三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

障害児殺しと青い芝の会(1)

2024年06月14日 | 日記
成田悠輔さんの発言が国会でも問題になりました。
どうしたら今のこの高齢化とさまざまな人生のリスクを軽減できるだろうかということを考えて、たどり着いた結論は集団自決みたいなことをするのがいいんじゃないか、特に集団切腹みたいなものをするのがいいんじゃないかということです。(略)ここで僕たちが議論すべき大義はいわば高齢化して永遠と生き続けてしまうこの世の中をどう変えて社会保障などという問題について議論しなくてもいいような世界を作り出すかということだと思います。そのためにはかつて三島由紀夫がしたとおり、ある年齢で自らの命を絶ち、高齢化し老害化することを事前に予防するというのはいい筋ではないかと。
横に座っている古川俊治さん(自民党国会議員)は成田悠輔さんの発言に笑っています。

(10分5秒のところから)
同じ趣旨の発言は他のところでもしています。

三島由紀夫は45歳で死んでいます。
1985年生まれの成田悠輔さんは10年以内に死ぬつもりなのでしょう。

成田悠輔さんは障害者について語っていませんが、主張していることは太田典礼や植松聖死刑囚と同じ社会的弱者の抹殺です。

日本安楽死協会を設立した太田典礼は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与しました。
植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない。(『週刊朝日』1972年10月27日号)
太田典礼は85歳で死亡しますが、安楽死ではありません。

もっとも、太田典礼や植松聖死刑囚のような考えは私の中にもあります。
石井裕也『月』は津久井やまゆり園事件をモデルにした映画です。
主人公は小説が書けなくなり、障害者の施設で働きます。
息子は先天性の心臓病で、胃瘻をし、寝たきりのまま3歳で死亡しました。
40過ぎで妊娠した主人公は障害を持った子供が生まれるのでは、と悩みます。

犯罪白書によると、殺人事件のうち家族間によるものは2019年で54・3%と、半数以上を占め、30年前から15ポイントも増えています。

家族が加害者という殺人事件には、介護疲れによる殺人、親子心中が含まれます。
介護を理由とした家族間での殺人は厚生労働省の統計によると年間20~30件起きています。
親子心中事件は毎年少なくとも30件以上起こり、40人以上の児童が親子心中によって死亡しています。
そのうち母子心中が65.1%を占めています。
多くは母親がウツ病だったり、子供に障害があって苦にしたりといったことがあります。

障害者や認知症の人たちが殺されるのはやむを得ないと思う人(裁判官や検察官も)が多いから、被告は情状酌量され、刑期が短かくなったり執行猶予がついたりすることがあります。

1970年、横浜で2人の障害児を持つ母親が下の女の子(当時2歳)をエプロンの紐でしめ殺した事件がありました。
横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『障害者殺しの思想』に、この事件について詳しく書かれています。

事件が発生するや、マスコミは「またもや起きた悲劇、福祉政策の貧困が生んだ悲劇、施設さえあれば救える」などと書き立てた。
地元町内会や障害児をもつ親の団体が減刑嘆願運動を始めた。

神奈川県心身障害者父母の会が横浜市長に提出した抗議文。
施設もなく、家庭に対する療育指導もない。生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは、やむを得ざるなり行きである、といえます。日夜泣きさけぶことしかできない子と親を放置してきた福祉行政の絶対的貧困に私たちは強く抗議するとともに、重症児対策のすみやかな確立を求めるものであります。

母親に同情が集まって減刑嘆願書が出される動きに、脳性マヒ当事者の会である青い芝の会は抗議しました。
横塚晃一さんと横田弘さんも青い芝の会の会員です。

横田弘さんはこう言います。
障害者は「殺されたほうが幸せ」という論理が、やがて、障害者は「本来あってはならない存在」という論理に変わり、そして、社会全体が障害者とその家庭を抹殺していく方向に向かって行く。

起訴までに1年1か月の時間を費やし、横浜地裁で公判が開かれるや、1か月で結審した。
起訴まで日時を費やした理由が「全国の施設の状況を調べ」ることにあった。
弁護側が情状酌量を主張するために行うのではなく、検察が起訴するか否かということで調査したという。

横浜地裁の判決は懲役2年執行猶予3年だった。
刑法に「人を殺したる者は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」とあるのに、この裁判では検察の求刑は懲役2年だった。

横塚晃一さんはこう批判しています。
おざなりな裁判であった。検察側の被告を追及する態度がまるでなく、我々の提出した意見書、障害者としての体験文などを参考資料として裁判の席上にのせることを弁護側が拒否したのに対し、抵抗することなく従い、求刑に当たっては、殺人の場合、刑法上最低懲役3年なのに、懲役2年を求刑したことからも明らかである。
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