高田明和『責めず、比べず、思い出さず』で勧められる五つの実践の一つが「プラスの言葉遣い」である。
よい言葉には言霊という見えない力がある、よい言葉を常に自分に言い聞かせるようにしなさいと説き、次の二つの言葉を常に口にするように高田明和氏は勧める。
「困ったことは起こらない」
「すべてはよくなる」
何か嫌なこと、心配ごとが起きたときに、「困ったことは起こらない」と口ずさめば、気分はよくなり、心配ごとは消え、嫌なことは起こらない。
思ってもみないトラブルが起きたときなどに、「すべてはよくなる」とくり返せば、事態は改善し、悪いようにはならない。
こんなことを高田明和氏は実体験をまじえて書いているわけだが、自分の都合をかなえるポジティブシンキングを釈尊が説いているとしたら、私は仏教を信じない。
そして高田明和氏は、
「自分を信ずれば自信は生まれ、信じなければ自信は生まれない」
「自分を信ずれば、自分の心の力が働きだし、物事が成功するのです。つまり信ずればすべてを変えることができるのが、心なのです」
と言うのだが、これでは仏教がニューエイジと同じことになる。
業について高田明和氏はこのように説明している。
「私たちの思い、言葉、行動が善、あるいは慈悲に満ちていれば、それは善業といって、宇宙の業という貯金通帳に記帳されます。一方、思い、言葉、行動が悪、無慈悲から起これば、悪業といって業に記載されます」
業を実体的に考えているわけである。
仏教では輪廻転生を説くこともある。
霊魂は否定しているから、では何が輪廻するのかというと業識である。
「仏教では霊魂などというものは認めません。ただ死後も業は残るとします。
夫婦の精子と卵子が結合しようとするときに、その両親の業に似た業、宇宙にさまよっている業がこの受精卵に入り込みます。そして生命が誕生するのです。両親の業と似た業をもつ子どもが誕生するわけですから、子どもは両親ににるわけです」
なるほど、わかりやすい説明です。(もちろんこんなことを私は信じませんが)
業を実体視すると、こんなことを言うようになる。
古川堯道(円覚寺管長)「若いときに不陰徳(徳を損なう)をした人の晩年は必ず悪い」
高田明和氏も「私も年をとり、周囲の人の生き方をいろいろ見てくると、若いときに闘争的で、相手を傷つけても何とも思わず、言いたい放題のことを言って暮らしたような人の晩年は、必ず孤独、孤立し、愛情に恵まれない人生を送っています。ですから、若いときの成功などは、あまり意味がありません。
もし、人の心を傷つけ、しかも他人に愛情をもって接しないなら、必ず晩年は孤立し、しかも過去を後悔したり、心を病んだりするのです」と言っている。
これはカルマの法則である。
そしてカルマの清算。
達磨大師は「人は不運に巡り会うと非常に落胆するが、それは間違いだ。今までの借金を払ったのだから、借金なしになったと思えばよい」と言っているそうだ。
久保山教善氏の「物は考えよう 心は持ちよう というのは宗教ではない」という言葉に私は強く同感する。
我々は身を生きているのに、身と心を切り離して、宗教を心の問題に矮小化するのは間違いだと思う。
私は『責めず、比べず、思い出さず』を図書館で予約したのだが、一年近くかかってやっと借りることができたから、評判がいいのだろう。
アマゾンのレビューも高評価ばかり。
しかし、私なら仏教書を読みたいと言う人に『責めず、比べず、思い出さず』を勧めようとは思わない。
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