新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

華やぐ上野に行ってきた(前編)

2015-03-14 20:50:52 | タウンウオッチング/ニュース

北陸新幹線金沢・富山延伸上野東京ライン開業に沸く上野に行ってきました。

目的は、こちらでツイートした、上野東京ライン開業を記念してきょう発売になった上野国立3館(東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館)共通入場券「UENO WELCOME PASSPORT」を買うこと、、、、なのですが、せっかくですので、赤羽駅で乗り換えた熱海行き上野東京ライン東京駅まで行ってみました。

丸の内に通勤していた頃、私は赤羽駅から京浜東北線東京駅まで行くこともあれば、宇都宮線・高崎線上野駅まで行ってエキナカで乗り換えのタイミングを使って朝食を摂ったりしたものでしたっけ・・・

そんなことを思い出しながら、きょう開通した上野~東京間の乗車を楽しみました

思いのほか、この区間ではスピードを出さないんですなぁ。その割には、レールと車輪が擦れるキシキシ音がずっと響いていました。
カーブがキツいのか(そんな風には思えないけど)、はたまたレールが新しいからなのか、その辺はどうなんでしょうか?

   

そんなことで、東京駅から折り返して上野駅で降り立った私、まず、KIOSKでタバコカートン買いしました。Suicaを使うと、ポイントがつくンですよね

すると、マスクケースをいただきました

加えて、KIOSK前で「営業活動」に勤しむパンダにレシートをお見せするとプレゼントがあるとか

パンダからいただいたのは、チロルチョコ

チョコが好きではない私ではありますが、ありがたくいただきました

事前に情報を入手していなかったのですが、このKIOSK、きょうリニューアルオープンして、その記念イベントが繰り広げられていたのだとか(こちらのサイトをご参照方)
KIOSK 1のリニューアルで、これほどのイベントが催されるとは、いったい何事

背景はよく判りませんが、このKIOSKを贔屓していた私ですから(何度もタバコのカートン買いを決行しましたし、2週間前に上野に出かけたとき、このKIOSKが営業していなかったことを把握していました)、「見る人は見ていた」っつうことなんでしょ

   

2週間ぶりの上野公園は一気に春めいていました

もう、桜まつりの準備が始まっている

ちょいと早いんじゃないのか? と思ったのですが、実は、上野公園では既にサクラが咲いています

上野広小路口では、オオカンザクラ満開でした

向かって右側のオオカンザクラが群れていますが、

多くの人たちがカメラを向けているその先では・・・、

満開オオカンザクラの枝の上で、2匹のニャンコくつろいでいました
しかも、このニャンコたち、首輪代わりに、一匹はバンダナ、もう一匹は真珠のネックレスを身につけているではありませんか

カシワの木の枝に佇むニャンコを描いた菱田春草の「黒き猫」を連想した私(こちらのツイート)ですが、「黒き猫」に比べると、こちらはかなぁ~りユルい

   

先週の水戸への「お出かけ記」の狭間にちょいと1本だけ記事を挟むつもりで書き始めたこの記事だったのですが、1本じゃ終わりません

ということで、後編につづきます

つづき:2015/03/15 華やぐ上野に行ってきた(後編)

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久しぶりの水戸(その4:偕楽園編の前半)

2015-03-14 08:04:54 | 旅行記

「久しぶりの水戸(その3:偕楽園まで編)」のつづきです。

天王町風俗ゾーンを足早に抜けた私は、住宅街を通り抜け、偕楽園を目指しました。

途中、「右:歴史館 左:偕楽園」という看板を見て、茨城県立歴史館にも気を引かれたのですが、あまり時間がないもので、歴史館は次の機会にということで、御成門前に到着

御成門を入ると(入園無料)、名物の梅林が広がっていました。

情報通り「三分咲き」の状態なんですが、同じウメでも様々な品種が植えられているせいか、既に満開の木、咲き初めの木、まだまだおねむの木が混在していて、その辺、サクラの名所とはチト違う雰囲気です。

それにしても、これが満開になったら、さぞかし凄い光景なんでしょうねぇ。

私、偕楽園「日本三名園」の一つだということは存じ上げていましたが、水戸にあることとウメの名所だということ以外はほとんど知りませんで、初めて知ることがいろいろありました。

