三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

筒井清忠『帝都復興の時代』1

2012年12月14日 | 

筒井清忠『帝都復興の時代』は東日本大震災のあと、衝撃を受けて書かれた本だそうで、現在の日本の状況と比べながら読むと、なかなか興味深い。

関東大震災の直後に山本権兵衛内閣が成立します。
当時の新聞は山本内閣を期待していたそうです。
「『朝日新聞』は、多数党が腐敗し、第二党が陋劣な中、既成政党打破と政界改革を「変態内閣」に期待するとしている。犬養にも期待しつつ、総選挙において既成政党外の真に国民の意志を代表する新勢力が勃興することを期待する、というのである。『東京日日新聞』は、既成政党は国民からあきられ厄介者扱いされている、という。党利を中心都市「国利民福」を考えないからであり、それは「営利機関」化し国民と「別個の存在」となっているので、超然内閣による政界の廓清を期待するとしている」

筒井清忠氏は続けて新聞批判をします。
「日本の新聞はいつも、既存の政党の批判と新勢力の台頭への期待ばかりを言いつのっていることがわかろう。議会政治は政党政治たらざるを得ず、従ってその発展はいかにして健全な政党を育成するかにかかっている、ということへの認識が不足しているともいえよう。昭和前期に「新勢力」=陸軍が台頭しやすい環境を新聞が作っていたといえなくもないのである」

山本内閣で一番人気があった閣僚は後藤新平内相でした。

後藤新平は新党を作って政界再編をしようと画策します。
「後藤はこの頃、「無党派連盟」の重要性を強調していた。新聞論調があのようなものであれば、国民的支持を得ようとすればこうした主張となるのも当然であろう。(略)「無党派連盟」という主張にはわかりにくいところもあるのだが、既成政党に属さない新しい政治勢力の結集という風に解せば、そのためには普通選挙が実施されなければならないことは自明であった」
しかし、後藤新平の新党計画は挫折し、山本内閣は三カ月で総辞職します。

筒井清忠氏はまとめの中でこう指摘しています。

「政党政治確立期に政党的基盤を持たなかった後藤は、大衆的人気を支えにするしかなく、いつも壮大なアイデアを出して耳目を引いたが、それを確実に遂行する誠実な持続力や安定感を持たなかった(「後藤子は常に云う所の立派な事は世人総ての見る行である而(しか)も行わんとする所は余りに拙く小規模であるのを遺憾とする」とは第47臨時議会における憲政会議員〈横山勝太郎〉の言である)」

後藤新平にはこんな評価があります。
三浦梧楼「風呂敷を拡げ其括(くく)りの出来ぬは後藤の病気である」
西園寺公望「後藤は実に馬鹿な男だ」「芝居掛り等にて彼是面倒のことを云う人」etc
後藤新平は大風呂敷を拡げて人気をさらうのが得意であっても、それを実行する政治的意志と技法に欠け、後始末ができなかったそうです。

『帝都復興の時代』を読んでいて、私は後藤新平と橋下徹氏とがダブって感じられました。

橋下徹氏は受け狙いのためか発言がコロコロ変わっているし、橋下府政で大阪府の借金は増えているそうですし、日本維新の会の公約に最低賃金制度の廃止なんてとんでもないのがありますし、正直なところ馬脚を露わしたと言ってもいいと思います。
それなのに日本維新の会に投票しようという人が少なからずいるのはどうしてでしょうか。
「橋下さんならやってくれる」と期待しているんでしょうけど、具体的に何をしてもらいたいんでしょうね。

島田佳幸中日新聞社会部長がこんな記事を書いています。
「比例で自民党に入れるとした人の三割弱が、「憲法九条」の改訂には反対だと答え、実に半数近くが、将来的な「原発ゼロ」を求めているのである。(略)
こうした〝矛盾〟、考えられる理由は二つだ。一つは、九条や原発以外にその党を選ぶ決め手の公約があるという可能性。そして、もうひとつは、その党の主張をよく咀嚼せず、「何となく」投票先に決めているというパターンだ。前者ならまだしも、後者はあまりに危険である」(12月5日)
やっぱりそうなのかと思いました。
自民党に投票する人だけでなく、維新の会に投票する人も橋下徹氏の公約や政策そのものには関心がないのかもしれません。
まだ後藤新平の大風呂敷のほうがましだと思います。

コメント (60)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする