三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

松永和紀『食の安全と環境』3

2012年12月27日 | 

松永和紀氏は『食の安全と環境』で、次の三点が重要だと言う。
1,安全と安心を区別して判断する
「心情による「安心」を満たすため、さまざまな資源の無駄が増え環境負荷が大きくなっている」

2,食べ残しなどの廃棄量を減らし、食生活を見直す
「消費者ができるもっとも簡単な資源の保護は、食べられるものは捨てずにきちんと食べること。特に調理された後の食事を残すのは厳禁だ」
食品表示のわずかな間違いによる回収も問題。
「実際には健康影響はまったくもたらさないささいなミス、たとえば、重量表示をわずかに誤ったとか、原材料の表示の順番を誤ったなどという事例でも、回収され廃棄されている」

3,科学技術の短絡的な批判をやめ、多様な生産方式を認める
「学校教育の改善も重要だろう。中学・高校の副読本の中には、食品添加物の継続摂取などに対して懸念を示すものがあり、農薬や遺伝子組換え食品の安全性に対する不安を強調し、これらはできるだけ摂取しないことが望ましいと示唆するような副読本まであるという」

まず安全と安心について。
「農業者や食品メーカー、流通などが、「食の安全・安心を大切にする」というイメージを守るために、法律違反ですらない食品まで自主回収している実態がある」
たとえば、2008年、農水省が工業用として限定して売却した事故米穀が食用として不正に横流しされ、事故米が使われたとみられる日本酒やせんべいなどが回収された事件があった。
しかし、事故米を使ったせんべいや焼酎などのリスクは心配する必要がなかったそうだ。

「こうした問題の背景には「安全」と「安心」がセットにして使われている混乱がある」
松永和紀氏は「安全と安心はまったく違う」と言う。

安全…科学的に評価された結果得られる客観的なもの
「障害を起こすリスク要因に対して事前及び事後の対策が施され、障害の発生を未然に防ぐことができる、または障害の程度を許容範囲に止めることができる状態」
安心…心情
「個人の主観によって決まるものであり、「安全であると信じている」状態」

食の安心に関する過剰反応は体感治安の悪化と似ていると思う。
日本は世界でも珍しいくらい安全な国なのに、国民の多くは、犯罪が増えている、しかも凶悪化していると思い込み、厳罰化を求め、セキュリティ産業を栄えさせている。
不安に対して理屈で説明しても、感情的になってなかなか納得してもらえない。
すべての人の安心をかなえる策は存在しないから、不安はエスカレートするばかり。
食の問題でも同じで、安全ではなく安心を求め、「心情を満足させる過剰な策をどうしても追い求めがち」である。

安全と安心との混乱のいい例が遺伝子組換えだと思う。

遺伝子組換え作物は何となく怖いというイメージは私にもある。
しかし、組換え作物は飼料や食用油の原料として大量に輸入されているそうだし、組換え食品が販売されるようになってから十数年、認可された組換え食品で、安全性に疑問符がついて、認可取り消しになったものはない。

「組換え技術によって導入された遺伝子や、その結果できるタンパク質は、胃や腸によって分解され体の中にそのまま蓄積されることがなく、子孫にも伝えられない。そのため、遺伝子組換え作物を長年摂取した後に影響が出たり、後の世代に影響が出たりすることはあり得ない、というのが科学者のほぼ共通の考え方だ」

食品添加物にしても身体によくないというイメージがあるが、
「適正な使われ方をしている限り、食品添加物の安全性には懸念はない、というのが科学的には周知の事実である」そうだ。
ところが「消費者の無添加志向は強い」ため、おにぎりや弁当などの傷みやすい食品は製造段階から冷蔵設備が欠かせないし、消費期限も短めに設定して、廃棄することになる。

「電気や化石燃料を大量に消費して冷蔵管理をし、早めに捨てる日本人。「なんとなく、人工的なものはいや」という気分の判断、科学的な思考の欠如は、こんなところでも資源の無駄使いを招いている」

次に食品の廃棄量を減らすことと、食生活の見直しについて。
食の無駄使いや環境への負荷は、おいしいものを安く、しかも安全にという消費者の勝手な要求が一番の原因である。
無駄使いの好例がこれ。

