新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

14年前の3月20日

2009-03-20 13:21:54 | 日記・エッセイ・コラム

14年前、1995年の3月20日は平日でした。翌日に祝日(春分の日)を控えたこの月曜日の朝のことは一生忘れることができないと思っています。
   
このちょっと前のこと、私はかなり受け入れがたい異動の内々示を受けていまして、転職も考えたりしていました。親や転職経験済みの友人の「早まるな」のアドバイスもあったことから、とりあえずは新しい職場に行って様子見することにしましたが、それでも、3月20日に予定されていた内示を控えて、鬱々とした週末を過ごしました
そんな落ち込んだ気分をホンの一瞬だけ晴らしてくれたのが、3月19日に行われた競馬の「報知杯4歳牝馬特別(現在の報知杯フィリーズレビュー)」。

</object>

この1995年は、地方在籍馬にも中央競馬のGⅠの門戸が開かれた記念すべき年で、報知杯4歳牝馬特別には笠松所属のライデンリーダー安藤勝己を鞍上に、桜花賞への出走権をかけて出走してきました。ライデンリーダーは2番人気に推されたものの、スタートからペースについて行けない様子で、「やはりダメかぁ」と思わせる展開になりました。ところが、直線半ばからライデンリーダーが見せたスパートは凄かった。ただただ笑うしかないようなゴボウ抜き。声を出して笑ったのは何日ぶりだったでしょうかねぇ(その後、笑いとは縁のない日々が続きました)。
それでも、「一瞬の祭」が終わると、鬱々とした気分に逆戻りして、3月20日の朝を迎えました。
   
3月20日は良い天気だったと記憶しています。
いつものように池袋から丸ノ内線で銀座まで行き、銀座から日比谷線に乗り換える……はずが、銀座駅でこんなアナウンスが流れていました(8:15頃だったと思います)。
日比谷線は、築地駅での爆発事故のため、運転を見合わせています
「え?爆発事故? 仕方ない、歩いて行くか」と地上に出てみると、そこはいつもの銀座ではありませんでした
何台もの消防車や救急車、パトカーがサイレンを鳴らして晴海通りを築地方向に走っていくし、上空では何機ものヘリコプターが轟音を轟かせているし、まさしく非常事態
職場に着くと、TVのスイッチが入っていて、ここで「地下鉄サリン事件」の発生を知りました。
もうこの段階で、私の周りでは「オウムの仕業だ」という見方が広がっていましたっけね。
勤務先に実家から電話がかかってきたのは、今まで、この時だけです。

   

私はこの一連の化学テロの被害に会わずに済みましたが、私がこの朝に乗った丸ノ内線は、1名が死亡・358名が重傷を負った「池袋7:47発」か、この1~2本あとの列車だったはずです。

ブログを始めて、最初の「3月20日」なので、「地下鉄サリン事件」のことを書いてみました。

亡くなられた方々に、合掌。

未だ後遺症に苦しんでいる方々には、心からお見舞い申し上げます。

   

なお、私は、(異動後も悩んでいましたが)結局、転職するのをやめ、今も当時と同じ会社に在籍しています。
当時、相談にのってくれた友人・知人、そして異動先で出会った人たちに感謝しています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3年前の「春分の日」 | トップ | 今日の夕食 »

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事