まず、意外と歴史が浅いこと。
水戸藩第9代藩主の徳川斉昭公が天保13(1842)年に創設したといいますから、もう江戸時代末期です。
同じ水戸藩関係小石川後楽園が、

江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後 れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。

だったことを考えれば、200年の間隔があいているんですなぁ。

ちなみに「偕楽園」の名称の由来は、

中国の古典である『孟子』「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとったもので、「偕楽園記」では「是れ余(斉昭)が衆と楽しみと同じくするなりの意なり」と、述べています。

だそうです。

そうえいば、「弥生式土器」「弥生」は、土器が出土した東京・文京区本郷弥生町の地名から採られたことは有名ですが、更に遡れば、徳川斉昭公にたどり着くことはこちらで書きましたっけ・・・

さて、水戸に出かけて初めて知ったもう一つのこと、、、、を書こうと思いましたが、きょうはやるべきことが多いもので、ここで一休みさせていただきます。

ちょうどNHK「おはよう日本」のきょうの放送が偕楽園の風景で終わったことですし・・・

あ、そうだ 現在の偕楽園ウメ八分咲きだそうです。

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あの日から4年

2015-03-11 22:35:10 | 日記・エッセイ・コラム

4年前3月11の私のブログは、「予定を変更して増上寺のこと」というタイトルの記事1本です。

約2週間前(東京マラソンの日)に出かけた増上寺のことを書きました。

なんとも能天気な・・・

と思われるかもしれませんが、その頃の私は、にブログの記事を書き翌朝、推敲して、アップしてから出勤するというパターンをとっていました。
ですから、この記事のタイムスタンプ「2011-03-11 08:01:43」となっています。

ブログに記事をアップして出勤したときは、まさかこの日「午前様」で帰還することになろうとは思っていなかったのは言うまでもありません(記事はこちら)。

上の写真に写っている東京タワーこの日の地震の揺れで先端のアンテナが曲がってしまい、その後しばらくは曲がったままだったことを覚えています。

あの日から4の月日が流れましたが、未だに仮設住宅で暮らしている人は大勢いらっしゃるし、現実とは思えない体験をに強く深く刻まれている人々は自分も含めて数えきれないほどいるだろうし、そして何よりも、2万人近い数の人々の命が奪われた事実は動かしようがありません。

今後、東北地方太平洋沖地震と同規模以上の地震が発生しない保証はありません。
いや、いつかは絶対に発生するでしょう。

そんな時に、犠牲になる方が1人でも少なくなるよう備えるためには、みんなの体験や記憶後世に伝えることが重要なんだろうなと思います。

東日本大震災で亡くなられた方々に、合掌

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久しぶりの水戸(その3:偕楽園まで編)

2015-03-10 23:42:11 | 旅行記

「久しぶりの水戸(その2:山口晃展編)」のつづきです。

水戸芸術館現代美術ギャラリーでの「山口晃展 前へ下がる 下を仰ぐ」に至極満足した私は、次の目的地・偕楽園に向かいました。もちろん徒歩です。

水戸駅内の観光案内所で入手した観光リーフレット(私の旅行のパターンです)を持っていましたが、もっぱらケータイGoogleマップを利用しての行動です。

で、国道50号線(黄門さん通り)を横断して、偕楽園の方向に歩き出したとき、目に止まったのはこちらの銀行

三菱東京UFJ銀行水戸支店

三菱東京UFJ銀行水戸支店なんですが、いかにもいわくありげ立派な建物じゃありませんか

もう1枚、正面から。

三菱東京UFJ銀行水戸支店

帰宅してから調べると、これは、川崎銀行水戸支店として建てられたもので、竣工はなんと1909(明治42)年100年以上も昔の建物が現役の銀行として使われているなんて、凄くないですか?

