一度、根気限りで退任の意向を固めていた石原都知事が、4期再出馬する意向に転じたと言われています。
私は2月25日のブログで、石原氏のことを話した友人に、
「石原氏の『強い個性』は私も認めますが、『一貫性』となると疑問に感じる部分があります。
それでも、「都知事選の出馬要請を受けながら、最終的には潔く引いた、という部分で初めて石原慎太郎を評価するわ。もしかしたら、今回出馬しても勝ち目の確率が以前より低いと睨んで、辞退した可能性もあるけど。」と昨日主人に言いましたが、石原氏が『人や票に振り回されないという政治家』というのは確かでしょう。」
と言ったことを書きましたが、石原氏の『“言動の”一貫性(の疑問)』については私の見立てがあたっていたようです。
実際は現時点ではまだ正式に本人が表明しているわけではないようなので、今後どうなるかわかりませんが、彼の「現段階の候補者だと、現在の都政を継承してくれるか心配」というおごり(今の都政が最善だとでも言うのでしょうか?まあ、この性格故、『票に媚びない政治家』でいられるわけですが。)も呆れますが、それと同時に、この転向は、やはり石原氏の中に自分の勝率を考えてのことだったんではないか、と勘ぐってしまいます。
さて、私が石原氏を支持しない一番の理由は、彼の右翼的信条ということではなく、彼に『人間としての品位』を感じられないからです。
最近沖縄の人々を侮辱したメア米国務省日本部長-日本語も流暢に話し、長年日本に住み、日本文化(お祭りだけ?)を愛し、日本人の女性と結婚をしているくらいの人なのに、沖縄に対し平気で常識では考えられない発言をしてしまった人-特別の差別主義者でもなく、悪気はなさそうなんだけれども、もともとズケズケものを言う人であったといわれています。
メア氏の非難記事は、本国の新聞やニュースサイトで大きく報じられることはなかったようですが(3月8日時点では、ウォール・ストリート・ジャーナルに記事があった程度。そのあとはニューヨークタイムズにも記事が載りましたが、大きい扱いとはいえません。)、日本では大々的に載りました。
しかし、日本においては、沖縄県民も他県の日本人も彼に怒るのは当然で、私も憤慨した一人です。
ところが、ふと考えてみると、石原氏が近隣諸国の嫌がることや、女性・マイノリティ蔑視発言を、立場も考えずに悪びれずすることを考えれば、メア氏と大差ないのではないかと思えてきます。
二人共『人間としての品位』を欠いている点では同じ。石原氏にいたっては都知事の権力を使って自分の我儘も通すので、より性質が悪いとさえ言えると思います。
『人間としての品位』に疑問を感じる人は、何処にもいますが、最近特に日本の政治家に多いような気がします。
失言を繰り返す、屁理屈をこねるという人達もそうですが、『権力の座』に執着する人、奪回しようと躍起になっている人達などこそ、まさしく『品性』を失っています。
最近、明治時代活躍した政治家や教育者などの本を読んでいましたが、読み終えて、「あの時代に今の政治家たちがタイムスリップして政治を行っていたとしたら、日本という国はなかっただろう。」と思えて仕方ありませんでした。