三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

岩瀬達哉『裁判官も人間である』

2021年03月31日 | 

岩瀬達哉『裁判官も人間である』に宮本判事補再任拒否事件について書かれてあるのを読み、この事件は権力者の意向に従わない者を排除し支配しようとする点で、日本学術会議が推薦した会員候補6人を菅義偉首相が任命しなかった事件と同じだと思いました。

裁判官は最高裁の意向に反する判決を出すと、人事で冷遇されて出世は望めなくなる。
たとえば、徳島ラジオ商事件の再審開始を決定した安藝保壽裁判長と秋山賢三裁判官は出世の道を閉ざされた。
原発の再稼働差し止め訴訟でも、原告の訴えを認めた裁判長は退任するか左遷されるかだ。
地裁では国が敗訴しても、高裁や最高裁で判決が逆転することが多い。

そのため、上級審の動向や裁判長の顔色をうかがい、忖度するヒラメ裁判官が多い。
三権分立というが、司法は行政に人事と予算を握られているので、政権の意に従う。

元最高裁長官の矢口洪一は国家と裁判所の関係についてこう解説した。

三権分立は、立法・司法・行政ではなくて、立法・裁判・行政なんです。司法は、行政の一部ということです。


裁判部門は独立していても、裁判所を運営する最高裁の司法行政部門は行政の一部として政府と一体になっている。
政府→最高裁→上司→裁判官
上官の命令は天皇の命令みたいなもんです。

さて、宮本判事補再任拒否事件です。
1969年、石田和外が最高裁長官となる。
自民党の中に、最高裁の裁判がだんだん左傾化してきたという声が出た。
政府と連携した司法のために、内閣と同意見の最高裁長官を起用する必要があった。
佐藤栄作首相にとって願ってもない適任者である石田和外は、裁判所をハト派からタカ派に切り替えるための旗手だった。

1969年、北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊のナイキ地対空ミサイル基地を建設するため、農林大臣が森林法に基づき国有保安林の指定を解除。
これに対し、反対住民が処分の取消しを求めて行政訴訟を起こした。

長沼ナイキ基地訴訟を担当したのは、青年法律家協会裁判部会のメンバーである札幌地裁の福島重雄だった。
8月4日、平賀健太札幌地裁所長は平田浩民事部統括に住民側の主張を退けるよう示唆する内容のメモを届けた。
8月14日、平賀健太所長が福島重雄裁判長に、住民側の訴えを退け、国側の主張を認めるよう求める書簡を届けた。
裁判に対する不当な干渉であり、裁判官の職権の独立を侵害する平賀書簡がマスコミで報じられた。

9月13日、札幌裁判所で裁判官会議が開かれ、平賀所長への非難決議が全員一致で採択された。
地裁の裁判官が裁判官会議で所長を厳重注意したことに、最高裁だけでなく、高裁長官たちも激高した。

石田長官は書簡流出の犯人を捜し、青法協を裁判所から排除しなければならないと肚を固めた。
若手裁判官たちをこれ以上増長させないとともに、平賀書簡問題を収めるため、スケープゴートとされたのが青法協の中心メンバーの宮本康昭判事補である。

憲法の規定により裁判官の任期は10年で、任期終了ごとに内閣によって再任されるかどうか判断される。
1971年、64人の裁判官のうち、宮本康昭だけが再任拒否された。
再任拒否の理由は人事上の機密として発表されていない。

青年法律家協会員裁判官は350人から3年後に200人になり、10年後には青法協裁判官部会は消滅した。
青年法律家協会員へのブルーパージは多くの裁判官を心理的に支配し、その影響はいまに引き継がれている。

日本学術会議の任命拒否問題はもうニュースにはなっていません。
学問への政治介入がこれからさらに深まっていくことでしょう。

今の政府は国会を軽視しており、立法も行政の支配下に置かれつつあります。
武田良太総務相が3月19日の参院予算委員会で、答弁に向かう総務省幹部に「記憶がないと言え」と指示しました。
辞表を出すのかと思っていたら、いまだに大臣のままです。

2017年に安倍内閣が野党の臨時国会召集要求に3カ月以上応じなかったことは憲法違反だとして国家賠償請求訴訟が起こされました。
3月24日、東京地裁の判決は違憲性を判断せず、原告側の訴えを退けました。

トランプ前大統領の支持者が連邦議会議事堂に乱入して占拠した事件は、国家の中枢へのテロですから、2001年の同時多発テロと同じだと思います。

ワシントン・ポストによると、トランプは大統領在任中に、嘘または事実と誤導させる主張を3万573回もしているそうです。
嘘が積み重ねれば真実になります。
トランプは人権侵害の差別発言をたびたびしていますが、それにも慣れてしまいます。

ゆでガエル理論といって、カエルを熱湯の中に入れると、すぐに飛び出すが、水に入れて徐々に熱すると、カエルはゆでられていることに気づかずに死んでしまうという話があります。(これは作り話で、実際にはカエルは逃げようとする)
私たちは知らぬ間にゆでられているのかもしれません。

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