旧・川崎銀行といえば、、、、

川崎銀行本店の銘板

明治村川崎銀行本店ごく一部が保存されていましたっけ…こちらの明治村訪問記をご参照方)でも、ですよ、明治村川崎銀行本店の竣工は1927(昭和2)年ですから、後から建てられた建物が博物館入りしているってのに、旧・川崎銀行水戸支店は未だ現役ですぞ
旧・川崎銀行
自体が水戸と縁が深い(創業家『黄門さま』こと徳川光圀公の治政以降、代々水戸藩と深い繋がりをもっていたらしい)ことが関係してるのかもしれませんな。

戦災東日本大震災もくぐり抜けたというこの建物、ずっと現役であり続けていただきたいものです。

こちらのブログには、

これが明治村に展示してあった写真。

が載っているんですが、私はまったく気づきませんでした

   

三菱東京UFJ銀行水戸支店の向かい側に立っている案内地図で道順を確認して、最短距離偕楽園を目指しました。

泉町3丁目交差点で左に曲がって、突き当たりを右へ・・・と歩いて行こうとすると、、、、そこ風俗街でした

まだ午後3時を回ったばかりで、陽も高い(曇っていたので太陽は見えなかったケド)というのに、客引きおじさん&お兄さんが立っていて、

さ、どうぞ

なんてやっているんだから…。歩いていたのは私一人だったんだけど…

これが昼間の街、それも日本の街だったからよかったものの、もし、海外旅行中の夜の散歩でこんな場所に足を踏み入れていたとしたら、かなぁ~り怖い思いを味わったかもねぇ…土地鑑がないというのは危ないですなあ

まだ偕楽園に到着しませんが、今夜はここまで

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久しぶりの水戸(その2:山口晃展編)

2015-03-08 12:44:58 | 美術館・博物館・アート

「久しぶりの水戸(その1)」のつづきです。

私が水戸に出かけるのは2度目で、前回も水戸芸術館がお目当てでした。このときは、「開催されていた展覧会を観に」ではなく、「噂に聞く水戸芸術館を観てみよう」というのが目的で、実際、展覧会の記憶はほとんど残っていませんただ、タワーに登ったら、案外つまらなかった・・・ということだけが刷り込まれています

それはともかく、水戸駅から水戸芸術館を目指して歩き始めました。駅前から水戸中央郵便局までの約400mは、かなり緩やかながらも、だらだらと続く上り坂で、健康に良さげです。降っているか止んだか判らないような小雨の中、途中で昼食を挟んで、約1.5kmの道のりを歩き(水戸芸術館のHPでは、「水戸駅からは、バスをご利用になると便利です。」の由)、水戸芸術館に到着

お久しぶりぃ~

と、正面の噴水(大きなが、吊されて水責めにあっているかのような意匠)の奥にある垂れ幕は何だ?

アップにしてみましょう。

調べてもこの「○×4○ △ た」が意味しているところが判りませんどなたか御存知でしたらご教示くだされこちらのツイートによると、これは山口さんの作品っぽい・・・

   

さて、大山崎、、、(こちらの記事をご参照方)じゃなくて「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」のこと。

いやはや楽しかった往復で3時間半の時間約6,000円の運賃(そして観覧料800円)を費やして出かけただけのことはあったと思っています。

山口画伯は、一応「画家」という範疇に括られるのでしょうけれど、ただ絵画が展示されている展覧会に留まっていないところが、「山口晃展」なんだろうと思います。

山口晃展のフロアプラン兼出品リストインスタレーションが出展されていることだけでなく、展覧会の「順路」からして相当にユニークで面白い

右のフロアプラン 兼 出展リストに示されているように(って、右図だとよく判らないでしょうから、右図をクリックすると開くPDFをご覧くださいませ)、動線が3か所でクロスしています。

クロスしている地点には、山口作品ではおなじみのポリカ波板の屋根が架けられた機械式(?)交差点装置が設置され、観客が間違った順路に迷い込まないように淡々と誘導していました。

また、「順路」に数ヵ所ある黒い壁の通路が、ワクワク感を高める効果を発揮していたのには感心ただの屈曲した通路なのにね…

   

この展覧会では「電柱」系の作品が展示されている3のみ、撮影可でした。

世の中から「邪魔者扱いされて、電線の地中化が進められているご時世ですが、こうしてみると、下が細くて上に大きな箱(変電関連機器)が据え付けられている不安定な構図も、直線と曲線が入り乱れる電線の取り回しも、ある意味、アートですなぁ・・・

