的」または「感傷的」であることを意味するものではありません。 それは基本的な生存本能です。

原子力、放射線、汚染などのトピックについて考えてみましょう。 これらの問題は私たちの幸福に直接影響を与えるため、感情的な反応を引き起こします。 私たちの本能は、私たちを守るために情緒を活性化します。 例えば、日本の安全保障と核抑止力を議論する際、米国の核の傘だけに依存するのでは不十分だと主張する人もいる。 彼らは、日本が米国の核の傘から離脱した場合、どうやって自国を守るのか疑問を抱いている。 「情緒的な意見」を無視するのは間違いですが、一部の感情的なスタンスが単なる「アンチ」の感情になってしまったり、非現実的な夢になってしまうことさえあるのも事実です。しかし、原子力や放射線などの問題になると、私たちの生存本能が働き、感情情緒が活性化します。

昨年、知識豊富な外国人の知人が、遺伝子組み換え生物(GMO)と放射線はダーウィンの進化論の一部であると教えてくれ言いました。 彼の言いたいことは、人間は最終的には抵抗力を持つようになるかもしれないということでした。 それは可能ですが、真の進化は強制的な行動ではなく自然に起こりまするもの

映画「残酷な海」を思い出してください。ビキニ環礁での核実験により、通常は産卵後に海に戻るウミガメが方向感覚を失います。 このシーンが演出されたかどうかに関係なく、本能の力が強調されます。

生存に関する議論で情緒を優先する人々を過小評価すべきではないのではないでしょうか?情緒は単なる障害物ではなく、 それは私たちの存在にとって重要な側面だと思います。 「知識のあるロボット」になることではなく、私たちの本能が重要な役割を果たすことを認識すること-それには、 私たちの生存本能を常に考慮しながら、科学と情緒のバランスを探求することから・・・。 


これはAIが私のブログから2012年に書いた記事

『情緒』は『生存を守る本能』の面も - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

からAIが拾って文章にしたものです。

(「Goverment」でなぜこの記事を選んだのか?と思いつつ、ちょうどイタリア人の核物理学者のおじい様がいる若い男性にメールを打ちながら、他の意見交換仲間にも彼を紹介しようと思っているところだったので、(このCopilotの文章はきっかけに使えるので)助かりました。
あるイタリア人物理学者と孫 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

「情緒」という日本語のニュアンスは難しいので、外国人にこれが伝わるかどうかはわかりませんが。)

 

この元の記事は「原子力」「科学」でしたが、私たちが今押し付けられている進化に対して湧き上に対しても同じ事が言えるかもしれないです。

「情緒」は時に「人間の本能からの拒否反応」。

 

参考:

OECDが生成AI対策-「AI」と「統制」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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赤十字創設と宗教と政治-3(優勢思想と世界政府)

2024年05月03日 | 社会(歴史・都市計画含む)

赤十字創設と宗教と政治-1(5人委員会の一人ルイ・アッピアとワルド派) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

赤十字創設と宗教と政治-2(スイスの旗、赤十字の旗・ギュスターブ・モアニエ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

と2本書いたまま、寄り道をしてきました。

実は赤十字を作ったメンバーが、ナポレオン(さらに前)から第二次世界大戦につながるように思えて来たこと、「スイス関連」で気になることがあっての寄り道でしたが、特にこの2本からの調べものからたどり着いたのが「世界政府」。

ナチスの手本-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

欧州石炭鉄鋼共同体とGroupe Collaboration-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

(「優勢思想」→「ナチスが優勢思想というを結びつけるのは簡単でも、左翼のケインズなどもナチスを評価していたようなことは知る人が少ない。」→「ケアンズなど、リベラルな学者や政治家には世界連邦(世界政府)を目指す人が多かった」→「国際機関」という流れ。)

たまたま、英語版Wikipediaの世界政府に目を通しているときにこんな個所が目に留まりました。

World government - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

国際機関は 19 世紀後半に設立され始めましたが、最も古いものとしては、1863 年の赤十字国際委員会、1865 年の電信連合、1874 年の万国郵便連合などがあります。

