三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ナタリア・ギンズブルグ『マンゾーニ家の人々』

2009年04月12日 | 

アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873)はイタリアの国民文学である『いいなづけ』(『婚約者たち』)の作者。
「イタリアのこどもたちは小学校のころから、親や学校の教師たちに語り聞かされ、大学にはいる頃には、たいていの若者は、マンゾーニはもうたくさん、という気持になっている」という人物である。
『マンゾーニ家の人々』はマンゾーニの家族、友人、知人の手紙をつなぎあわせて綴られている。
訳は須賀敦子氏。

『マンゾーニ家の人々』を読んで思ったこと。
1,愛人
マンゾーニの母ジュリアは1762年生まれで、父親は死刑廃止論で有名なチェザレ・ベッカリア侯爵
ジュリアの母親は金持ちの愛人がいて、梅毒のために29歳で死んでいる。
持参金のないジュリアは26歳も年が離れた伯爵と結婚するが、夫と別居して愛人とパリで暮らす。
マンゾーニは別の愛人の子どもらしい。
18世紀のイタリアでは貴族の妻に愛人がいてもどうということはなかったのだろうか。
それとも、岡本一平、かの子が日本の平均的夫婦だと思われては困るように、ベッカリア家は特別なのだろうか。

2,手紙
『マンゾーニ家の人々』にはマンゾーニ家の人たちやマンゾーニ家と関係のある人たちの手紙がたくさん引用されている。
マンゾーニ家に来た手紙やマンゾーニが出した手紙だったら、有名人の手紙だから残されているのはわかる。
だけど、家族や知人同士とか無名の人の手紙をよく捨てずに保存していたものだと思う。
みんなかなり頻繁に手紙のやりとりをしているようで、分量としてはかなりのものになるだろうに。
『宮沢賢治全集』に収められている手紙の一番古いのは、明治43年、宮沢賢治(明治29年生)が満13歳の時に中学の友達に出した年賀状である。
私は手紙を読んだらすぐに捨てるのだが、残しておこうかという気に少しなった。

3,瀉血
この時代、病気になるとすぐに瀉血していたようである。
「四日間でピエトロ(長男)は四度、大瀉血を受け、蛭を27匹つけ、大量の催吐性酒石酸を飲みました」というような文章が次々と出てくる。
催吐剤とは「吐き気を催させ、胃の内容物を排出させるために用いられる薬物」のこと。
こんな治療をしてたら、よくなる病気も悪くなるのではないかと思う。
しかし、マンゾーニが73歳で重病になった時には、18回瀉血し、二ヵ月後に回復している。
瀉血も効果があるのだろうか。

4,有名人の子どもは大変
マンゾーニの長女は26歳、次女は26歳、三女は28歳、四女は2歳、六女は26歳で死んでいる。
次男は浪費家で父親に何度も借金をし、極貧のうちに62歳で、三男も勘当のような状態で零落して42歳で死ぬ。
父のために尽くした長男が60歳で死んでまもなく、マンゾーニは88歳で死亡。
身体が弱く病気がちな五女は70歳まで生きた。
悲惨なのが次男の妻で、金持ちの娘だが、ぐーたらな夫のためにすっからかんになって貧しい生活を送り、9人の子供を産み、子どもたちと仲違いしたために精神病院に入れられ、そこで死んでいる。
この人が精神病院から出した手紙を読むと、ほんとかわいそうとしか言いようがない。
で、マンゾーニの娘たちは早死にしているが、息子たちのように問題を起こしてはいない。
日本の
受刑者のうち女性の占める割合は昔から5~7%で、圧倒的に男が多い。
蓮如は『御文』に女は男にまさって罪が深いとしつこく書いているが、実際は男のほうが罪が深いようである。
もっとも女性は摂食障害が多いそうで、問題があった場合に外ではなくて内に向かうのかもしれないが。
女性のほうが男より真面目なんだろうか。

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