三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

輸血拒否と反ワクチン

2023年01月31日 | 陰謀論

お店などに入る際、「マスクをつけて下さい」と言われても拒む人がいます。
映画館でマスクをするように言われ、健康上と宗教上の理由でマスクはしないと言ってもめた人のツイッターを見ました。

映画館の責任者とのやりとりを見ていた息子が泣き始め、そんなの我慢してマスクくらいしていたらいい、そんなふうに言い合うのが恥ずかしい、(お母さん)1人の時にやればいい、もうやめてほしいと言って泣いたそうです。
https://twitter.com/high_non_sense/status/1611270336343068677/photo/1
この子供、カルト2世と似た状況にあると思います。

ニュージーランドで、緊急手術を必要としている生後4か月の乳児の両親が、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種者からの輸血を拒否しているため、手術が遅れ、当局が乳児の保護を求めて提訴した裁判がありました。

手術必要な乳児、裁判所が後見に ワクチン接種者からの輸血を両親が拒否 NZ
ニュージーランドで救命のために心臓手術を必要とする生後6カ月の男の子が、新型コロナウイルスワクチンを接種した人からの輸血を拒む両親のために手術ができず、高裁の判断で一時的に後見人の保護下に置かれた。
ニュージーランド高裁のイアン・ゴールト裁判官は7日、男の子が手術から回復するまで、裁判所が後見となって乳児を保護すると言い渡した。
さらに、手術と輸血に関する問題の監督者として医師2人を任命した。
男の子は心臓に先天性の疾患があり、救命のためには心臓手術を必要とする。しかし両親が、新型コロナのワクチンを接種していない人から提供された血液しか使わせないと主張したことで、手術が遅れていた。
ワクチンをめぐっては、世界で接種が始まった2年前から偽情報が拡散。両親は「ワクチンを接種した人の血中にはスパイクたんぱく質が存在し、そうしたたんぱく質が輸血に関連した予想外の死をもたらす」と主張していた。
両親は当初、家族が選んだ人物からの血液提供を求めていたが、輸血団体はワクチン接種者と未接種者の区別はしていないとしてこの求めに応じなかった。
男の子の治療と輸血について両親と医師の間で合意できなかったことから、ニュージーランド保健省は11月、児童保護の法律に基づき、治療のみを目的として一時的に男の子の後見人となる医師を任命するよう、裁判所に求めた。(CNN2022年12月8日)

https://www.cnn.co.jp/world/35197120.html
乳児は手術を終えたそうです。

ワクチン接種者の血液を輸血することと、手術をしないこと、どちらが死ぬ可能性が高いかというと後者でしょう。
でも、反ワクチン団体はアーダーン首相への抗議の声を上げています。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022120900679&g=int

1985年に起きたエホバの証人の輸血拒否事件を思い出しました。
自転車に乗っていた10歳の小学生がダンプカーと接触して両足骨折などで5時間後に死亡。
親が輸血を拒否したためです。

エホバの証人は聖書に説かれている教えに従わないと世界の終末後に天国に生まれて永遠の命を得ることができないと説きます。
輸血をすることによってこの世で数十年の人生を過ごすよりも、天国での永遠の生と子供との再会を両親は選んだわけです。

神による試練と考えたのかもしれません。
アブラハムの信仰を試そうとした神は息子のイサクを生け贄にするよう求め、アブラハムがイサクを殺そうとした時、神はとめたという話が旧約聖書にあります。

試練を乗り越えることによって信仰が一層深まるのでしょう。
父親は半年後に長女とともに洗礼を受け、1年後、「私の信仰心はあれからさらに強まった」と語っています。(大泉実成『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』)

ペストが流行した1348年、マルセイユ周辺の村では、井戸に毒を入れたとしてユダヤ人を虐殺したことがジョン・ケリー『黒死病』に書かれています。
場所によっては改宗を迫ったが、ユダヤ人は死ぬほうを選んだ。
ある年代記。

母親はわが子にキリスト教の洗礼を受けさせるくらいなら死んだほうがましだといって、子供を炎のなかに投げこみ、それから自分も炎のなかに飛び込んで・・・夫や子供とともに焼け死んだ。


日本でも、拷問を受けても棄教せずに死を選んだキリシタンがいました。
山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)によると、日本人のキリスト教信者の特質は、強固な信仰を持つ者は信仰を捨てるよりも命を捨てるほうがよいと信じ込んでいたことです。

殉教の勧めはイエズス会士らがキリストの教えとして持ち込んだもので、山本博文さんはその特徴を3つあげています。
①迫害は、神の教えが真実であることを示すために神がはかられたものであり、迫害の場で初めてそのものの信仰が真実であるかどうかが試される。
②棄教を迫られた時、口先だけでも神を否定することは、棄教することと同じである。
③殉教者になることは、神の前で高い地位に就くことになる。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/0023d74c95cd2f7500f856f60f17f140
これは、現世の命と永遠の命という2つの選択肢のうちどちらを選ぶかということですから、エホバの証人の輸血拒否と同じです。

教えに背いたら地獄に堕ちるという宗教信念によって死を選ぶ自由を認めるなら、三悪道に堕ちることを防ぐために殺人をするというオウム真理教のポアを肯定することになります。

坂本堤弁護士の言葉を紹介します。

1989年10月31日、オウム真理教の幹部が横浜法律事務所を訪れた。「われわれには信教の自由がある」との言に対して、坂本堤弁護士は「人を不幸にする自由はあり得ない」と切り返している。その3日後、坂本弁護士は家族とともに非業の最期を遂げ、この言葉が彼の遺言となった。

http://chikyuza.net/archives/121469

子供も「人」です。
親といえども子供を不幸にする自由はありません。
しかし、親は子供の幸福のためだと信じているわけです。
それに対してどういう論理で対抗したらいいのか難しい問題です。

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