三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「年報・死刑廃止2006 光市裁判」(4)検察の狙い

2007年01月16日 | 死刑

なぜ検察は光市母子殺人事件の加害者を死刑にしようとするのだろうか。
「年報・死刑廃止2006 光市裁判」での安田好弘弁護士の話を読むと、検察の狙いは4点あると思う。

・裁判員制度

今回の光市の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。


司法がおかしくなっている原因の一つは裁判員制度にあるらしい。
イギリスの陪審員制度について、緑ゆうこ『イギリス人は「建前」がお得意』にこんなことが書かれている。
イギリスの陪審員は有権者名簿からクジ引きで選ばれる。

運悪く陪審員に当たってしまうと、自分の仕事は放っぽりだして毎日裁判所へ通わなければならない。期間は担当にあてられた裁判によるから、待合室で待つばかりで何も仕事がない場合もあれば、大きなケースにぶつかって何ヵ月もかかる場合もある。

多くの人は国からわずかばかりの日給をもらっても、陪審員をやるのは損だと思う知識階級やホワイト・カラーはなんとか言い訳をして、陪審員を逃れる。
そのため、「働くよりは陪審員でもやったほうがまし」と思うワーキング・クラスばかりが集まる。

日雇い暮らしをしている人なら陪審員席に座って一日いくらかもらえれば悪くはないし、毎日低賃金でつまらない仕事をしている人なら堂々と仕事を休んで日給をもらえるグッド・チャンスだ。


驚くことに「陪審員を務めさせるには、せめて知能テストや読み書きテストくらいは課すべきだという声さえある」し、人種偏見的な発言も多い。

有名なケースでは、1993年、陪審員がOuija board(占い盤、コックリさんのようなもの)を使って殺人の犠牲者の魂を呼び出し、被告人を有罪と決めたことが明るみに出て、裁判がやり直しになったことがある。
2002年1月、陪審員が法廷を退いて別室での審議中にテレビを見ていたことがばれてしまって、裁判はやり直しになった。
他にも報告されている例では、あるアジア人の被告に対し陪審員の何人かは最初から有罪と決めつけ、審議の最中に居眠りをしている人もいたし、また活発な議論をたたかわせているはずの十二人の中には難聴の人も混じっていたという。また別の事件では、二人の容疑者のうちどちらが真犯人か決められないので、大事をとって二人とも有罪にしておいた、という例もある。


裁判員制度は裁判官と一緒に審理するわけだから、コックリさんで判決を決めたり、審議の最中にテレビを見たりしないとは思う。
しかし、裁判員制度の問題点にはイギリスの陪審員制度と共通している問題もある。

しかも、裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち傷害致死、殺人事件などだから、法律に関して全くの素人が人の生死を決めることになる。
平川宗信中京大教授は「裁判員制度になれば、一般の人たちの処罰感情が量刑にもろに反映していく可能性があるわけです」と言っている。
光市母子殺人事件のように、マスコミが大々的に騒いだなら、裁判の始まる前に先入観が与えられてしまう。

安田好弘弁護士はこう語る。

検察官がこれほどまでに被害者遺族に配慮したのを私は見たことがありません。少なくとも検察官は公益の代表者なわけでして、彼らは曲がりなりにも法の公正な適用を、つまり訴追者という視点から裁判所に求めるというのが検察官の立場です。被害者遺族がどうだというのを全面的に打ち出していくというのは今までなかったことです。


検察が被害者を利用し、マスコミが世論操作をするだろうことが予想される。

裁判の迅速化、あるいは裁判員制度と言われながらも、実は根底のところで、刑事司法は変えられてしまったんです。弁護人が被告人の権利を守ろうとしても守れないシステムがすでに出来てしまったんです。これが今の刑事司法です。


・少年法の改正

これは「作られた凶悪事件」なんですね。殺害の様態とか、あるいは故意の問題にしても、被疑者が少年だったものですから、検察官によって、思うがままに事件が作り上げられたんですね。

検察の意図には少年法改正がある。

この事件は一九九九年に起こりましたが、二〇〇〇年に少年法は戦後最大の改正をやっています。(略)従来、少年に対しては「処罰」ではなく「保護・援助・教育」であるとしていたのを、大きく転換したのです。そして、この事件は、その改正の真っ只中であったわけです。検察はこの事件を凶悪な事件とすることによって、少年法の改正を後押ししようとしたんです。それを一、二審とも全く見破れないまま、ここまできてしまったんです。


少年犯罪が増えている、しかも凶悪化している、だから少年でも成人と同じように扱うべきだという意見がある。
しかし、非行少年の多くは成人すると落ち着き、暴力団に入るなどするのはごく少数である。
少年の場合、厳しく罰するより、更生保護を充実させ、地域社会が受け入れることが大切である。

