三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』(3)

2007年11月04日 | 厳罰化

 4章「厳罰化がつくり出した刑務所の現実」 浜井浩一
厳罰化の結果、刑務所は受刑者で一杯となり、新しく施設を作らなければ追いつかない状況である。
しかしながら刑務所は、精神障害者や知的障害者、高齢者や仕事を失った外国人など、社会的弱者で溢れかえっている。
社会から排除された人、福祉行政では救済できない人たちが刑務所に入らざるを得ないというのが現状なのである。

福祉予算の比率が相対的に低く、弱者を切り捨てる不寛容な社会(州)ほど、刑務所人口比が高いというアメリカの研究がある。
逆に、所得格差が少なく、社会保障費の割合が高く、人や社会に信頼感を持っている国ほど、刑務所人口が少ない。
相互に信頼がない社会ほど、厳罰化を指向し、刑務所を社会的弱者であふれさせる。

自己責任を謳い、他人に厳しい排他的な社会において、社会的弱者が犯罪者として刑務所に送り込まれるのは自然な現象かもしれない。


外国人による犯罪が増えている、しかも凶悪事件が多いと思っている人は多い。
しかし、本当に凶悪な犯罪を犯した者は、外国人受刑者の一部に過ぎない。

たとえば中国人の犯罪者は「日本の刑罰は軽い。日本の刑務所は三食付いて仕事も与えられて、賃金までもらえる」と考えているという論調を見うける。
ところが、実際に中国人受刑者と面接してみると、このような主張は事実とかけはなれている。

彼らの多くは、福建省等から就労目的で不法入国してきた者たちであり、日本語はほとんどできない。面接に行くと、異国の地の刑務所で、訳がわからず困惑し、不安に怯えている者がほとんどであった。
加えて、彼らの多くは、不法入国を斡旋する中国人犯罪組織「蛇頭」に200万円以上の借金をして日本に不法入国している。刑務所で得られる作業賞与金は、月平均4000円程度であることを考えると、とても割に合うものではない。
また、彼ら不法入国者は、いつでも国外逃亡できるように考えている人も多いが、蛇頭は、入国の面倒しか見てくれない。中国系の不法在留者が帰国するためには入国管理局に出頭するしかない。


世論では、治安悪化は凶悪かつ狡猾な犯罪者によってもたらされたように喧伝されているが、実際はそうではない。
もっとも、治安の最前線にいる刑務官ですら、「最近いやな事件が多いですね。日本はどうにかなってるんですかね」ともらすように、メディアの影響を強く受け、目の前で起きている事態との落差に気がつかないのだから、一般人が犯罪が増えていると誤解するのも無理からぬところがある。

犯罪被害者やメディア、世論の声が、検察官や裁判官にとって無視できない存在となり、それが厳罰化への原動力ともなっている。
そのことによって刑務所が過剰収容となり、刑務所が新設される。
そうして税金が大量に投入されることになるわけで、厳罰化は税金の節約にならない。

2007年版『犯罪白書』によると、1948年から2006年の間に刑が確定した100万人を無作為抽出して調べると、再犯者は29%である。
外国に比べると、日本の再犯率の低さは特筆すべきである。
しかも、窃盗は8割が無職で就業支援の必要性があるし、高齢者は就業が難しく、生活苦や居場所のなさから罪を重ねる場合が多い。
再犯者が矯正不可能な人間だというわけではない。

意外なのが、強姦の再犯率は32%だが、再び強姦して捕まったのは3%ということ。
性犯罪をくり返す人は考えられているよりも少ない。
性犯罪者の住所・氏名を公開することはかえってマイナスになると思われる。

11月10日の毎日新聞の社説から。

再犯対策の一環として有期刑の上限が引き上げられた後、報復感情を背景にした厳罰化が加速しているため、犯罪者を刑務所に隔離することが重視され、出所後の社会復帰を難しくしていることにも注意したい。(略)
有期刑についても仮釈放の条件が厳しくなったため、全体的に収容期間が延びている。家族らと疎遠になり、社会復帰がうまくいかずに刑務所に逆戻りする者も少なくない。社会のやっかい者は隔離すればよい、とする考え方には危うさがあり、厳罰を求める風潮を再犯防止など社会防衛的な視点から検証する必要もありそうだ。

厳罰よりも、犯罪者をいかに社会復帰させるか、社会が受け入れていくかを考えていくほうが大切だと思う。

『犯罪不安社会』を読んで感じたのは、治安悪化への安は迷信に似ているということ。
不安の原因は外にあるのではなく、自分が作り出したものだという点が同じである。

迷信やインチキ宗教も、霊魂とか祟りといった存在しないもので脅す。
たとえると、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということ。
幽霊が存在していると恐れる人に、それは枯れ尾花だと説明しても受け入れない。

犯罪不安社会も似ているように思う。
もともと存在しない犯罪増加、治安悪化におびえている。
いくら厳罰化を進め、防犯活動をやり、不審者を排除しても安心することはない。
厳罰化が進もうとも、不安が解消されることはない。
自分の思い込みだった、妄想だったと気づかなければ不安はなくならない。

不安と治安の終わりなきスパイラルからいかにしたら脱することができるのか。
その道をCAP(子どもへの暴力防止プログラム)が示しているように思う。

CAPは1978年にアメリカで作られたプログラムである。
オハイオ州で、小学2年生の女の子が登校中にレイプされる事件があった。
パニックに陥った人々がとった態度は「子どもを守る」ということだった。
親は四六時中、子どもに付き添い、地域の人たちは監視を強化するようになった。

ところが、監視と保護を強めすぎると、子どもは無力化されてしまう。
子どもはおびえて自信を失い、子どもはおとなに守られる弱い存在だと思い込み、自分で何ができるか考えられなくなる。
そういう状況で不安感が高まり、子どもたちの中には夜驚症・夜尿・チック・保健室へ行く子が増えるなどいろんな問題が生じた。

小学校の先生が「このままではいけない。何とかしなければ」と考え、子どもに「セルフ・ディフェンス・トレーニング(護身術)」を教えることを思いついのが、CAPの始まりである。

浜井浩一氏はこう言う。

犯罪は正しく恐れ、その上で、効果的で副作用の少ない、人々の生活に優しい犯罪対策を考えるべきであろう。


生きている限り不安はなくならない。
不安を抱えながら生きる道を考える必要がある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浜井浩一、芹沢一也『犯罪不... | トップ | 鳩山法相に期待する »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

厳罰化」カテゴリの最新記事