Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

『北方領土問題』は米国にも責任が

2011年03月03日 | 国際・政治

北方領土に関して、今日の産経記事に気になるものがありましたので、貼り付けます。:

ロシアのラブロフ外相は2日、出演したラジオ番組で北方領土問題に触れ、「1945年のポツダム会談で米国は(ソ連に)対日参戦を懇願した。ポツダムで全クリール諸島(千島列島と北方四島)はソ連に帰属すると記録された」などと述べた。日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国の決定する諸小島に限られる-としたポツダム宣言(45年7月)第8項を曲解したか、ソ連の対日参戦を密約した米英ソのヤルタ協定(同年2月)と混同した可能性がある。

 外相は「全クリール諸島がロシア領」であると主張し、その根拠として国連憲章107条(旧敵国条項)が最も重要だと発言。米国が北方領土問題で日本の立場を支持すると確認していることについては「米国は唐突に態度を先鋭化させることにした。これはよく分からない」と語った。

 ポツダム宣言第8項は、戦争による領土の不拡大をうたったカイロ宣言(43年)が履行されるべきだと明記。第9項は日本の将兵を武装解除後、速やかに帰還させるべきことも定めており、ソ連は「シベリア抑留」でこの条項にも違反した。(モスクワ 遠藤良介)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110303/erp11030310040004-n1.htm

米国とソ連のやりとりについて、ジャーナリスト田中良紹氏のブログ記事『北方領土とアメリカ』から抜粋:

 1943年10月、日米が開戦して2年後にモスクワで開かれた米、英、ソ三国の外相会談で、アメリカは日本と不可侵条約を結んでいたソ連に対し、日露戦争後のポーツマス条約で日本が獲得した南樺太と千島列島をソ連に与える見返りに日本と戦争するよう促した。翌月のテヘラン会談ではルーズベルト大統領がスターリンに同様の提案を行う。

 それは戦後の国際秩序を話し合った45年2月のヤルタ会談でも繰り返され、ソ連はドイツ降伏後の8月8日に遂に不可侵条約を破って対日参戦するのである。同盟国のドイツが敗れ、ソ連にも不可侵条約を破られて孤立無援となった日本は8月14日にポツダム宣言受諾を決めて無条件降伏し、ソ連軍は8月25日に南樺太を占領、その後9月5日までに択捉、国後、歯舞、色丹の各島を占領した。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/11/post_237.html

北方領土問題について、比較的ロシアに寛大な私でさえ、ロシアの言い分には根拠がないと思っています。それは私が“日本人だから”そういうのではなく、『ソ連は『サンフランシスコ平和条約』(1951年)にサインしていないのだから、彼らの全千島列島の所有は根拠がない。(反対に言えば、日本の言い分も正しいわけではない)」ということからです。

しかし、サンフランシスコ平和条約以前の米国との約束を理由に領土所有を訴えているとなると(まあこじつけでしょうが)、これは米国にもきちんと説明し、責任を取ってもらわなければならないでしょう。

日露戦争のとき、ロシアはドイツにそそのかされ、日本は米国にそそのかされ開戦。

(もちろん両国とも自分達の意志で戦争に突入したわけなので、『そそのかした国』に責任は押し付けられません。)。

太平洋戦争も、似たようなところはあったのではないかと思います。

コメント
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