「小麦粉とあんこで作る饅頭は、衛生的な工場で製造し、包装時には空気を抜き微生物が入らないようにして、脱酸素剤といっしょに包装すれば、現在の技術なら三~四か月は軽く日持ちするし、味もそれほど大きく変化しない。
だが、菓子メーカーは賞味期限を三か月とは表示できないという。なぜならば、科学技術の進歩を知らない消費者には、饅頭が三か月もそのまま日持ちするという事実が信じられない。なにか、体に悪いものが入っているに違いない、保存料を入れているのに表示していないのだろう、などと疑う。そうした疑い、苦情を避けるために、菓子メーカーは賞味期限を二〇日間に設定して販売しているのだ。その結果、消費者はまったく問題のない饅頭を「賞味期限が過ぎたから」という理由で捨てている」

野菜でも、消費者は見た目がきれいで、形のよいものを望む。
となると、農薬使用量が多くなってしまう。
「傷一つないピカピカのナスやピーマンを作るにはやはり、余分の農薬が必要だ」
それなのに農薬を嫌い、無農薬だと安心だと思い込んでいる。

「消費者は食べる場合の安全性に対して不安を持ち、いっそうの減農薬を求めている。だがその一方で、直売所や生協などでよく聞くのは、「虫がついていたから」と返品する消費者の話である。私から見れば、消費者の行動には大きな矛盾がある」
たしかにそのとおり。

エコや安全を言いつのりながら、ぜいたくな食生活を望む消費者の責任。

「濃厚飼料をたっぷり食べさせた家畜の肉を望んだのは、消費者である。牛に牧草を中心に食べさせると、脂肪の少ない赤みの肉になる日本人は脂肪が霜降り状に入った肉を好み、赤身では高値で売れない。牛乳も高い乳脂肪分が要求され、農家は家畜に栄養分の高い穀物を食べさせざるを得ない。
豚や鶏も、栄養価の高い飼料が要求されるようになった。残飯では栄養成分が不安定になり、肉の色もよくない。「おいしい肉や卵、牛乳をなるべく安く」という消費者の強い要望が、飼料による莫大な養分輸入を招いたのだ」

そして、科学技術の短絡的な批判をやめ、多様な生産方式を認めることについて。
遺伝子組換えについて日本では、「市民の遺伝子組換えに対する科学的な理解が進んでいない」

2008年、内閣府が中学校・高校の教員を対象に意識調査を行った。
問い「遺伝子組換え作物には昆虫を殺す毒素を作るものがあり、これを昆虫が食べると死んでしまうが、人間が食べても害はない」
答えは「正しい」だが、正解率は21.8%。

2009年のアンケートでも、遺伝子組換え食品に対して「非常に不安」「ある程度不安」が64.6%。
市民の反対が強く、「日本で商業栽培がすぐに始まることなど、ほぼあり得ない。にも関わらず、自治体は条例を作るなどして規制をかける」
その結果、日本では組換え作物の研究がほとんどされていない。

「農薬と化学肥料を使わなければエコ」という誤解は、マスコミにも責任がある。
「マスメディアは科学的な根拠を欠いたまま、減農薬や無農薬をもてはやす」
そして農水省の責任。
「なにせ、1992年から推進している「環境保全型農業」の定義は「農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業」である」
国が農薬や化学肥料に対する誤解を拡大させているわけである。

その陰で忘れられているのが、食料生産におけるエネルギーの大量消費である。

「消費者は、自分たちの「おいしいものを安くたくさん、自由に食べたい」という欲求が環境に大きな影響を与えていることに気づかず、地元の農産物や有機農産物などを買えばエコであると思い込んできた。消費者がライフスタイル、食生活を改め判断を変えなければ、抜本的な環境を守る対策とはならない」

原発問題でも、現在の生活をもっと快適・便利にしたいが、原発はイヤだというのは勝手すぎると思う。
「「食の安全性」を叫び「環境保全」の重要性を訴える。だが、その二つが両立しないとしたら、あなたは、地球の環境を守るために若干の健康リスクを許容することができるだろうか?」

コメント (32)
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