三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

チベット密教とオウム真理教 3

2010年06月09日 | 問題のある考え

島薗進『現代宗教の可能性 オウム真理教と暴力』に、「実際のチベット密教の信仰生活においては、暴力の噴出は長く抑制されてきた」とあるが、これは間違い
正木晃『性と呪殺の密教』によると、「悪人に対する救済とは、その人物がそれ以上悪いことをしないうちに、はやく殺して、浄土に送り届けてやることである。それがホトケの慈悲というものである」というポアの論理はオウム真理教独自のものではなく、インド後期密教やチベット密教にすでに存在し、度脱という人を呪殺する修法が実際に行われていた。

で、ドルジェタクに話は戻って、
「彼(ドルジェタク)は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、文殊菩薩の化身にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を主尊とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。彼が用いた秘儀を「度脱」という。度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土へ送り届けるというものである。ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した」
度脱によって本当に人が呪い殺されるのかと思うが、
サキャ派の祖コンチョク・ギャルポの父親やカーギュ派の始祖マルパの長男など、有名な僧侶を次々と度脱したとされるのだから、大した呪力だったわけである。

マルパの直弟子から、度脱は仏法にあるまじき罪深い行為だと詰問されたドルジェタクは、「度脱は解脱への近道にして、慈悲の道であり、ひいては慈悲の武器にほかならない」答えている。
「度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である。
勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。幻化による幻化の殺はありえないのと同じである。
性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない」

度脱は慈悲の行為であるから殺人の範疇に入らないというわけである。
一切は空、つまりすべての存在は本来は実在しないから、殺しても殺したことにならない。
あるいは唯識、すなわちこの世の森羅万象は心が生成した幻ならば、性的ヨーガで現実の女性を相手に性行為をしても、その女性は自分の心が生み出した存在だから、性的ヨーガを実践しても戒律に触れない。
もっともらしい屁理屈です。

度脱はドルジェタクが創始したものではない。
『グヒヤサマージャ(秘密集会)・タントラ』には、
「糞尿と経血を食べ、つねに酒などを飲み、ヴァジュラ・ダキーニと性的ヨーガに入り、住位の特徴によって殺生をなせ」
「阿闍梨を誹ったり、そのほか最勝の大乗を侮ったりする者たちは、努めて殺されてしかるべきである」
「殺された者たちは、かの阿閦如来の仏国土において仏子となるであろう」

などと説かれているそうだし、『理趣経』でも性行為を修行として認め、殺人が正当化されている。

インド後期密教ではなぜ度脱が行われるようになったのだろうか。
正木晃氏によると、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒の仏教徒迫害は過酷かつ凄惨で、仏教徒が自衛のために呪術をはじめとする対策を講じざるを得なかったらしい。
「度脱は敵対するヒンドゥー教徒やイスラーム教徒から弾圧され過酷な運命にさらされていた仏教徒が、自衛のための対抗手段として開発した霊的技法だった可能性が高い。つまり、度脱は本来、相手の圧倒的な暴力に対して、有効な暴力装置をもちえない者たちの、ほとんど唯一の対抗手段だったのである」
これまたほんまかいなという話ではあります。

ドルジェタク自身も若いころ、敵対する行者に度脱されかかって瀕死の状態になったことがある。
その時には師に助けられ、そうして師から度脱の行法を習得したのである。
度脱はプトンやツォンカパたちによって否定されてはいる。

度脱という言葉を使ってはいないが、日本でも度脱が行われていたそうだ。
調伏法と息災法というセットで、度脱にかなり近い発想にもとづく修法が行われてきた。
「調伏法は悪をなす者を降伏させ無力にする修法ということになる。そして、悪をなすほどの者はそう簡単には退散しないので、最終的には呪殺することもやむを得ないという話になる。もちろん、この調伏法を私利私欲のためにおこなうことは厳禁され、悪に苦しむ多くの衆生を救済する最後の手段として、あくまで慈悲の心によって、いいかえれば菩薩の行為として、これをなすことが絶対的に要請される」
息災法とは災いを息む修法。過去世からの罪業も含めて、罪業を滅して解脱に導く。
「やむなく呪殺した悪人をもそのままに捨て置かず、息災法によって救済することが求められている」
調伏の対象となった最大の人物は平将門だそうだ。
将門を滅ぼした大元帥法は明治4年まで宮中において続けられたという。
そして太平洋戦争末期、ある密教僧によってルーズベルト大統領を調伏させたという話があり、正木晃氏によると「この話が単なる噂以上のものである」ということで、いやはや。

現在でもカトマンドゥやパタンには「霊能者がかなりの数いて」「この一帯では、呪いの効果は歴然と認められており、誰が誰を呪っている、霊能者を頼んで呪い返しをした、というふうな話をよく耳にする」んだそうな。
正木晃氏は、「この種の論理が、なにもこの時期の密教のみならず、世界の宗教史上、幾度となく、主張されてきた事実も、私たちは認めなければならない。キリスト教にも、イスラームにも、まったく同じといっていい論理が、少なくともかつては存在した」と言う。
そして、「極言すれば、現代の死刑制度もまた、こうした論理と無縁ではない」と、度脱と死刑に共通性をみる。
全面的に賛成である。
自分でもしつこいと思うが、以前引用したあるブログの記事。
「お坊さんでしたら"死刑回避"っていう"現世利益"にこだわらず、むしろ来世での救い、死を受け入れて浄土への往生を諭すのがお仕事なんじゃないのかしら?っと思うわけで。現世利益にこだわるのは学会さんだと思っていました。むしろ罪を悔いて刑に服し救済を願う。そのときに"南無阿弥陀仏"っと唱えることで、阿弥陀様が浄土に連れていってくださるのではって。そう諭すことが真宗の僧侶の仕事であって、死刑・・・厳罰化に反対するのが本来の仕事ではないと、感じたりとか。なんか、ちょっと・・・ずれてる気がして」
この人の言ってることと同じ話を死刑囚に対してした教誨師がいたと、
免田栄『免田栄 獄中ノート』に書いてある。
「浄土真宗の教誨師が来て、前世において死刑囚になる因を持っていたから現世において死刑囚になっている、故にそのままの姿で処刑されねば救われない」(免田栄『免田栄 獄中ノート』)
でも、悪人を死刑にすることでよりよい状態に生まれさせるというのは、度脱と同じ発想である。

コメント
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