 ただ、残念なのは、「伊万里焼の碍子」が使われていないこと・・・

この記事を書くにあたって調べてみると、実際に「染付の碍子」が使われていたことを知って愕然

私、てっきり山口画伯の冗談だと思ってた…

   

この展覧会で初めて拝見した作品の一つに「紙ツイッター」がありました。

パソコンやスマホやケータイで「つぶやく」のではなく、「ノートに鉛筆でつぶやく」という、私的かつ閉鎖的なツイッターです。それでも、途中から1人だけフォロワーが付いているのが何とも微笑ましいこの延々と書き綴られた「紙ツイッター」を延々と読んで思うのは、山口画伯が、その絵画作品で感じられるとおり、きわめて繊細かつ几帳面かつ誠実文字を書かれるということ。うん、、なかなか面白い

また、「食日記」「日々のてならし 夫婦善哉」を観て感じるのは、山口画伯は、絵を描くことがひたすら好きなんだということ。山口画伯北斎ばりに長生きされて、そのうち画狂老人と自称するようになるんじゃなかろうか・・・

   

「Tokio山水(東京圖2012)」を拝見するのは、そごう美術館での「山口晃展~付(つけた)り澱(オリ)エンナーレ老若男女ご覧あれ~」(記事はこちら)以来ですから約2年振り

いやぁ~、やはり凄い

墨一色で描かれた大東京、薄い雲の隙間から俯瞰した眺めが、どっかぁ~ん視界を独占します。そして、近づいてしげしげと見つめると、いったいこれはいつの東京なのかと、時間的感覚ぐしゃぐしゃにしてくれます(東京スカイツリーは建設中)。

また、新作の「ショッピングモール」「Tokio山水(東京圖2012)」同系統の作品で、これもまた見入ってしまいます。なんとなくまだ「制作中っぽくて(山口画伯の場合、よくあること)、会期末には別の様相を呈しているかもしれませんな。

   

この分だと、展示されていた全作品についてコメントを書いてしまいそうですこの辺で終わりにしたいところですが、あと2作品だけ、書かせていただきたい

まず、「九相圖」(2003年)

「九相図」というのは一般名詞で、Wikipediaによれば、

九相図(九想図、くそうず)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である。

だそうです。

もちろん山口画伯のことですから、普通に「死体が朽ちていく経過」を描かれるはずもなく、期待に応えて、おなじみのアレが朽ちていく経過を描かれています。

そのアイデアはもちろんお見事ですが、落ち着いて考えれば冗談以外の何ものではないアレが朽ちていく経過が、凄惨かつ無常感を持って目に飛び込んでくる迫力ときたら、、、、鳥肌が立つ絵力(えぢから)です

一方、「どこでもドアは行きたい場所を想い描かなくてはどこへも行けない」には、ホントにドキッ会場の係員さんは、私のようにビクッとしている観客を何人も見ているんじゃなかろうかと思います何がどうで私がビクッとしたのかはネタバレになりますので、ここでは書きませんぜひぜひ、実際に作品を体感していただきたいと思います。

そうそう、この展覧会の図録はまだ制作中で、

本展カタログは青幻舎より2015年4月下旬より全国書店で発売4月19日より当館で先行販売予定

だそうです。

発売されるまではこちらで我慢しましょう。

山口晃 大画面作品集
山口 晃
青幻舎

いやはや、楽しかった 「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」超お薦めです

最後にとっておきこの1枚

つづき:2015/03/10 久しぶりの水戸(その3:偕楽園まで編)
ある意味、つづきのようなもの:2015/03/23 「東宝スタジオ展」で、あ~~~!!!
これもまたつづきのようなもの:2015/04/27 判ったような判らないような…

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久しぶりの水戸(その1)

2015-03-07 23:32:59 | 旅行記/美術館・博物館・アート

武蔵野線に乗って東川口まで出かける用事があったもので、その用事が終わったのち、そのまま水戸まで出かけてきました。
水戸駅前では「お約束」のようにこちらの銅像がお出迎え

黄門様ご一行の像

さて、きょうの旅程は以下のとおり。

自宅⇒徒歩郵便局徒歩最寄り駅武蔵野線東川口駅⇒徒歩用事⇒徒歩東川口駅武蔵野線新松戸駅常磐線(車両は東京メトロ・千代田線用柏駅常磐線特急「スーパーひたち」)⇒水戸駅⇒徒歩水戸芸術館山口晃展)⇒徒歩偕楽園⇒徒歩水戸駅常磐線特急「スーパーひたち」柏駅常磐線(車両は東京メトロ・千代田線用)⇒新松戸駅武蔵野線⇒最寄り駅⇒徒歩⇒用事⇒徒歩⇒自宅

たまたま武蔵野線で出かけたからというきっかけの割にはかなりの遠距離のお出かけになりました

水戸に出かけた目的は二つありまして、一つは水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」で、

水戸芸術館

もう一つは、偕楽園ウメ

偕楽園のウメ

偕楽園のウメの開花情報

後者の偕楽園ウメは、出かける前に調べたところ、まだ「三分咲き」だということで、まだ早いかなと思っていましたが、来週は上野に出かけるのが優先なので、本日「水戸行き」を決行いたしました。

案の上、見頃までまだまだって感じでございました

でも、まぁ、満開のウメを楽しむのは来年以降のお楽しみにとっておくことにいたしまして、きょうのところは、「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」満喫することと、偕楽園ウメさわりを楽しむことと、水戸土地鑑を養ったことで、目的を達したと解釈したいと思います。

前回、水戸水戸芸術館)に出かけたときはクルマだったもので気づきませんでしたが、水戸の街は案外起伏に富んでいて、ひたすら歩いたおかげで、かなり疲れました

そんなわけで、きょうはここまで

明朝、このつづきを書きますので・・・

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実は私、「シロクマ好き」だったりして

2015-03-04 23:28:01 | MISIA/日記・エッセイ・コラム

先々週、短期帰省した際、実家がとっている地元紙の記事についてツイートしました。

ツイート秋田生まれのホッキョクグマのミルクちゃん、話題になっているようです。
http://matome.naver.jp
/odai/2141748807617120101

「白い季節」のMVに出演させてあげたかった。

上に貼ったリンク先を見ると、ありきたりな表現ですけど、ホント、「人が入っているのかと叫びたくなります。

静止画でも十分に驚き感嘆連続なのですが、動画を観ると、いやはや、たまりません…

こちらのシロクマも良いのですけれど、

やはり本物は違う ってことなんでしょうなぁ
とくとご覧あれ

ところで、幼少のみぎり4~5歳の頃だったと思う)私にとって、一番のお気に入りシロクマのぬいぐるみでした。

そのぬいぐるみをいつも(寝るときも)抱えていたものだから、そのうちに汚れてきて、祖母が洗濯してくれました。
ところが、洗濯したら、形が崩れていまい、ほとんど大の字状態

それでも私はお気に入りだったことに変わりがなかったのですが、あまりのシロクマの形の情けなさに、私を不憫に思った祖父が、ぬいぐるみの中に針金を差し込んで形を整えてくれました。

私にしてみれば、形がちょっとマシになったことを喜ぶより先に、針金を差し込まれてしまったシロクマ不憫で、私は針金を差し込んだところに赤チンを塗ってあげたのでありました。

実家には、このシロクマのぬいぐるみを抱えて大笑いする私の写真があったはずですが、ご紹介できないのが残念です

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トーハクの内と外(その2)

2015-03-02 20:40:06 | 美術館・博物館・アート

「トーハクの内と外(その1)」のつづきです。

私の理解では、博物館の役目は収蔵品の展示と教育・啓発だけではなく、研究、保存、そして修復まで含まれます。
東京国立博物館(トーハク)では、修復が終わった「檜図屏風」の公開に合わせて、「東京国立博物館コレクションの保存と修理」と題する特集陳列が行われています。
もともとトーハクでは常設展示の中に「保存と修理」というコーナーを設けて、使われている道具や資材が展示されていて、なかなか勉強になるのですが、「東京国立博物館コレクションの保存と修理」では、実際に修復が施された作品が展示されていて、さらに勉強になりました。