20 世紀初頭の国際貿易の増加は加速しました。 国際機関が設立され、1914 年に第一次世界大戦が始まるまでに、その数は約 450 に達しました。

一部の著名な哲学者や政治指導者も、産業革命後、第二次世界大戦前の時代に世界政府の価値を宣伝していました。 ユリシーズ・S・グラント米国大統領は、技術と産業の急速な進歩がより大きな団結をもたらし、最終的には「一つの国家となり、陸軍と海軍はもはや必要なくなる」と確信していた[24]。

中国では、政治改革者の康有為氏は次のように考えた。 人間の政治組織はより少数のより大きな単位へと成長し、最終的には「一つの世界」へと成長します[25]。 バハイオラは、世界統一と世界的な国家連合の確立が宗教の重要な原則であると教えるバハイ信仰を設立しました。 [26] [27]

著者のH・G・ウェルズは世界国家創設の強力な支持者であり、そのような国家が世界の平和と正義を保証すると主張した[28][29]。 共産主義の伝統的な創始者であるカール・マルクスは、世界中の労働者階級が団結してナショナリズムを無意味にする社会主義時代を予言しました。

反共産主義者たちは世界政府が世界共産主義の目標であると信じていた [30] [31] 。 国際法の制定という考えへの支持もこの時期に高まった。

国際法研究所は 1873 年にベルギーの法学者ギュスターヴ・ロラン=ジェイクミンスによって設立され、たとえば 1866 年にスイスのヨハーン・ブランシュリによって具体的な法律草案が作成されるようになった。[要出典]

1883 年、ジェームズ・ロリマーは『国際法研究所』を出版した。 国家法」では、世界政府が世界的な法の支配を確立するという考えを探求しました。 列国議会同盟と呼ばれる最初の初期の世界議会は、1886 年にクレメルとパッシーによって多くの国の議員で構成され組織されました。 1904年、連合は「国際問題を議論するために定期的に開催されるべき国際会議」を正式に提案した。

セオドア・ルーズベルト 1905年の議会への声明の時点で[32]、米国大統領セオドア・ルーズベルトは「文明国家の組織」の必要性を強調し、さらに前進すべきロールモデルとしてハーグの国際仲裁裁判所を挙げた[33]。

1906年のノーベル平和賞の受賞スピーチで、ルーズベルトは世界連邦を「マスターストローク」と表現し、平和を維持するために何らかの形の国際警察権力の必要性を主張した[34]。 歴史家のウィリアム・ロスコー・セイヤーは、この演説は「国際連盟の提唱者によってその後説教される多くの条件を予見していた」と述べ、国際連盟はさらに14年間は確立されなかった[35]。

インディペンデント紙のハミルトン・ホルトはルーズベルトの「世界連邦」計画を称賛し[36]、普遍平和のための「これほど包括的な計画」が提案されたのはヘンリー4世の「偉大な計画」以来であると書いた[37]。 ルーズベルトは概念的には世界政府を支持したが、具体的な提案や国際統治の大義を推進する組織の指導者には批判的だった。

歴史家のジョン・ミルトン・クーパーによれば、ルーズベルトは、自分の後継大統領ウィリアム・ハワード・タフトの計画を「既存の条件の下で、不適切または重要ではない執行方法の主張によって原則の遵守が曇らされることを拒否する賢明なリーグである」と賞賛したという。 現実問題としてリーグについて話すことができるということだ」[38]

1907年のアンドリュー・カーネギーへの手紙の中で、ルーズベルトは「ハーグ法廷の権限と永続性が大幅に向上すること」への希望を表明し[39]、最後の公の演説の一つでルーズベルトは次のように述べた。 将来起こり得る戦争の数を減らし、その範囲を制限するために公平に入札する国際連盟またはその他の形式。」[40]

(中略)

