青草民人さんです。
閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声
日本人の感性は、動と静。強と弱、陰と陽のように、物事を対比させて、表現することが多いです。松尾芭蕉のこの有名な俳句も、騒々しい蝉時雨のなかで、他の音を一切受け入れることのない世界を「閑けさや」と表現しています。
ここで、「しずけさ」を「静けさ」と表現しないことも、注目すべきことです。
「静けさ」というとらえかたは、音を意識的にとらえた表現ですが、「閑けさ」という表現は、状況の表現ではなく、心の内面を表現した言葉です。
辺りは、騒々しい蝉時雨なのに、心の内面は音のない、閑寂とした世界に芭蕉は身を置いているのでしょう。
「忙中閑あり」という言葉があります。
「忙しい」という文字は、「忄」に「亡」と書きます。「忄」は「りっしんべん」といい、部首では「心」を表します。「亡」は「なくす」「うしなう」「消え去る」という意味ですね。「忙しい」という文字は、まさに「心」を「亡くした」状態をいうのです。
人は、忙しい状態に陥ると、ついつい心ない発言をしてしまったり、行動を取ったりしてしまうものです。また、自分勝手に物事を考えたり、他人の言動を不愉快に思ったりもするものです。自分のことしか見えずに、他人のことを思いやることを忘れてしまいます。
『淨土論註』という曇鸞大師の書物に、「蟪蛄 春秋を識(し)らず」という言葉が出てきます。蟪蛄(けいこ)とは、夏の終わりに鳴く蝉のことです。日本でいえばツクツクボウシでしょうか。
蝉は、長い間土の中で暮らします。七年間といわれていますが、外の世界に出て鳴くのはわずか一週間だそうです。
夏の暑いさなかに外に出てきた蝉は、自分が今いる季節を夏だとしりません。それは、春も秋も識らないからです。
この喩えは、十念という、経の言葉をたくさん念仏をしないと往生できないと、念仏の回数ばかりを問題にしている人を蝉(何回も鳴く)に喩えて批判している場面で用いられています。念仏は、心を凝らし、想いを注いですれば、回数は問題ではないということをいっているのです。
忙しい状態の私は、忙しいという状況の中に身を置いているので、周りの状況が見えなくなっています。『おー忙しい、つくづくおー忙しい』と鳴いているツクツクボウシのようです。蝉の声を「閑けさ」やと詠んだ芭蕉のように、感性豊かな暮らしをしたいものです。樹心が書けるこの夏休みの季節は、まさに忙中の閑かもしれません。
皆様、この残暑、ご自愛ください。次号はいつに…つくつく。
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http://www.youtube.com/watch?v=AFSfoAGJTjE
素手なんですね。
「着綿」という和菓子を食べたことが、あります。旧暦9月9日に食べると、長生きするそうです。日本版、月餅?
http://allabout.co.jp/gm/gc/223752/3/
芭蕉の中では、「一家に 遊女も寐たり 萩と月」が好きです。円さん、おはぎ、召し上がりました?春は、牡丹の季節で、牡丹餅、秋は萩の季節で、お萩、本当かしらね。
古池や 芭蕉飛び込む 水の音
ところがこれは仙義梵の句なんだそうです。
古い池の中へ/かえるがとびこむ/音がする
これは西脇順三郎。
これも、その才能を開花して、改ざん、いえいえ、推敲しなおしてみてください!!
「しずかさや」らしいです。
閑けさや 岩にせみ入る しみの声
このほうが私にはいいような。
中国古典詩に詠まれる蝉は、ほとんどが、秋の蝉、寒蝉です。秋とはいえ、立秋のころ。
うわっ、パソコン開いてコラム見てコメントしていた、こんな時間に。急がなくては、時間が・・・