しかも、展示されている「実際に修復が施された作品」ってのが、また凄い

例えば、雪舟等楊「四季山水図」重要文化財)のうち春と夏なんかが展示されています。

まさしく、「惜しげもなく」って感じですナ

この他にも、っつうか、国宝もこのコーナーに展示されていました

中国・宋時代の坊さん、大慧宗杲(だいえ そうこう)の筆になる「無相居士(むそうこじ)あて尺牘(せきとく)」です。

まったくもって惜しげもない

ただ、疎い私としましては、大慧宗杲無相居士尺牘も初めて目にするお名前と単語…。

この記事を書きながら調べたものの、すぐに忘れちゃうんだろな。やはり興味のヘリにありますから…

   

「東京国立博物館コレクションの保存と修理」をじっくり拝見したあと、総合文化展に戻り、いつものように順繰りに展示を観るうちに、「書画の展開―安土桃山~江戸」の展示で、ありゃ? と思いました。

この作品、「東京国立博物館コレクションの保存と修理」で観た古書籍虫食いの跡みたいだ

何? これ? と、説明板を見ると、、、、

え"っ 「蘭亭序屏風」ですって
私の持っている「蘭亭序」のイメージと全然違う

信じられないまま、冒頭を観ると、、、

「永和九年」で始まってる…(こちらの記事をご参照方)、確かに蘭亭序だ…

う~む、、、「書の最高傑作と賞される蘭亭序をここまでいじるか…

恐るべし、亀田鵬斎

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トーハクの内と外(その1)

2015-03-01 08:59:33 | 美術館・博物館・アート

きのう、2週間ぶりに東京国立博物館(トーハク)に行ってきました。

自宅を出発したときには結構寒くて、どうなることかと思っていましたが、見事に晴れ渡り、気温も徐々に上がって、気持ちの良い "Saturday in the Park"になりました

上野公園・竹の台広場

きのう、トーハクに出かけたメインの目的2つありまして、ひとつは、

トーハクのウメ

表慶館法隆寺宝物館の間にあるウメを見物することで、もうひとつは、

狩野永徳「檜図屏風」

大規模修復の完了した狩野永徳「檜図屏風」を鑑賞することでした。

どちらの「目的」成就できて私は満足

まず、ほぼ満開ウメは、辺り一帯に芳しい香りを放って、視覚と嗅覚の両方で満喫することができました。

トーハクの白梅

私は白梅の方が好きなんですが、紅梅もなかなか…

トーハクの紅梅

この季節、トーハクに行ったら、ウメも楽しまないともったいないですゾ

   

一方の「檜図屏風」は、先々週、トーハクに出かけたとき、ミュージアムシアターVR作品『国宝 檜図屛風と狩野永徳』」を観て、この作品が大規模修復を受けて、それが完了したばかりだということを知りました。

修復中だったことすら知らなかった私としては、その足で現物を拝見したかったのですが、あいにく「檜図屏風」の展示は翌週から(2月17日~3月15日)とのことで、また、きょうのNHK日曜美術館でこの修復を取り上げると聞きつけて、昨日再チャレンジした次第です。

ところで、今回の修復作業汚れをとり、裏打ち紙を張り替えて・・・といったことに留まりません。
なんと、これまでの「八曲一隻」から「四曲二双」仕立て直されるという大改編が施されています。

初めてこの作品を拝見した際、「八曲一隻」の真ん中で、絵の連続性が途切れていることをいぶかしく思いました。
第四扇から第五扇へ伸びる枝がズレていたのです

実はこの作品、「檜図屏風」という名前がついていますが、もともとは襖絵だったものを屏風に仕立て直したのだとか。
もともとのあった場所を境に一隻の屏風にしたものだから、その柱の部分が妙なことになっていたというわけです。

修復前(八曲一隻)はこんな感じ。

檜図屏風(修復前)

それを、今回の修復では柱があった部分を境に二双にしたのだそうな。

その結果、

極めて自然になりました

それから、現在のトーハクの展示方法、何か気づきませんか?

普通、屏風絵は、折り折り状態で、屏風として展示されるものですが、この展示は真っ平らになっています。

つまり、襖絵だったときの見え方を再現しているってわけ

う~む、、、お見事

せっかくですから、ギリギリまで近づいて拝見

おぉ、の葉っぱが盛り盛りです

こういったところって、生で観るに限りますなぁ…

トーハク見聞録はまだつづきます。

つづき:2015/03/02 トーハクの内と外(その2)

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