世界連邦主義運動
 第二次世界大戦の終結から朝鮮戦争の勃発までの数年間(冷戦の両極性の定着をほぼ示すものであった)には、初期の世界連邦主義運動が隆盛を極めた。[49][50]。 ウェンデル・ウィルキーの 1943 年の著書『ワン・ワールド』は 200 万部以上を売り上げ、世界的な連邦主義にインスピレーションを与える議論や原則の多くを説明しました。 同時代の著作であるエメリー・レーブスの『平和の解剖学』(1945年)は、国連を連邦世界政府に置き換えることを主張した。
 
ローラ・マーベリック・ロイド、グレンビル・クラーク、ノーマン・カズンズ、アラン・クランストンなどの多様な人物によって率いられた米国における世界連邦主義運動は、より規模が大きくなり、より顕著になりました。1947 年には、いくつかの草の根組織が合併して、統一世界連邦主義者を結成しました(後に改名されました)。
世界連邦主義協会、その後シチズン・フォー・グローバル・ソリューションズとなり、1949年までに47,000人の会員を獲得した[50][52]。 同様の運動は他の多くの国でも同時に形成され、1947 年のスイスのモントルーでの会議で最高潮に達し、世界連邦主義運動 (WFM) と呼ばれる世界連合が結成されました。
1950年までに、この運動は22カ国に56のメンバーグループを擁し、約156,000人のメンバーが参加した[53]。 アメリカ合衆国憲法の修正を提案する条約 1949年、米国の6州(カリフォルニア、コネチカット、フロリダ、メイン、ニュージャージー、ノースカロライナ)は、「世界連邦政府への米国の参加を可能にする」修正案を提案する第5条条約を申請した[54]。 他の複数の州議会も同じ提案を提出または議論した[55]。 これらの決議はこの取り組みの一環でした[56]。
第81回アメリカ合衆国議会(1949年 - 1951年)中に、世界連邦を支持する複数の決議が提出された[57]。 シカゴ世界憲法草案 シカゴ大学のロバート・メイナード・ハッチンズによって結成された学者と知識人の委員会は世界憲法の暫定草案を発行し、1947年から1951年にかけてトーマス・マンの娘エリザベス・マン・ボルゲーゼが編集する世界政府を専門とする雑誌を発行した。 ; そのタイトルは「Common Cause」でした[58]。
(中略)
 
アルバート・アインシュタインと世界憲法 アインシュタイン、1947年(68歳) アインシュタインは、世界が軌道から外れつつあると確信するようになった。 彼は、状況の深刻さにはより徹底した行動が必要であり、「世界政府」の設立が唯一の論理的な解決策であるという結論に達した[59][60]。

アインシュタインは1947年10月の「国連総会への公開書簡」の中で、国際協力と世界政府樹立の緊急の必要性を強調した[61]。 1948年、アインシュタインは統一世界フェデラリスト社(UWF)のコード・マイヤー会長を原子科学者緊急委員会(ECAS)の会合に招待し[62][63]、諮問委員会のメンバーとしてUWFに加わった。 64][65] アインシュタインとECASはUEFの資金調達を支援し[65]、支援資料を提供した[66][67]。

アインシュタインは統一世界連邦主義者を「私たちの願望に最も近いグループ」と表現した[68]。 アインシュタインと他の著名人は世界人民大会(PWC)を後援し、1950年から1951年に開催され[69][70]、その後1968年、1977年、1978年から1979年、1991年に世界制憲議会の形で継続された。 [71][72] この取り組みは世界憲法と暫定世界議会の創設に成功した[73]。

「地球憲法」としても知られる地球連邦憲法は、1968年の世界制憲議会で国際法律専門家によって起草され[74][75]、1991年に完成した[76]は、世界連邦政府の枠組みである。 暫定国際立法機関である暫定世界議会 (PWP) は、この世界憲法の枠組みの下で運営され[76][77]、地球規模の問題に取り組むためにさまざまな国から代表を集めて召集される[78]。
 
 
国際機関の始まりは赤十字、そして国際的な裁判所の考えも赤十字の創設者に一人、そして創立者の別の一人が、サンシモン主義とかかわったであろう人でナポレオンの部下でもあった人。
 
(サンシモン主義者たちは中にはフランク主義者(フランク主義はシャブタイ主義の派生のようなもの。)
 
 
仮置き:
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