・重罰化

最高裁はこの判決を通して、重罰化に向けて大きく一歩踏み出そうとしている。検察とマスコミ、世間の風潮、そして被害者遺族の感情と同値させようとしているんですね。


社会が不安定で、治安が悪いのならともかく、日本は世界的にも珍しいほど安心して暮らせる国であるにもかかわらず、厳罰化を求める声が高い。
死刑廃止は世界の趨勢にもかかわらず、ネットでは「殺せ」「リンチしろ」の大合唱。
18歳未満にも死刑を認めろという声があるくらい異様な状況である。

それは、犯罪が増加している、治安が悪化している、という間違ったマスコミ報道に乗せられているからである。
厳罰化は国による管理を強化することにつながるのだが。

・検察の権力拡大

検察官は被害者の気持ちを前面に打ち出して被告人を死刑にするという政治目的を実現しようとしているだけです。なぜなら、彼らは死刑を積極的に適用させて犯罪に対して厳しく処断することによって秩序維持を図ろうとしていますし、そうすることが世論やマスメディアの期待に応え、また支持され、検察の威信を高め、検察の勢力を拡大させることだと考えているのです。ところが、今回は、裁判所もそうしようというのです。(略)
政治が検察に支配される形になりましたね。その結果としてバブルの崩壊を契機として大蔵省が検察によって解体されて省庁の再編までいく。検察がどんどんいわゆる治安機関や監督機関である独立行政法人のトップを占めていくという流れが続いていますよね。(略)今までは治安関係の監視だけだったんですけれど、今はもうどんどん拡大して、経済までが監視の対象になってきているわけですね。もう一つは、たとえば大手の貿易商社や銀行にはやっぱり検事長クラスが顧問としてちゃんと就任する。そういう利権構造があって、そういうものがどんどん拡大していっているという印象をうけます。

日本では検察の力が強いそうだが、こうしたことを我々は知らないでいる。
こうしたこともマスコミは報道してほしい。

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6 コメント

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再び、六法全書 (京都8月2日)
2007-01-16 22:13:09
弁護士は不要とは・・・・・
刑事訴訟法には、
 
刑事訴訟法第289条1項(必要的弁護)
 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しく は禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人が なければ開廷することはできない。

判例には様々な解釈はありますが、極刑にあたる事件だから弁護士は不要と云う判例はないですね。
また、裁判官・検察官・弁護士の法曹3者だけでも開廷できず、裁判所書記官・裁判所速記官がいなければ開廷できないと以前聞いた事があります。

いずれにしろ弁護士は付けなければいけない訳です。




 




 
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お飾りの弁護人 ()
2007-01-17 09:29:16
>死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮にあたる事件を審理する場合には、弁護人がなければ開廷することはできない。

ということは、3年未満の刑の場合は、弁護人がいなくてもいいということなのでしょうか。
それはともかく、安田弁護士が言われているのは、裁判所は弁護人が出廷しないおそれのあるときには、別に弁護人を選任できるというふうに刑事訴訟法が改正された、別の弁護人というのは、当然、裁判所の意向に従う弁護人ということになり、実質的に弁護人の存在しない裁判がすでに用意されてしまっている、ということです。
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2つの関係 (京都8月2日)
2007-01-17 14:54:31
刑事訴訟法の改正のより、裁判所の意向に従う弁護士が用意されてしまっているのと、最高裁判所が、頻繁に新聞に広報している裁判員制度と、何か関係があるのでしょうかね。
色々な面で、最高裁判所は、何か急いでいる様な気がします。

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裁判員制度は問題あり ()
2007-01-17 21:24:57
法律の素人が傷害致死、殺人事件といった重大な事件、時には死刑判決を下さなくてはいけない事件を裁くなんて、どういう発想から生まれてきたのでしょうか。
無茶だと思います。
裁判を迅速(拙速)に進めること、そうして厳罰化をより進めること、そういう意図はわかりますが、他にも何か狙いがあるようにも感じます。
日本では検察の力が強いそうでして、さらに支配力を強化しようとしているのかなとも思いますが、どうなんでしょうか。
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裁判迅速化 (京都8月2日)
2007-01-19 18:08:18
裁判官1人当たりの担当件数が、刑事民事あわせて

 ① 都市部の高裁で200~300件
 ② 最高裁で100件以上
裁判官自身が、多くの裁判件数を抱えているのですから、全国に2000人しかいない検察官も、同様数の裁判を抱えているのでしょうか。このような状況で裁判迅速化と言っても、裁判官・検察官に負担を増大させながらでしたら、手抜きしながら裁判するんじゃないかと、心配になります。
 




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裁判員制度と医療 ()
2007-01-20 19:19:02
裁判官はそんなに仕事を抱えているんですか。
迅速化したら手抜きをせざるを得ないように思います。

裁判員制度を医療になぞらえて考えてみました。
患者やその家族に医者が説明をして、どうされますか、と聞くことは大切ですね。
だけど、患者がどういう病気なのか、どういう処置をしたらいいのか、そうした診断を医療の素人をまじえて行わなければいけないとしたら無茶苦茶です。
裁判員制度は後者なのではないでしょうか。
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